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ひな姉の #音楽の履歴書(懐かしい曲と共に)

「#音楽の履歴書」というタグがとても気になっている。ささいな笹さんが発端となって広がっているnoteを読むのがとても楽しい。私も書いてみたいと思いながらも昭和生まれにしかわからない曲ばかりになりそうで少し書くことに躊躇していたが、そのことをツイートしたところ多くの方から「ぜひ読みたい」といっていただいたので調子にのって書くことにした。

また人名については敬称略で記載する。

私のスペック

昭和40年代前半生まれ。

幼稚園時代

このころは自分の意志で音楽を聞くことがなく、幼稚園で歌う童謡や、幼児雑誌の付録のソノシート、テレビから流れる音楽が私のすべてだったと思う。ちなみに「ソノシート」とはペラペラしたレコード盤であの頃は幼児雑誌などの巻末に袋とじされたソノシートというのが付録としてついていた。

正直そのころの記憶はあまりないが、私はよく尾崎紀世彦の「また逢う日まで」を家族の前で歌っていたようだ。この曲は1971年の日本レコード大賞受賞作であったことから、たぶんテレビでよく流れていたのだろうと思う。

小学生時代

当時は、黒柳徹子と久米宏が司会をしていた「ザ・ベストテン」を筆頭としてたくさんの音楽番組があった。また日曜日のお昼に放映されていた「クイズ・ドレミファドン」という番組があり、その中でイントロを流して早押しで曲名を当てるという「イントロクイズ」が始まるとテレビの前で早押しごっこをしていた。このころは音楽を録音するといった技術がなく、録音ができるラジカセをテレビの前に置いて録音ボタンを押すなんてことをしていた。話し声や日常生活の音が入ってしまうのがお約束。歌を練習するためにそんな努力をしていたことを思い出す。

このころは、爆発的に流行っていた「ピンクレディー」。ミーちゃん、ケイちゃんといった可愛くまたスタイルのよい二人組がおそろいの衣装で踊りながら歌う姿は日本中を虜にした。学校では「私ミーちゃん」などといってはモノマネをして歌ったりした。

ピンクレディー以外ではツイストを挙げたい。ツイストは私というよりは当時仲良しだった友達が好きだったバンド。小学6年生の修学旅行。小学生のため就寝は21時に設定されていたが、お泊りということで興奮して眠れないもの。部屋のみんなでテレビをつけ21時から始まるザ・ベストテンを見ていた。ツイストの「銃爪」がめでたく一位となったことで、友達が大騒ぎをしその声が廊下に響き渡り、先生がやってきて「全員正座」までがセット。よくある修学旅行の姿であるが、今となってはいい思い出だ。

中学生時代

80年ごろには松田聖子、河合奈保子。田原俊彦。また82年には「花の82年組」と呼ばれた中森明菜、小泉今日子、シブがき隊と今でも名前を聞けば「知ってる」というアイドルがたくさん生まれた。

当時は「明星」「平凡」といったアイドルたちの写真やインタビューが掲載された雑誌をこぞって買っていた。目的は「歌本」と呼ばれる付録でこれを見て歌詞を覚えた。私はどのアイドルも好きだったが、中でも「松田聖子」が好きだった。あの透明な声、見た目もみんな好きだった。美容院に雑誌の切り抜きを持っていって「聖子ちゃんのようにしてほしい」といってカットしてもらっては、仕上がりが全く違うと落ち込んだりしていた。骨格も違うしパーマをかけずにあの髪型にするのは無理があった。

そんな裏側では「オフコース」が流行っていた。クラスの中には「アイドルなんてダサい。これからはオフコース」といった大人びた友達がいた。今だったらyoutubeでライブが主流だが、あのころは「フィルムコンサート」というのがあり、その友達とオフコースのフィルムコンサートを見に行った。映画のような感覚だが、はじめての体験で興奮したことを思い出す。

