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60点から始めたらいい|適応障害休職記

最近はまっているYouTube大学。

実はもともと「結構間違っている部分もあるよ」と人から聞いていたので、これまで存在を知っていながら見ていなかった。

それが一転。
最近毎日のように見るようになったのは、1つの気づきからだった。

家庭教師をしていた時の話

大学生の時、一時期だけ家庭教師をしていた。
その時教えていたのは理科で、電子についての単元も範囲に含まれていた。

中学だと、電子は原子の周りの電子殻という丸い軌道の上にあるというようなモデルで説明される。
しかし実は、大学レベルになると電子は電子雲という形で確率的に存在していて、厳密には電子殻上をくるくる回っているわけではないと教えられる。
(はず。もう学問から離れてしばらく経つのであってるか自信がない)

その頃の私は、その中学生の子に電子雲の話をした。
「電子殻って違うんでしょ。わざわざ最初に違うものを教えて、『実はそうじゃなかったんです』ってする必要なくない」と思って。

しかし、その生徒はきょとん(・A・)としていた。

なぜ、その子は理解できなかったのか。
当時、その本質がわかっていなかった。

私の説明がうまくなかったなと思っていた。
そして、その子が全体的に理科が苦手だったからなのかなとも思っていた。

でも最近YouTube大学を見ていて気づいたのだ。
「学習の最初は簡略化したもので一旦ざっくり把握する」というステップが大事なんだ。
ざっくり学んだ上で、もっと詳しく知りたければより理解を深めていく、というのが必要なのだ、と。

60点でも学ばないよりずっといい

これに気づいたのは、文学の回。
「この物語はこういうところがわかりにくくて挫折する人が多いから、その辺は端折って説明します」という断り文句が入ったときに、「そう!だから読めない!」と思ったし、「だからYouTube大学の説明はわかりやすいのか!」と気づいたのだ。

全体像が分かっていない状態で、さらにその部分部分が覚えにくかったら...
それは無理ですよ、挫折しますよね。ごめん、かつての生徒。

そして、大人の学びの場合は単なる「わからない」以上に深刻で。
学校の授業と違い、大人の学びだと「学ばない」という選択肢がある。
詳細で正確でわかりにくいものにぶち当たったら、その時点で「やーめた」となる。
それどころか「どれが最も詳細で正確なのか」を調べているうちにどうでもよくなる場合すらある。

その場合は、もう学びゼロなわけで。零点。

だったら、たとえ簡略化したものが60点でも、なんなら1点でも、学ばないよりずっといいと思うようになった。

勉強だけじゃない

そうして、「細かいところは正確ではない」という部分にも折り合いをつけてみるようになったYouTube大学。

最近始めた美容習慣もそう。
書籍に書かれたたくさんの美容習慣のうち、中田さんが「自分でもできそう」と思ったものが紹介されていたYouTube大学の動画。
さらにその中で、私ができそうなことだけをやっているので、全体の10%未満しかやっていないかもしれない。
それでも、やらないよりマシというか。少しずついい方向に進んでいるんじゃないかなと思う。

最近始めた体幹トレーニングも。
レストを多めにとっても、キープ時間が短くても。やらないよりマシなので。

完璧を目指して、結局行動しなくてゼロ点より。
不完全でも、60点でも、1点でも積み重ねる。
最近はそんな気持ちでいろいろやってみています。

「いつかやろうと思っていたけどできていない」よりは、「カンタンにだけど、始めてみたんだよね~」とか、「やってみて、違ったんだよね~」の方が精神的にもいいですよね。

ぜひこれをお読みのあなたも。
ぜひ不完全な一歩を踏み出してみてください。
そしてコメント欄で教えてください。

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