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【「嫌い」のこころ分解】 「ネギ 」

最果タヒさんの「好き」の因数分解を読んだ。タヒさんの「好き」が見える化されておりとても興味深かった。感想を伝えるのが下手なためこれ以上の言葉がでないのがとても悔しい。

今回のタイトルは完全にパクったとしか思えないタイトルである。本当は「嫌い」の因数分解にしたかったが、それだと訴えられてしまうかもと思い考え直すことにした。一応元リケジョということで化学分解や電気分解、熱分解という言葉を考えたが当然薬品も電気も使わない。ということで、唐突だけれど「こころ」を使うことにした。

「好き」ではなく「嫌い」について書こうと思ったのは単に好きなものを語るのが苦手だからである。恥ずかしいとかそういうことではなく、感想を伝えるのと同じで「すごい」とか「とても美味しい」など「感嘆文」一つで済んでしまうようなことしか言えない。

また、私は「嫌い」が多いことを自覚している。ただ人と比べたことはないから普通なのか本当に多いのかはわからないが、やはり「嫌い」は少ない方が幸せなんだろうと思う。「嫌い」が多い私の「嫌い」を見える化したら、もしかしたら「嫌いでなくなるかも」しれないという願望を込めている。とてもまどろっこしい言い回しとなってしまったが、簡単に言うと「嫌い」の理由を書きだし克服できないかどうかを検討したいということである。

食べ物についての「嫌い」は子供のころから多く、よく「大人になると食べ物の好みが変わるから嫌いだったものも好きになるよ」と言われたが、その大人と呼ばれる年齢になってから相当の年月が経っているにもかかわらず子供の頃に「嫌い」だった食べ物は今でも変わらず「嫌い」で成長が感じられない。

その「嫌い」にもレベルがあり「嫌いだけれど何とか食べられる」「どうしても生理的に食べられない」の二種類があり、今回のテーマの「ネギ」はどちらかといえば「どうしても生理的に食べられない」に分類される。そのため、もしオニオンスライスが目の前に出されたら、人の目を盗んでさり気なく10cmほど自分から離すだろう。

どうして「ネギ」が嫌いなのか。

物心ついたときから嫌いだったし、嫌いな食べ物と聞かれたら速攻「ネギ」と答えてしまう。ネギに限らず臭いの強い食べ物が全体的に苦手ということもあると思う。ネギの臭いをうまく言語化することができないが、一言でいうと「ネギ臭い」から嫌いなのである。

嫌いなものに対しては敏感になるというのが鉄則であることから、ネギという言葉だけで耳が拒否し部屋にあるだけで息を止めてしまう。そして口に入ったときの「ネギ―――」と主張するあの辛さと口の中で充満する臭い。何をとっても嫌いとしか言えない。そのため今までの人生でネギと名の付くものはすべて避けて通ってきた。いやネギという名がついていなくてもネギっぽいものには手を出さなかった。玉ネギ、長ネギはもちろんのこと、ワケギ、ニンニク、ラッキョウ、エシャロットなど自分から食べたことは一度もなかった。

ネギの辛さや臭いの元は「アリシン」という成分らしい。「アサシン」と空目してしまったが、どうやらこの「アリシン」と私は勝負しなくてはいけないらしい。

ネギ嫌いの私が日常生活をしていく上で、その「アリシン」と勝負、要するにネギが口に入ることを回避しなくてはならないが、その努力は涙なくては語れない。

ラーメンを例にすると、細かく刻まれたネギはすべてレンゲと箸で上手にすくい空いている小鉢などに移す。しかしそういった小鉢などない場合はどんぶりの縁に追いやって食べるもののこれが案外と難しい。どうやってもネギが私に寄ってくるのだ。どれだけ私のことが好きなのだろう。私は嫌いなのに気がついてくれない。

