授業開始、名刺

・大学の授業が始まった

始まって2週目に突入した。時の流れが速い。
教授陣によるトークショーや映画の上映会など、学内のイベントが多いのが弊学のよいところ。私はとある先生が主催しているものによく参加している。その先生と他学科の教授や外部ゲストが対談をする、というフォーマット。分野は文芸だったりファッションだったり様々だ。自分の分野じゃないから参加しない、だとやはり勿体ないし。他分野の人の話を聞いてるほうが共通点や色々な発見があったりする。主催側から私は「いつも来ている人」として認識されている。あと「いつも前の列に陣取ってる人」としても。いやあのね、後ろの方に座るとね、他のひとの私語が被って聞こえないことがあるんですよ、あと板書見えないと悲しいので(ド近眼)。「なんかいつも居る人」とバレているのはなんとなく居心地が悪い。トークショー(ほぼ)皆勤賞のくせに講演で得たことを生かせてないのではという劣等感にさいなまれる。いつまでもモラトリアムやってるわけにはいかないのでね、多少は全力出していきましょうね(いつも全力だけどね!?)。

・コンペ絵描いてる

今週締め切りのコンペがあり、それの絵を今描いている。本来だったら締め切り一週間前には終わっていたほうが安心なのだろうけれども、文化祭で絵画を出品した際、書類提出や制作などの作業に追われていたので10月に入らないと本格的にそちらの制作に入れなかった。あとそのコンペの存在を9月の終わり際になって初めて知ったのもある。

ここからは個人的な疑問。「過去の受賞作品ってどこまで参考にしていいんだろう?」。もちろんコンペごとの傾向を探るために過去の受賞作品を見ることはあるけれども、次第にその傾向に自分のやりたいことを捻じ曲げて強制的に「合わせよう」とする思考が働く気がする。これは私だけなんだろうか。それが怖くて過去作品の分析が上手くできない。自分がない、つまり作家としてこだわりたい部分がない、恐怖。最近はやっと自分がやりたい、どうしても譲れない部分がはっきり分かってきたので、今回のコンペの絵は(自信喪失してうんうん唸り周囲に励ましてもらいつつも)比較的効率良く作業できている。「自分にはやりたいことがない」という感覚は幻である、というか高校時代からやりたいことは見えていたはずなのに最近まで自信を持てなかった、というだけのことなのだろうと思う。今回入賞するといいな、結果発表は2ヶ月後か、それまで何描こうかな。

・名刺を作ろう

名刺がない。そのデメリットを最近になって痛感した。作家やクライアント(に将来なるかもしれない人)に対して渡すものがない。インスタとかXに載っけている作品見せりゃいいものでもない。ウェブや紙のポートフォリオだけでは足りない。小さくて持ち運べて、すぐアクセスできる連絡先が書いてあって、何よりもその人自身を表すアイテム。それが名刺。コミティアの打ち上げに同行したり、就活でちょっとした会食に参加したりした時に思ったのは、「お前は誰だ?」という自分自身への疑問。作家を名乗る癖に名刺一つない自分への劣等感だった。今書いてて思ったんだけどこいつ劣等感しかないんか?そうだよ。

学校の授業で一度だけ作らされた記憶があるが、あくまでも授業課題として提出しただけなのでクオリティはお察しの通り。今ならもっといいもの作れるだろう、同居人もコミティアのために最近作ってたからお手本はあるし。今描いてるコンペ絵が終わったら名刺を作ろうそうしよう。そこから始めよう。

それだけ。