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妙齢のひとりごと(三大欲求論 「食欲」「睡眠欲」「性欲」)

一般的に三大欲求は「睡眠欲」「食欲」「性欲」と言われその中の「睡眠欲」「食欲」は生命維持のため必要であり、寝なくても食べなくても死に直結する。「性欲」を考えたとき「してもしなくても生きていける」が、地球レベルで考える「種」を増やすという意味で必要な「欲」である。

これらの三大欲求は個人差はあると思うが、年齢とともに少なくなるものではないかと思っている。それはカラダや頭の働きはどれだけ鍛えたとしても間違いなく老化を止めることができず、肉体的部分において「生」のこだわりがなくなっていくからと思う。

私なりの三大欲求論というほど大げさなものではないが、ひとりごと形式で書いていこうと思う。たぶん似たようなことを何度か書いているかもしれないが気にしないでほしい。

睡眠欲

毎朝4時半に起きる生活をしているが好きで起きているところもある。あと1時間は遅く起きても会社に間に合う。それなのにどうして4時半に起きるかといえば、電車で座りたいということと自分なりの「朝活」をするためである。まあただのんびりとコーヒーを飲みながらネットの中で過ごしているだけであるが、仕事のモチベーションをあげるために必要な時間。

たぶんまわりの人と比べると睡眠時間は短いのではないかと思う。ただ最近はカラダが慣れてしまったのかそれほど「眠りたいという欲」は少ない。しかしカラダは正直で日中眠くなったり頻繁に頭痛が起きることが多いため、一週間に一度程度は8時間寝る日を設けているがなかなか寝付けないことが多い。

そして、睡眠が短い上に眠りの質が悪い。一時間おきに目が覚めるの繰り返しで4時半の目覚ましで起きる生活が続いている。ネットで話題になっている「BARTH」や「グリシン」配合サプリなどを試してみるものの大きく変わらない。たぶん「頭」と「体」の疲労度が異なるのではないかと思う。「頭」は相当疲れているがデスクワークの私は「体」はそれほどではない。やはりいい睡眠を取るには「頭」と「体」の疲労度を合わす必要があるのだろう。

話を元にもどすと、睡眠欲は感情的にそれほど欲していないが、疲れがとれないことを考えるとやはり欲しているのだろう。時間よりも眠りの質をあげる努力。要するに「運動」を心がけしようと書きながら改めて思った。

食欲

もともと「食」に対しての興味は少ない。極端に言えばご飯の変わりに「チョコレート」や「プリン」を食べ、足りない栄養素はサプリメントから取ればいいと思っている。先日おすすめできないダイエット法の話を書いたが、食べない生活をすると今まで以上に「食」に対する興味がなくなり、食べたいから食べるではなく気分転換にコーヒーを飲むついでに食べるという生活をしている。

もちろんそれではいけないことはわかっている。そのためバランスを考えた食事を無理やり食べることはあるが自分の欲求ではない。しかし「食」と「心」は連動していると思う。心が疲れたと思ったときにはとにかく「チョコレート」が無性に食べたくなり食べることで落ち着いたりする。きっとこういう欲求も脳からのSOSなのだろうと思う。

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今の所、脳からのSOSが発信されるのは「甘いもの」だけ。この先それ以外の栄養素について発信されることがあるのだろうか。その時は逆らわずにいたいと思う。

性欲(R-18)

これから語ることは、あくまでも「私」の思う「性欲」というよりも「セックス論」。ちょっと大人の話をしようと思う。

(不快と思う方はここでそっと閉じてください)


男性と女性とでは「イク」の定義が異なるからかもしれないが、意味もなく「したい」と思うことは無い。年齢的に「新たな種」を残すことがないため性欲という「本能」が消えつつあるのかもしれない。

ただ、愛する人とのセックスはいつでも「したい」と思う。快感を得たいというよりも、どちらかといえばその呼吸や肌の感覚や香りまとわりつく感覚や空気感、そしてお互いの想いを共鳴させたい。心や頭ではなく何か別の部分で感じ取れることがある。不思議と涙がでて苦しさを感じる。それはもしかすると憑依した感覚に近いのかもしれない。

心と体を一体化させたい

それが「愛する人」との「セックス」なのだろうと思う。

この年齢になっても愛することについてわかっていない。たとえ恋人であったとしても「あの人は私」ではない。生きてきた軌跡や積み重ねた人生を自分の中に受け入れることは難しく、また踏み込んではいけない部分もある。そんなふうに色々と諦めてしまうのは大人になりすぎてしまったからだろうか。

それでも、同化したいと思うことが本能的に愛するということかもしれない。

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今の時期、あの人と会えないと思うと寂しさや切なさを感じる。心はつながっているとわかっていてもただ触れたくてその存在を感じたい。あの人を自分の中に取り込みたい。

だから時々はあの日のことを想像し一人で感じることもある。

これも「性欲」という本能の一つではないかと思う。