それでもnoteのUXが最悪な理由
今年6月辺りであまりのUIの酷さにnoteを離れたんですが、 深津貴之CXOがカイゼンを始めてからかなり使いやすくなったらしいと聞き、久しぶりにちょっと触ってみたら確かに良くなっていて。
といっても以前のテキストUIの酷さはとてつもなく、標準的なブログ機能にはるかに劣る、「こんなこともできないのか!」「こんなバグほっとくのか!?信じられん!!」というものだったのでいちいち指摘し直したりはしませんが。
だってせっかくカイゼン中なんですから。
で、何を書くかというと……
しかしそれでもnoteには戻れないな、という理由を書きたいと思います。
ちょっと寄り道がありますから、まずは深津CXOのお言葉から始めましょう。
深津 人生でnoteを知った瞬間から、noteと完全に縁が切れてnoteのことを忘却するまでの、全部の認知・認識を素敵にするのがUXデザインなんですよ。
ユーザー体験とは単なるデザインではない。この言葉は、彼自身、こうした認識と確かな技術と豊富な経験を併せ持つ、優秀なCXOだと感じさせるものが十二分にあると思えます。
ところがその上で、noteのUXは最悪になります。
その原因は・・・・・・
加藤貞顕CEOです。
これまでも折に触れ何度かお伝えしてきましたが初見の方もいらっしゃるでしょうし、改めて。
まず、noteオススメ常連でもある評論家の宇野常寛さんにご登場頂きます。何の話かというと、剽窃・盗用・パクリの話です。
震災直後、私と宇野さんとの間に以下のようなやりとりがありました。
送った文章は科学技術の発展が人間像も社会像も変えるだろう、というもので、このようなキャッチフレーズがありました。
「私たちの生きる現実=拡張現実」
この原稿は結果的にボツになり、ブログで公開したのですが、原稿送付から数ヵ月後に発売された宇野さんの主著『リトル・ピープルの時代』の帯には、こう書かれていました。
〈虚構の時代〉から〈拡張現実の時代〉へ。
ん? んんんんん?!?!???
で、その後、「拡張現実」に関してやりとりが発生。
このように宇野氏は「拡張現実」を比喩である、科学技術と関係ない、と断言しております。
ところが。
情報技術の発展によって人間像や社会像自体を変えることができるのではないかという議論をこの対談でしています
三菱UFJリサーチ&コンサルティングの機関誌「季刊 政策・経営研究」2014/11 (2014 Vol.4)、とありますが、実質的に2013年1月発行の『PLANETS Vol.8』でパクってるんですね。正にそれに向けて投稿された原稿から。2年以内に。
また宇野さんは最近、拡張現実ゲーム「ポケモンGO」を扱った文章を書いていて、「おい、比喩どこいった!?」とツッコざるを得ません。
ひょっとして、「拡張現実」と「科学技術」をバラしてタイミングをズラしてパクってあとでくっつければバレない、とでも思っていたのでしょうか。
そんなわけないだろ。
さて、そんなお茶目な宇野さん(noteオススメ常連)なんですが、
この記事の直後にnoteに参入してきます。
↑ 一番古い記事のようです。
はい、繋がった。
ここで、加藤CEOと宇野さん繋がります。以前から知り合いだったのかは分かりませんが、後に書いた記事をきっかけに私がどういう事をやってきたか、宇野さんが何をしてきたかを加藤CEOは知ったのでしょう。
(一応リンクは張りますが、読まなくていいです)
恐らく加藤CEOは一連の状況から私のことを「カモ」と認識したのでしょう。
こうして、加藤CEOによるパクリが始まりました。
私による、前述の投稿記事の内容(宇野さんがパクった「拡張現実」の記事)。
人間の本性は本質的に変わりません
加藤CEOのコメント。
テクノロジーは変わっても、人間は変わらないから
私の記事。
永続するのは「価値観の多様化」「社会の急速な変化」「人間の欲求・欲望」である
今ある価値の多様化でも将来的な変化でも対応は同じ
(要するに普遍的なもの程身に付ける価値が高まっている)
加藤CEO。
10年で、自分のまわりの環境は何度もリセットされる。
当然、いろんな知識の学習は何度も何度もやりなおしになる。
でも、「新しい知識を学ぶ方法」とか「オブジェクト指向」とか、「物理法則」とか「人間とはなにか」のような、普遍的なことは古くならない。
いかがでしょうか。
ただ、悲しいことに、パクリに頼ると地力が伸びないのでパクってない部分の質が一気に落ちます。違和感バリバリの不自然さで。
しかもこれがオチで出てるからキツい。
私。
何をするにも「人」「物」「金」「時間」「場所」を確認する事
変えられるものを変える勇気と、変えられないものを受け入れる寛容さと、その2つを見分ける知恵を持つ事
加藤CEO。
まとめると、ひとは勉強することを意識しつづけると、わりとできる。あと、追い込まれると、けっこうできる。がんばりましょう。
ちなみに、宇野さんにも全く同じ症状が出ていますが、それはさておき、ここで深津CXOのお言葉に戻ってみましょう。
深津 人生でnoteを知った瞬間から、noteと完全に縁が切れてnoteのことを忘却するまでの、全部の認知・認識を素敵にするのがUXデザインなんですよ。
クリエイター支援を掲げる新しいウェブサービスを利用したらよりにもよって運営会社のCEOに目を付けられ、ネタをパクられ続けるユーザー体験、いかに優秀でも雇われCXOにはどうにもできない問題でしょう。
素敵さのカケラもないし、ボタンの位置やフォントのデザインなども無関係。
加藤CEOのやらかし(一種のヒューマンエラー)に対しては、深津CXOは無力なのです。
勿論、深津CXOの落ち度じゃありません。これを是正するには加藤さんがnoteから離れるか、ピースオブケイクのCEOを降りるかという人事的な措置しかないでしょう(パクリが習い性になった人は反省しません。当然カイゼンしません)。
というわけで、noteのUXは最悪になります。
最後にもう一度、深津CXOのお言葉を引きましょう。
深津 人生でnoteを知った瞬間から、noteと完全に縁が切れてnoteのことを忘却するまでの、全部の認知・認識を素敵にするのがUXデザインなんですよ。
私にとってnoteのUXは最悪ですが、それは私だけではありません。加藤CEOの所業を知った全ての人にとって、noteのUXは酷いものとなっています(残念なことにそれは事実に基づいています)。
今後、noteがどのようなカイゼンをテストするのか、期待して待ちたいと思います。
ただ、やはり現状加藤リスクがあるため、私はしばらく復帰を見送らせて頂きます。
お読み頂き、ありがとうございました。
前回はこちら。
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