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第17話「『消えろ』‘彼を呼ぶのだ!’『消えてくれ』」(批評篇・3) 西尾維新を読むことのホラーとサスペンス、ニンジャスレイヤー、そして批評家の立場と姿勢の話


前回はこちら。

(ご注意・本稿では西尾維新『十二大戦』『人類最強の初恋』のネタバレを含みます。閲覧の際にはあらかじめご了承ください。尚、表紙画像と本文は一切関係ありません。その下の埋め込みツイートはイメージです。また、登場人物や組織の実名は伏せられている場合があります。そして、明かしづらい内容は不明瞭な表現となっている場合があります)



(これまでのあらすじ・男は語る。ある人物の陰謀が、巻き込まれた者によって文化的営為へと昇華されていく姿と、その渦中、彼自身に生じた異変とを)

『十二大戦』(2015年5月)では天才性や強さが示される中で西尾の視点から見た僕の印象がキャラクター造形のモデルとなっているようだ。バトルものである為誇張、デフォルメが為されているのが当然とはいえ、「丑」(天才)が正しい事をできるのは「まず、正しいことをしようとするだろう?」「次に、正しいことをする」「以上だ」で全ての説明を済ませてしまうのは流石にオーバーではないか(僕は説明「しない」事はあるが説明「できない」事はあまりない)。せめてそれを訊き出す為に問いを発した「『強そうに見せるっていうのが、既に弱そう』」「『己を弱く見せること』」「それはそれで、とんでもなく極まった領域」の「寅」の方がまだ近い(それでも僕は見せたくて弱そうに見せてるわけではないが)。実際には選択肢を試す(複数のパターンを用意する)ので疲れて眠くなる「子」が(グレードが遥かに異なりはするものの)一番マシである。

前後するがシリース問わず西尾の作品においてある時期から「庇う」というモチーフが使用されるが、これは「過渡期の人」(仮称)が僕(「比」那北)を「傘下に収める」事を記号・意味論的に表したものと思われる(ゆえに「庇う」行為は成功せずに終わる)。見れば「丑」は「比」と「北」を融合したかのような形象であるし、西尾が予てより採用し行使してきたらしき、戦後日本物語文化の中核を担うと思しき歴史寓話の手法に依る。僕が「歴史」と「寓意」を中心概念とした仮説形成から理論化と体系化を目標として批評に取り組んでいる事に因んでいるのだろうか。「幸せ」「不幸」「幸運」なども以前と比較すればやや増加したようだが、こうした文化的に頻出するモチーフを以て「比那北『幸』を示すものだ」と記すのは勇敢さ以上にタフネスが要求される事のように感じられる。

言明する際、指摘する側から障害と見做されるのは、このような一般的で、ありきたりでもあるものに、異なる意味のものとして成立させながら、一般的解釈とはまた別の意味が忍ばされている時、「一般的解釈で理解できる意味でしかない」という反論を退けるだけの強度と説得力を獲得する術が整理されていないという点である。「眠気・睡魔」というモチーフの場合、僕が特に反応を示さなかったので手応えが悪いと判断されたらしく鳴りを潜めたようだが前記したように眠くなる程待たされたのは事実である為、今後このモチーフは再浮上する事も考えられる(と先んじて書けばそれをそのまま使う事はしないタイプなのが西尾という作者なのだが……{そのようなものだからこそ、批評的に開陳する事は難渋、若しくは徒労への諦念を踏み抜いて前進する強行軍なのである})。




(註・埋め込みツイートはイメージです)


『人類最強の初恋』(2015年4月)は戯言シリーズのスピンオフだけあって破天荒でスケールが大きく、衝撃と緊張が氾濫する内容で、そこに描かれるキャラクター達に内在する諸要素は圧倒的に誇張され、意想外に屈曲し、エキセントリックにアレンジされている為、最早ユーモラスでもあるのだが、ともかく挙げるべき内容とすれば「天才性」「人生相談」「質問ばかりで自由に話せない」「邪悪なアイディア」「言い訳から考えてんじゃねーかってくらい、後始末に関する隙がねーな」「誰も気付かなかったなんてことが、本当にあるんだろうか?」「知ってる奴がいても、公表しなかったって可能性だってあるしな」「コンプレックスの強いエリートって、どう対処すりゃいいんだよ」程度でよいだろう。他にもあるが、際限がなくなる。

西尾は何故か僕の能力を高く買っているようで(本当に何故なのか不明)、それに由来する諸要素を「天才性」や「強さ」と頻繁に結び付け、それについて時折西尾自身の願望を吐露するかのような表現が漏出しているようにも見える。書物を通じてそれを察する度、僕は当惑する。本当に天才なら10年前に大舞台で華麗にデヴューを飾っているだろうに。本作では人類最強に準えられるという過激なインフレーションを経由している為尚更、評価の具体性が想像できない。しかしながら同時に不幸で不運な事以外平凡と呼ぶべきキャラクターにもアレンジされているので、現状の相応、身の程が大きく外れる事なく反映している部分がない事もない。

1つの源泉からの汲み上げ方が過剰なので、なにかしら常軌を逸するもの――執着というよりは制約、規制、統御といった理性的、意思的なもの――の気配がはっきりと感じられる事だけは確かだ。何がそうさせているのかは措いても。

以上は読了時のツイート。『十二大戦』を2015年8月に、『初恋』を2015年9月に読了している。西尾の執筆時期と僕のツイートとの時系列上の整理をする事で西尾側がいつ何をどのように知ったかを推し量る事ができるかもしれないが、反対に西尾の過渡期の人(地雷)へのアプローチや、過渡期の人(地雷)から西尾への報告、説明の内容を読み取れるという点も強調しておきたい(惜しむらくは小説の執筆、発行と僕の読了、反応とのタイムラグだ)。




(註・埋め込みツイートはイメージです)


(第18話に続く)

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