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運命だった箱根neighbor's camp。参加した今、今までにないくらい、ワクワクしている。

今までにないくらい、ワクワクしてる。
ワクワクしてて、キラキラしてる。
それはもうどうしようもないくらい強くて、大きいパワーで。
爆発できそうなくらい、ワクワクしてる。

自信を持ってこう書けるのは、あるイベントのおかげです。私の物語を、読んでください。


1週間前、箱根neighbor’s campに参加してきた。
それは、私にとって大きな旅であり、挑戦であり、恐怖でもあったし、心のどこかでここに賭けていたとも思う。
私が変われる最後のチャンス、私がまたワクワクできる最後のチャンスだと、自分で思っていた。

"ワクワク”を誰よりも大切にしていると言っているのに、Twitterのユーザーネームに”ワクワクハッピー”って書いているのに、全くそんなことなくて、常に目の前にあることと向き合って終わる日々で、ワクワクなんてしていなかった。し、このままだったら、未来にワクワクを持つこともできていなかった。

このモヤモヤを抱えながら、惰性でインスタを見ていたら、ストーリーの広告にこのイベントが流れてきた。
言葉には表しきれない、体の中が掻き立てられるほどの衝撃が走って、ワクワクした。直感でしかないけれど、ただ、ここしかないと思った。

挑戦

でも、日程も価格も、私には厳しいものだった。
途中参加途中退出OKだけれど、7月22日から31日という授業を休むことになる日程。行くなら中途半端に土日だけなんてしたくなかったから、授業は必ず休むことになる。
1日に33000円かかる参加費。徳島から箱根に行くとなると、交通費だってもっとかかる。
正直、これを知った時は応募するのを諦めようと思っていた。私のワクワクは、結局ここで参加しないで失くなって終わるんだって思った。でも、まだそのワクワクを諦めたくない自分もいたから、先生に相談してコンテンツを見せたら、「絶対参加した方がいいよ。これは授業を休んででもいく価値がある」と言ってくれて、授業を休むことは挑戦ハードルにならなくなった。
残るは参加費。ホームページを見ていたら、奨学金がイベントから出ると書かれていた。家庭環境やその人の熱意によってランクが変わるようで、私は両親と「ランクAが取れなかったら参加するのは諦める」と約束して、応募することにした。

その応募の締め切りは7月2日23時59分。イベントを知ったのはその前日の7月1日で、作文課題を次の日に提出しなければならなかった。
でも、なんだか行ける気もしていた。それに、これに参加できなければ私はずっとこのままだと思ったから、何がなんでも行きたかった。それでも、締め切り3時間前の21時になっても、まだ文章は書けていなかった。
それは、行きたい理由を作っていたから。
まず紙に書いて、まとめて、そして文章を書こうとしていた。完成された、綺麗な理由じゃなければ選ばれないと思っていたから。「こんなやりたいことがあって、それのヒントが欲しい」「こんな話をしてみたい。」「こんな人と繋がりたい」とか。
でも、私はやりたいこともないし、夢もない。大人や仲間にどんなことを聞きたいのかもわからないし、どんな人と繋がりたいのかわからない。
だから、頑張ってやりたいことを残りの短時間でみつけて、綺麗な理由にして応募しようと思っていた。

でも、やりたいことなんて短時間でみつけられないし、どれだけ悩んだって、綺麗な理由は出てこなかった。いや、正確には、理由が出ても、私の「100%の気持ちじゃないと出したくない」というプライドが許さなかった。

時間は、刻一刻と迫っていた。
それに合わせて、焦りがどんどん増えていったし、諦めモードに入っていた。

そんな時、寮生活だから、たまたま通りかかった先生に今の状況を伝えた。
そしたら、
「今あなたがやるべきことは書くことだよ。それで受かるかは関係ない。みんな一緒。ただ書かないと何も始まらないでしょ。あと3時間しかないんだよ。」
と、スパーンと喝を入れてくれた。
私は、この言葉のおかげで、「ふわふわしているから」「時間がもうないから」とか、言い訳をつけて、最初から挑戦するのを諦めようとしていたことに気がついた。そして、同時に今までもそうだったかもしれないと思った。
やりたいことも、参加したいイベントもたくさんあったはずなのに、ふわふわした思いを伝えたくない、なんて恐れて、挑戦するのを諦めてきたのだ。