※(参考)ラーメン

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それでも見えるネギはよけることで解決する。問題は隠れているネギである。例えばポテトサラダ。かなりの確率で玉ねぎが入っているが目を凝らしてもその玉ねぎが含まれているかわからないことが多い。スーパーやコンビニで購入するときには必ず原材料表示を見て「玉ねぎ」の記載がないことを確認する。しかし原材料表示のないレストランなどでの外食の際はそれがわからない。外食でポテトサラダ単体で注文することはないが、付け合わせとしてついてくることが多い。まず目の前のポテトサラダをほんの少量を取り口の中に入れ毒見のように試してみる。玉ねぎが入っていないとわかればそのまま食べ続ける。しかし玉ねぎが含んでいるとわかった場合が問題で、一応大人なのでいくら嫌いだからといってもあからさまに口から出すことは躊躇するため、とりあえずお茶や水で飲み込む技を使う。そのため外で食べるときはイチかバチかの賭けであり、ポテトサラダに申し訳ない気持ちになる。

※(参考)ポテトサラダ

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ちなみに、大根サラダも大根と見せかけて玉ねぎだったり、また透明なキャベツかなと思ったら玉ねぎだったりと姿を隠しながら存在する玉ねぎはやはり「アサシン」なのではと思う。

しかし、私の知っている大人はネギ好きが多い。料金を追加してまでネギを増量したり、ネギ焼きというものをわざわざ注文して食べたりしているのだ。だからというわけではないが「ネギ」の存在を認めなくてはいけないと思いはじめている。例えばカレーは玉ねぎを入れることで自然な「甘み」が出てスパイスの辛さと合わさることでとても美味しくなる。実は何度か玉ねぎなしのカレーもチャレンジをしたことがあり、最近ではカレールーそのものが美味しいのでそれなりの味には仕上がるが、やはりなにか物足りない味になってしまう。これは玉ねぎ入りのカレーに軍配を上げざるを得ない。

※(参考)カレー

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そして長ネギは風邪によいといわれている。小学生のころ冬になるとネギを首に巻いて登校している同級生がいた。正直ネギを巻いてきた日は教室がネギの臭いが充満して近寄れなかった。何度もでてくるこの「アリシン」成分を食べることで風邪に効果があるらしい。首に巻くことの効果はわからないが、「アサシン」のような「アリシン」は私にとっては嫌いであるが、その効果は侮れない。

※(参考)長ネギ

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また玉ねぎは血液をサラサラにするという。またここでも「アリシン」だ。このアリシンは血液が固まるのを抑制する力があり、なんと高血圧、動脈硬化などに効果的らしく、また血糖値の上昇を抑える働きまであるらしい。先日の人間ドックで、若干血圧と悪玉コレステロール値が高めである私には間違いなく「アリシン」は必要な成分である。

そういえば、なぜかモスバーガーのオニオンリングだけは食べられる。しかしどのオニオンリングでもいいわけではなくモスバーガー限定。なぜ美味しいと思えるのかが不思議だ。家で作っても美味しくないし他のものではダメなのだ。きっと衣に秘密があるに違いない。だからといっていくら体にいいからといって、モスバーガーのオニオンリングだけを食べ続けるわけにはいかない。

※(参考)玉ねぎ

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だからネギは嫌いであるものの、これから年を重ねるにしたがってやはり摂取しなくてはいけない食べ物だろう。スープやカレーなどに入れ形が見えなくなるまで加熱をして調理する、またサプリメントなどで少しずつでも食していく。

そしてカレーとオニオンリング以外でネギ類を美味しく食べられ、しかも簡単に作れるものがあったらぜひ教えてほしい。

そろそろ「アリシン」との戦いをやめる決断をしなくてはいけないようだ。

そしてここまで書いたが、ただ嫌いを並べただけで分解できてないことがわかった。けれどここまで書くと前向きに嫌いと言え、克服も頑張れるような気がした。第二回目もあるかもしれない。

ちなみに、私の嫌いなネギたちはみんな「ネギ属ヒガンバナ科」に分類される。もう少し細かいことをいうと、ネギ亜科(ヒガンバナ科の亜科の一つ)というものに分類されるらしい。そもそもヒガンバナとネギが結びついてなかったが、写真を見比べるとネギの花と形が似ている。そう考えるとネギもかわいらしく見える。

※(参考)ヒガンバナ

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※(参考)ネギの花(ネギ坊主)

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