見出し画像

何故だかわからないけど満たされないとき

何故だかわからないけど満たされないときがある。
夕飯のカレーをお腹いっぱい食べてあったかいコタツでぬくぬくしてるのに、心臓の底の方が空っぽになってしまっているとき。

そんなとき私は、つい図書館のオンライン予約サービスで手当たり次第に本を予約してしまう。
本屋で見つけて興味はあるけど買うほどでもなかったからメモだけしておいたやつ、数年前に直木賞を獲って世間の人がめっちゃ読んでるやつ、20代のうちに読んでおいた方がいいとされている自己啓発本。
ジャンルを問わず予約カゴにぽんぽん入れていく。
10冊ぐらい予約したら、心臓の底が50%くらいは満たされた気がしたので止める。

だけど50%はまだ空のまま。
どうやら私は普段からグラスに麦茶をなみなみ注いでいるせいからか、心にも満足感を表面張力いっぱいまで注いでやらないと気が済まないらしい。

残り半分はどうすれば埋まるのか。
考えているうちにいつの間にかnoteに行き着いてこれを書いていた。

書いているうちに気づく。
どうやら謎の空腹感の原因は、「新しく知識を得ること」や「目標に向かって邁進すること」と言った、若いうちに本来やっておくべき経験が自分に欠乏していると実感したからなのだと。

久々に開いたXのリア垢で、高校の同級生が学生起業して数億の金を動かしていることを知った。
ゼミの友人に「毎日ドラムの練習してるんかい」と茶化して言ったら当たり前のように「そうだよ」と返された。
YOASOBIの18祭を見たら、パルクールで世界1になりたいとかラッパーになりたいとか、立派な夢を語る若者が1000人も映っていた。

私はどうだ。
高校の同級生が起業してるなか、お気に入りのゲーム実況動画を繰り返し見てはケラケラ笑ってた。
ゼミの友人が毎日ドラムの練習してるなか、夢破れた人の忠告をXで見ては「物書きになる」という自分の夢を捨てた。
18祭の若者が目標に邁進するなか、家から近いとかワークライフバランスが良いとかつまらん理由で適当に就職先を選んだ。

だから本をいっぱい借りることで、読んでもいないのに自分が新しい知識を得られたような気がして少し満たされた。
noteに文章を書くことで、物書きになる夢が擬似的にでも実現できたような気がしてまた少し満たされた。

だけどこの空腹感が真に満たされる瞬間はきっと私の人生に訪れない。
本当はミシュランの3つ星レストランでお腹いっぱい食べたいけど、手が届かないから安物のカップ麺で無理やり満たしてるみたいな。
体積はあるけど密度はない。
そんな偽物の満足感だけで日々生きていくのだろうと思う。

だって私には、夢を叶える体力も精神力も、何より才能もないことも重々わかっているからだ。

まず体力がない。
寝ないで書くとか無理。
毎日8時間寝たい。

精神力もない。
自分の作品を否定されたら泣いちゃう。
シナリオ教室で発表するときは毎回手が震えてる。

そして才能もない。
この文章見てもわかるでしょ。
いつのまにか話が「目標に向かって邁進すること」だけにシフトしてて「新しい知識を得ること」の話はどこいってんって感じ。
文章構成力がないよね。
私としては、毎日きちんと勉強して新しい知識を入れ続ける体力も精神力もないってことを含有してるんですけど、この書き方でわかるわけないよね。

悲しいかな、こんな人間は、中途半端に夢を追っては無駄に傷つくだけであることが目に見えている。
だからはじめから求めない。
本当に欲しい物は指をくわえて見てるだけ。
でもいいんです。これが1番平穏に過ごせる処世術だから。

こう納得してるはずなのに、夢に向かって一心不乱に進んでいる人を見るとぬらぬらと嫉妬心が湧き上がってくる。
同年代で大成した人を見ようものなら吐きそうになる。
そんな権利、私にはないのにね。

いつか、夢に気づかないフリして社会に溶けこんでいく私を許すことができるのでしょうか。
たまに現実逃避するためだけにかりそめの夢を掲げ続ける私を愛することができるのでしょうか。

こんなことを考えてお腹が空くぐらいには、私はまだ若いらしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?