なら、そんな自分を変えるのは、まずこの課題に等身大の自分の言葉で書くことだと思った。

実際の文章の一部

そして、応募フォームを進めていったら、文章を載せる場所の下に動画を貼る場所があることに気がついた。
この時時間は23時30分で、やるか迷ったけれど、結局「やらずに後悔したくない」と思って、カメラを回した。
スマホの電源が落ちてしまったりハプニングは何個もあったけれど、なんとか8分の動画を撮って、23時59分に提出することができた。

そして、Aランク奨学金に合格することができて、参加できることになった。本当に、本当に、嬉しかったし、ワクワクした。

いよいよ

ワクワクと、ドキドキが詰まった7月21日。
交通費を最大まで抑えるために、夜行バスで行くことにしたから、授業が終わった後に神山町を出た。
バスの待ち時間は、参加者交流会があったから、それに参加していた。自己紹介シートで見て、ずっと話したいと思っていた人と少しだけ話せて、ワクワクが止まらなかった。

今回が初めての夜行バスで、眠れるかな?って不安になりながら、でもそれすらもワクワクしながら乗った。
翌朝の7時。八重洲について、どんどんワクワクに近づいていることに嬉しさが止まらなかった。
八重洲から開催場所まで行くのに、バスが渋滞で遅延して乗り換えられないかもしれない危機があったけれど、なんとか乗り換えられて、15時。
ワクワクが止まらない場所に着いた。

参加する時間は15時以降なら何時でも良いらしく、最初に15時から集まった参加者は私含め4人だった。
少し話し自己紹介がてら話していると、ダンボールが会場にたくさんあって、まだ準備が整っていないことに気づいた。
それを見ているだけなんてできなかったから、「みんなで準備お手伝いしましょ!」って誘って、私のこのワクワクイベントは、お手伝いからのスタートになった。

お手伝いしながら、みんなと話しているうちに、どんどん仲良くなって、すごく楽しかった。

準備が終わる頃には、他の参加者やメンターの大人も続々と増えていて、音楽をしている人たちが来たから、そこにいって一緒に歌ったりしていた。

そのあとは、夜ご飯作りワークショップ(リゾット美味しかった)があったり、ずっと楽しみにしていた「本気プレゼン、本気フィードバック」があったり。
夜までずっと誰かと話していた。

でも、この日は、「楽しかったけれど、なんだかよくわからない」が、私の素直な感想だ。期待値が高すぎたのもあるし、参加者人数もそこまで多くなかったのもあると思う。
ワクワクしたけれど、少し、「これ、私が参加する価値はあるのだろうか?」と失礼だけど不安になった1日目だった。

でも、そんな不安は最後には忘れるくらい、もっとこのイベントが続けば良いのにと思うくらい、すごくすごく楽しいイベントだった。
時系列ではないけれど、ワクワクの思うままに書こうと思う。

自分

私は、自分のことが好きではなかった。
容姿も、性格も、考え方も、具体的に考えられないところも。ふわふわしているところも。すぐ諦めてしまうところも。
自分のことが嫌いだった。

でも、違った。正確には、
私は、自分のことが好きではないと思っていた。
自分のことが嫌いだと、暗示をかけていた。

それは、自分のことが好きなんて、かっこ悪いと少し思っていたから。他の誰かが自分で自分を好きと言っていたら、いいなぁと思いつつ、なんかピリッとした感情を持っていたのは、この「かっこ悪い」が自分の中に染み付いていたからだと思う。

でも、私は今、自分のことが好き。胸を張ってはまだ言えないけれど、私は自分のことが好きだと思う。
それは4日目の、落語ワークショップでのこと。

「否定しないでその場にあるものを活かし笑いに換えて受け入れる」という落語思考で、実際に自分の落語を作ってみようというワークをやった。

まず、そのネタとなる、”業”(理性によって制御できない心の働き。自分の好きではないところ)を4つ出した。

・気にしすぎてしまうところ
・めんどくさがりや
・素直過ぎるところ
・ちょろいところ

その時出した業

次に、出した自分の業をグループの人に伝えて、お互いに笑いやポジティブに変換しあった。
その時に、出した業を伝えると、「なんかそれ、変換しなくても、全部チャームポイントじゃん!良いことじゃん!」と言ってもらった。少し恥ずかしい気持ちもあったけれど、なぜかすごくすんなりと心に入ってきた。