高校時代

ハンドを組んだ。「アルフィー」の曲や最近亡くなった「ヴァン・ヘイレン」のジャンプのコピーバンドだった。とはいえアルフィーがとても好きだったのかと言われるとなんとも言えないが。あのころはバンドといえばアルフィーだった。高見沢さんのギターそのもののかっこよさや弾き方はすごいなと思っていた。ちなみに私はドラム担当だった。本当はキーボードをやりたかったけれどそのへんのところはこちらに書いてあるので読んでほしい。

このころになるとアイドル路線から安全地帯、尾崎豊といった曲を聞くようになった。恋の予感一つなかったあのころであったものの、どこか大人びたかったのかもしれない。

また洋楽(マドンナ、マイケル・ジャクソン)などを聞き始めたのはこのころだったような気がする。

大学生時代

バブル時代。世の中の大学生はディスコ(あの頃はそんな風に呼んでいた)に通っていたり、ちょっとハイソな合コンが当たり前の時代だった。しかし私の通っていた大学は男性9割といった大学。他の大学からお誘いがあるわけがなく、出会うこともなかった。そういう明るいところにはほぼ行かなかったが、a-haの「テイク・オン・ミー」などの「ユーロビート」はよく流れていた。

また、当時付き合っていた彼が好きだったため「BOØWY」をよく聞いた。しかしその彼とは別れ方が美しくなかったため、今でもBOØWYの曲を聞くと複雑な思いになる。またあのころは「プリンセス・プリンセス」「レベッカ」なども良く聞いた。

20代

新入社員のころだったと思うが、同期たちと旅行に行った際の車の中で聞いた曲に衝撃を受けた。それがDREAMS COME TRUEの「LAT.43°N 〜forty-three degrees north latitude〜」だった。

どんなに愛しても電話のKissじゃ遠い

そのころはそんな切ない思いをしたことはなかったが、その後遠距離恋愛をする私への暗示だったのかもしれない。

また、あの頃は誰もが「月9」といったトレンディドラマを見ていた。「東京ラブストーリー」「101回目のプロポーズ」「ロングバケーション」が放映されていたときは、火曜日の朝の話題は「昨日のドラマ」の話で盛り上がり、それらのドラマの主題歌はセットで好きだった。小田和正の「ラブストーリーは突然に」、CHAGE and ASKAの「SEY YES」、久保田利伸「LA・LA・LA LOVE SONG」

東京ラブストーリーの最終回は愛媛が出てくるが、私の遠距離恋愛を終わらせたのも愛媛だ。彼を吹っ切るために愛媛まで行き、東京ラブストーリーでリカとカンチが巡った遊園地に一緒に行った。今でも「ラブストーリーは突然に」を聞くとそのころの切なさを思い出す。

それ以降

それ以降でまとめてしまったが、それ以降になるとなぜか曲と思い出がつながらない。もちろん大好きなアーティストや曲はたくさんあり、CHEMISTRYやMr.Children、宇多田ヒカルは大好きで今でも良く聞いている。

結婚して子供が生まれ、その後離婚してという人生の大きな岐路はあった。その間幸せな期間があり、きっと音楽を聞いていたと思う。ただこの激動な現実はそれまでの記憶すら忘れまた音楽に逃げる余裕がなくなってしまったのかもしれない。

ただそんな中、この先の生活、仕事をどうしようかと思ったときにSOULHEADの「空」という曲に出会った。

仰ぎ見れば清々なるこの空よ

いつも下をむいていた私が、上を向いてみようと思えたのはこの曲があったからだったと思う。

今はサブスクのおかげで、懐かしい曲から最新の曲まで、時代を関係なくあらゆるジャンルを楽しんでいる。かつてのように曲を聞くことに苦労がない今。思い出と曲が結びつくことは少ないかもしれない。

ただ、毎日気軽に音楽と接することができることはとても幸せに思う。

ささいな笹さんの#音楽の履歴書のタグをお借りしました。ありがとうございます。