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能舞台で芝居2「コーカサス。。。」存在のカチッと感。

今日、「コーカサスの白墨の輪」最終日。

ほんの一瞬の戸惑いで、世界が消えた。悔やまれる。起こらなかった。見た目的には、昨日と外面的には同じようなことをしていたが、生まれたものは全然ちがう。やっちまった。その分、その後のことは在り方を変えて臨んだ。とにかく、無事に終わった。


ほんのちょっとの在り方の感覚で変わる。

在り方っていっても、まだまだ抽象的だ。今、私自身は、輪郭で捉えている。カチッと感がでる。おっ、自分に戻った。という感覚。

終わってから振り返ると、このカチッと感がずれてた。浮いてた感覚。

この、カチッと感覚。自分が今ここにいない時ははまらない。

ほんのわずかな緊張や考え事でもこのカチッと感はこない。

肉体と何かがはまらない。はまってないのはアストラルなんだかメンタルなんだかなんなんだかはまだ掴み切れないけど、体の輪郭がぼわんとする。ひどい時には、その感覚は限りなく希薄になり世界と私は関係ない人になる(笑)目の前の人さえ映画を見てるようで実感できなくなる。この感覚、わかる前は漠然とした不安を起こすだけだったが、気がついてくると我ながらにおもしろい。今、自分がいるかいないかの明確な基準にもなってくれる。


このカチッと感。在る状態。

はじめてわかったのは、トラウマ治療をしてもらった後のことだった。治療が終わったとき、目を開いた瞬間、あっ、自分に戻った。という感覚がやってきた。びっくりした。自分とのカチッと感。いやーどーもどーも、随分ご無沙汰してました。という感じ。初めて、あっ、自分に戻った。と感じたんだけども、「私ってこれです。知ってました。」という、不思議な感覚。体の輪郭がようやっとピタッとはまった。

その辺から、

ようやっと、あーなんか私ったらズレとるのね。という感覚がリアルに掴めてきた。そんで、今にいれるようになってきた。そんでもって、そんなんしてくると、演技でも生活のレベルでも何かが変わってくる。


日常で色々実験して精度を高みてみようと思う。もっと自分への微細な感覚が必要だ。



衣装美術家の方が、「能舞台は宇宙よ」と。カメラマンの方は「能舞台は神殿です」と。音楽家の方は「魔物です」と。


私にとっては、自分がどうあるのか?『在り方』に気が付き、育ててくれる場でした。

在る人には未知のものを見せてくれる場。在ることができない人には、まずはそこからね。とそれを際立てて感じさせてくれる場。

生きて交流してくれる存在でした。








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