「あれ、私これ自分の嫌いな部分じゃないかも。」
と自分の中でも、ある程度チャームポイントとして受け入れているのだと思った。じゃあ、何が自分の業なんだろうと考えたけれど、全然出てこなくて、「私、自分の嫌いな部分ないんじゃないか?!」と思った。

そう考えると、今まで自分のことが嫌いだと思っていたけれど、そう思いたいだけで、恥ずかしいだけで、実際は自分のことがちゃんと好き。
多分、認められたくて、でも認められないから、「自信ないです」って「自分のこと嫌いなんです」って言っていたんだと気づいた。

その時、初めて、強がることもなく、ただ自分の中から溢れるように、「私、多分自分のこと好きです」と言葉にして、伝えられた。
言葉にできたから、自信がついた。めちゃくちゃワクワクした。

自分を信じることができたから、自分を信じることができるから、今ならなんだってできる。こんなふうに、ワクワクでいっぱいになった。

このキャンプに参加する前まで、夢ややりたいことがないことに、ずっと焦っていた。周りを見れば、夢がぼやっとしてでもあって、やりたいこともあって。それを語る姿や、それに向かって努力している姿はキラキラしていた。

イベントに参加したら、必ず聞かれる「将来やりたいことはあるんですか?」「夢はなんですか?」正直言って、この質問がすごく嫌いだ。
『神山まるごと高専に入学した人=夢を持っている人』と言うのが、世の中にあるのかもしれない。だけど、私は持っていなかったから、「今はありません」と伝えるのが苦しかった。

それに、自己紹介の時に夢ややりたいことを話せれば、興味を持ってもらいやすいし、人とも繋がりやすい。

だから、いつしか「やりたいことや夢は、持っていなければならない」という固定観念・鎖が生まれていた。
なのに、やりたいことや夢は突然道端に転がってこない、すぐに手に入るものではないから、ずっと焦っていた。この合宿でやりたいことをみつけたいと焦っていた。

でも、そんな固定観念は、ブービーというおじさんの言葉がきっかけで大きく変化した。

「やりたいことは持っていたい人は持っていたらいいし、持っていなくてもいいなら持たなくていい。その人が幸せならそれでいい。」

あ、やりたいこと、なくてもいいんだって、重い鎖が自分についていることに気づいて、それを外すことができた。多分、この時にすんなりと持っていた固定観念を手放すことができたのは、その日タロット占いで教えてもらった「『〜しなきゃ』で動かなくていい」ということと、「今、この場が運命である」ということ。
だから『夢はなきゃいけない』をすんなり手放せて、心が軽くなって羽が生えたみたいだった。
し、ここは運命なんだから、もっとワクワクで動こう、やりたいことやろう!って思えた。

これは、私にとって、大きな大きな変化だった。

その日、本気コーチングというのがあって、参加者の中で1人、喜多さんのコーチングをみんなの前で受けられることになった。
喜多さんは、話の内容を聞くのではなく、その人の声のトーンに注目して聞いているようで、喜多さんのコーチングは、その人の強い思いを引き出す(それを声のトーンが高くなるまで何回も聞く)方法だった。

「学校をつくります。神山まるごと高専よりも、面白い学校をつくります。」

その人は、最後に、こう言った。喜多さんに何回も深く聞かれて、最後、力強くこう宣言した。声のトーンや纏っている雰囲気から、それが心の底から溢れ出てきたものなんだと、その場にいたみんなが感じ取った。

素直に、かっこよかった。
夢を、声を震わせながら伝える姿が、かっこよかった。

私はその時、ブワッと溢れ出てくるものがあった。
夢に向かって努力することが好き。そんな姿を見るのが大好き。
夢を声を震わせて語るのが好き。それを聞くのが大好き。
夢を持っていた、あの時の自分が好き。
夢を応援してくれる曲が好き。

「私は、夢を持っていなくちゃいけないんじゃなくて、夢を持っていたい。夢を追いかけ続けたい。」

全ての重荷から解放された気がして、ワクワクが止まらなかった。

それから、自分の夢と向き合う時間はすぐやってきた。

次の日の夜、『本気プレゼン。本気フィードバック』の時間で、時間になってもあまり人が集まらないから、急遽変えて、1人がみんなに向けてプレゼンすることになった。

「やりたいことや、日本に提案したい政策をプレゼンしてください。」

『プレゼン』が大好きだから、やりたいなと思ったけれど、やりたいこともなかったし、もちろん提案したい政策なんてなくて、躊躇っていた。
そんな私に気づいてくれた喜多さんが、マイクを私に向けて「やってみたら」と優しく言ってくれた。
「やりたいこととかないけど、いいですか?」
と聞いたら、「なんでも言ってごらん」と言ってくれて、前に立つことにした。

でも、とにかくやりたいことなんてなかったから、「未来を信じてほしい」というメッセージを伝えようと思った。プレゼン甲子園で出した予選動画と同じ入りで入って、最初は超フリーで話した。
そしたら、どんどん想いが出てきて、やっぱり私「学校を変えたい」と、心の底から溢れる言葉が出てきた。
中学生の時にも思っていた、「学校を社会に開かれた場所にしたい」という言葉が、もう一度出てきた。

でもそれだけじゃなくて、コミュニティスペースが必要のない世の中を作りたいとも思った。
コミュニティスペースでたくさんの大人と出会って、そのおかげで私の人生は変わった。生きれるようになった。
みんながその体験をすることができたなら、この世界はどうなるだろうか。
日本に、世界に、希望を持てるのではないか。
広い世界の中で、自分を生きられるのではないか。

コミュニティスペースがない世界は、学校が社会に開かれていて、そして子どもも大人も、みんな希望を抱いているとワクワクした。

夢がどんどん見えてきた。
あの感動とドクドクは本当に気持ちよかったし、聞いてくれていた人たちが泣いてくれているのを見て、「届いた」と思った。すごく、すごく、嬉しかった。

私は、学校を、もっと社会に開かれた場所にしたい。
人と人がもっと繋がりあって、思いと思いも繋がりあって。
やりたいことはあってもなくてもいいけれど、「未来にワクワクして信じてほしい」この私のわがままだけは、社会に訴え続けたい。

中学生の時、一度諦めた夢を、もう一度追いかけることにした。

夢と、辛いことがあっても、何があっても、向き合う覚悟ができたこと。
胸を張って伝えたい、届けたい思いとワガママがはっきりしたこと。
これ以上に嬉しいことはなかった。

音楽

これをこのnoteに書くか正直迷った。
すでに8500文字も書いているのに、(もう他のセクションは書き終えている)多分これを書くともっと長くなって1万文字を超えてしまう。でも、大切な思い出で、音楽を通して自分と向き合ったからこそ得られたものがあるから、字数なんて気にせず書こうと思う。

このキャンプでは、自分の夢や人とも向き合ったけれど、何よりも音楽を楽しんで真剣に向き合った。
初日から歌っているし、最終日までずっと歌っていた。

大体歌っていたのは「パートオブユアワールド」。
神山の友達に影響されて、出発日からよく聞いたり歌うようになった曲。

最初は、ずっと大きな声で歌っていた。
元から声が大きいのもあるけれど、認められたくて、みんなに聞いてもらいたくて、自分でも気づかない内に大きな声で歌っていた。

歌は、私が誰かにはじめて認められたものだった。
誰かに「認められたい」「すごいと言われたい」という欲を満たしてくれるのは、歌だった。
だから、どんなところでも、ただ歌っていた。みんなに「すごいね」「上手だね」って言ってもらうために、歌っていた。

キャンプに参加していた、音楽をやっているナックは、本当に私が音楽を楽しめていないことに気づいていた。
「まだ、もうちょっと楽しめるね。今はまだ楽しみきれてないし、楽しめてないね。」
この言葉が、今でも心に残っている。私はこの時に、初めて自分の状態に気づいた。歌に対して思っている感情に気づいた。

そんな私が、心の底から楽しめるようになったのは2つ。

1つ目は、外で言葉なしでフリーに歌っている時。
大人たちが楽しく、サイファー(自由に歌ったり音を鳴らしてその場を楽しみながら音楽を生み出すこと)をしていた。
その調和は、本当に綺麗だし、楽しそうで、その輪に入りたかったけれど、調和を崩したくなくてずっと逃げていた。でも、これは失敗を恐れていることと一緒で、 そんな自分が嫌だと思ったし、変わりたいと思ったから、マイクをもらって飛び込んでみた。
そしたら超気持ちよくて、楽しかったし、何より自分が求めていた場・時間だった。

2つ目は、ナックとのミュージカル。
外で歌ってたら、急にナックが来て、「パート・オブ・ユア・ワールド」を替え歌して即興ミュージカルをし始めた。
「わたしは、おじさん〜」って。
最初、意味がわからなかったけど、なんだかいける気がして、即興でそれに合わせて歌ってみたら、すごく楽しかった。
それが楽しすぎて、お互いミュージカルで話すことにハマって、夜に面白いことしかけようって計画した。おじさんラッパーと音楽で仲良くなるというストーリーで、練習でやった時は本当に最高だった。(どんなメッセージを伝えたいか?まで決めた)
その日の夜、計画を実行するために、場を温めていたけれど、全然ナックが入ってきてくれなくて、正直なんなんだって怒っていた。(ちょっとだけ笑)
結局、ナックのバイブスが上がらなくて、計画は実行されずに終わってしまった。それがすごく悲しくて、本当はやりたくて、みんなが少しいなくなった頃に、ミュージカルで自分の思いをナックにぶつけた。
そしたら、素直に自分の気持ちが出てきた。
綺麗な言葉じゃ言えなかった、心の底から溢れ出る「一緒にやりたかった」の気持ちが出てきた。
ナックはそれに乗ってくれて、結局ミュージカルで対話をした。
それが、本当に楽しくて、誰の目も気にせず、ただ自分の思いを伝えながら歌を楽しむことに夢中になっていた。
ナックはそんな私に気づいてくれて、ミュージカルが終わった後、「最高だったよ。心の底から楽しめてたね。」と言ってくれた。
それから最終日まで、ずっとナックと話す時はミュージカルで。それが本当に本当に楽しかった。

ナックは、いつだって私が何も気にせず「最高に楽しく歌うこと」を望んでくれた。

誰の目も気にせず、「楽しむ」
これを教えてくれた、一緒にしてくれた、ナック。
年齢差も気にならない、フラットに接してくれる超仲のいい友だち。
なんでも素直に話せて、ぶつかれる友だち。
ナック、本当にありがとう。

ナックと最終日に撮ったツーショット。思い出。

10分間の最後のプレゼン

最後のチェックアウト。
何を感じたか・感じているかをフリーで話す。
みんなは自分の変化や考えたことを話していたけれど、私は、「ただただ寂しい」と言うことを泣きながら、10分間話し続けた。

このチェックアウトが始まる2時間前。
大好きな仲間が、1人帰ってしまった。みんなでお見送りに行った後の帰り道で、涙が止まらなかった。前日にも2人帰ってしまって、人がどんどんいなくなっちゃうのを目の当たりにしたから、他に残っている人たちも本当にいなくなっちゃうんだと現実を突きつけられた気がして、すごく寂しかった。
一度は止まったけど、また涙が出てきて、止まらなくて、片付けのお手伝いも参加できないほどに涙が止まらなかった。

みんなでお見送りに行った時の写真

だから、もっと「寂しい」の他に語りたいことはたくさんあったけれど、前に立った途端止まっていた涙がまた溢れてきて、これしか語れなかった。

「私、今すっごい寂しい。ただただ、寂しい。」

このイベントで出会った人たちが大好きで、離れたくなくて、でも巣立たないといけないこともわかっていて、でもできるならもっと一緒に過ごしたくて。
いつ参加しても、いつ帰ってもいいから、入れ替わりがたくさんあって。人一人仲が良い人たちがいなくなっていくのを見て、巣立っていくのを見て、本当に寂しくて、苦しかった。 だから泣きながら、大好きな人たちのこと、みんなが大好きなこと、ただひたむきに語った。
綺麗な言葉になんかもちろんできないし、涙も止まらないし、でも、「とにかくみんなのことが大好きで、寂しい」ことを伝えたかったから、最後まで話し続けた。
そしたら、泣いてくれる人がいた。涙でほとんど見えてなかったけど、5人くらいは多分一緒に泣いてくれていた。それに、私の言葉を受け止めて、自分の感情や向き合いたくない過去と向き合ってくれた人がいた。

思い出しただけでも泣けてしまうほど、本当に、本当に、良い時間で良い空間で、大好きな人たちに届けることができた、最高のプレゼンだったと思う。

その後、喜田さんから「天才だよ。自覚した方がいい。」と言われた。「ただ寂しい」と言うメッセージを笑いと感動を交えながらちゃんと伝えた。本当に天才だよ。と言う趣旨だった。 素直に嬉しかったし、この言葉を受け入れられたことも嬉しかった。

やっぱり、私はプレゼンが大好きだし、素直に、自分の気持ちを表したいと思ったし、無理に論理的になろうとしなくても、感情的でいいと思った。感情的な自分を、今まで否定されることが多かったけれど、本当はずっと褒められたかったし、認められたかったし、このままずっと感情的な自分のままいたかったのだ。
だから、たくさんの人たちの前で感情に素直になって届けられたことが嬉しかったし、認められたことも嬉しかった。

私の強みは、感情に素直になれること。
それを素直に表して、届けられること。
そして、人を感動させることができること。

そのワクワクと、自分を信じる軸ができて、嬉しかった。

変えられる

でも、あの自分はあそこの場、あそこにいた人たちだったからこそなのかと思って、結局また戻ってしまうのかもしれないと怖くなった。
だけど、私はたしかに成長したはずだ。
タロット占いでも、3日目にでた未来のカードが、正位置で過去のカードとなっている。そうやって向きを変えることができたのだ。
そして、ここまでたくさんのことを言語化してここに書いていることが、何よりもその証拠で。
だから大丈夫だと、なぜか思える。
たしかに成長して、(成長しなかったとしても)価値観や自分が大きく変わったと胸を張って言える。

だから、きっと神山まるごと高専という、自分が恋した場所でもまだ成長できるし刺激を受けられる。

大丈夫。私は、今と未来を変えられる。

まだまだ

泣けるほど本当に大好きな仲間ができたこと。
最高に、大好きで、頑張っている姿や笑顔を見るたびに、私も頑張ろうって思える、仲間ができたこと。
大好きなアイスを一緒に食べに行ったし、アイスを1日に何個食べても笑って受け入れてくれたし、仙石高原に行って綺麗な景色と一緒に写真撮ったし、一緒に歌ったし。
たくさんふざけあったし、たくさん笑ったし、たくさん散歩したし、眠たいけど頑張って起きながら朝日を見たりした。
自分の弱さも強さも、たくさん話して、お互いを深く知り合った。
今でも話したり、活動を応援し合える、そんな仲間が大好き。

本当に出会えてよかったと、心の底から思うし、この仲間がいなかったら、経験できなかったことも、感情もたくさんあるから、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
もしこのnoteを読んでくれていたら、本当に、ありがとうと伝えたいです。

最終日

そして、ここで出会った同世代の人たちは、私よりもはるかに活動していて、考えを持っていて、軸を持っていて、かっこよかった。
キラキラしていた。

神山まるごと高専という学校に入って、口ではそうじゃないと言いながら「神山まるごと高専のネームバリュー」を使っていた。「神山まるごと高専」という新しくて、キラキラしている学校に入学した私は、すごい人間なんだと思ってしまっていた。

でも、実際は何も成し遂げていないただの16歳で、本当になんでもない、ただの16歳。
ちっぽけな16歳。

神山まるごと高専を飛び出して旅をして、自分の力を知ったのと同時に、未熟さを知った。

でも、だからこそ私はこれから頑張ろうと思った。
だって、今ワクワクしているから。

誰にも負けないくらい、ワクワクしているから。

私はまだワクワクできるし、まだ感じられるし、まだまだ表現できる。
伝えられる。
エネルギーを出すことができる。
行動できる。
変われる。
もっと自分を好きになれる。
狂うほど一生懸命に生きることができる。
目の前の人に影響を与えられる。

きっと、世界を変えられる。

よし、ここからまた頑張ろう。
パワーアップして1年後、また仲間と会うんだ。

私は、今も未来もワクワクで溢れてる。
世界は、今も未来もワクワクで溢れてる。

私はこれを信じてる。



p.s.出会ってくれた人たちへ

ここに書ききれないくらいのたくさんの経験は、間違いなく皆さんがいたからこその、唯一無二の経験です。
忘れたくない、忘れられるはずがないたくさんの言葉と、思い出が、私の中にはたくさんあります。
皆さんが1人でもいなかったら、できない体験があったと思うし、感じたことも考えていたことも違って、きっとこんなに熱量を持ってnoteを書くことができなかった。

私は、出会ってくれた皆さんが大好きだし、本当に感謝しています。
出会ってくれて、本当にありがとうございます。

できることなら、また会いたい。
お互いに変わって、パワーアップした姿で、また会いたい。

だから、私はこれから頑張ります。
見守ってくれたら嬉しいし、皆さんとまた再会できる日を夢見て、ワクワクアップデートし続けます。

本当に、ありがとうございました。大好きです。

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