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さらば長者町!『喫茶七番』でアンデパンダン展

フリーライター&イラストレーターの陽菜ひなひよ子です。

今日、2023年9月23日より、名古屋市中区のビジネス街・丸の内~伏見エリアの錦二丁目にある『喫茶七番』にて、『アンデパンダン 錦二丁目長者町ゆかりの作家たち』に参加中です。

会場:喫茶七番
 〒460-0003愛知県名古屋市中区錦2丁目7-7 オリマチ錦 1-A
 (地下鉄 伏見駅・丸の内駅 より徒歩約5分)
会期・時間 2023年9月23日(土)~10月22日(日)
平日:7:30-18:00 ⁡ 土日祝:8:00-18:00.
定休日:なし  
作家一覧:浅井 雅弘、天野 入華、伊藤 仁美、河村 るみ、澤口 憲浩、菅沼 朋香、武村 彩加、竹本 真紀、長者町錦コットンプロジェクト+神村泰代、寺尾 忠、Navin RAWANCHAIKUL、原 愛樹、陽菜 ひよ子、福田 良亮、ぶらお、前川 宗睦、松田 直樹、マツダホーム、宮田 雄平、村田 仁、ヤスハラ ヒロタカ、山口 渚、山田 亘、Rigo 23

※陽菜の在廊予定はありません


喫茶七番、および錦二丁目については、中日新聞広報誌コラム連載で取材しています。そのご縁で阿部さんにお声がけいただいて、展示に参加することになりました。


繊維のまち長者町


愛知県は繊維のまちでもあります。有松・鳴海しぼりや、尾州毛織、知多木綿など。「ガチャマン景気」(1950年ごろ)でウハウハ儲かった時期もあったそうで。

伏見にある繊維問屋街の名が、長者町繊維街。赤い文字のアーチ看板は長者町のシンボル。残念ながら、長者町繊維組合が春に解散することが決まり、このアーチ看板も撤去されることに決まったのです。

左)繊維街の象徴・アーチ看板と、おやつに買った鬼まんじゅう。
右)名古屋開府400年事業のマスコットのはち丸と長者町の「ちょうちゃん」と
名古屋市の目指す資源循環型社会の「ジュンちゃん」
(あなたは何?と尋ねたら本人も「わからない」。調べたら「金シャチ」なんだって)
2011/11/12 長者町ゑびすまつりにて


毎年11月に開催される「長者町ゑびすまつり」には繊維のいちが立ち、布やレースやリボンなどのお買い得品が並びました。名古屋に越してきた頃、帽子作家を目指していたわたしにとって、この市はお宝の山だったなぁ・・・。

チンドン屋さんもいた!


長者町には『長者町おじさん』がいて、似顔絵入り「千なり」(名古屋銘菓)を配っていました。その正体が実業家だと知ったのは割と最近。長者町おじさん、ホントに繊維長者だったのでした。

長者町おじさんに何をしてる人なのか尋ねると「長者町にいるお金持ち」とのお答え。
「彼(オット宮田)もおじさんのようになれるでしょうか?」と問うと
「まぁ、無理だろうね。わっはっは」と笑いながら去って行った・・・


何百回通い慣れた街で迷子になる


前置きはこのくらいにして。

搬入する作品を抱え、いざ七番に向かいました。わたくし、丸の内から伏見(錦一丁目)にはチャリ通勤していたこともあります。ここらは庭みたいなもの、と勇んで出発!ところが丸の内駅で降りたはずが、いつの間にか隣の伏見駅に!!

目の前に観光ホテルが見えて来た時は、目を疑いました。名古屋の地理に詳しい方なら、えええ?と思うのでは?

喫茶七番は両駅の間にあるので、完全に通り過ぎておりました・・・

そんなわたしをあざ笑うかのような真っ赤な空。キレイ・・・って撮ってる場合ではない。


ここには昼間しか来たことがないので、最後まで「ココであってる?」とドキドキ。名古屋は碁盤の目で気づけば同じところをクルクル回っている・・・これは名城線に続く魔界(※)に入り込んだか・・・?

(※名古屋市営地下鉄・名城線は環状線と枝分かれした支線からなる線。わたしの周りでは、どんなに確認して乗ったつもりでも、なぜかとんでもないところに連れていかれる人多数。東京の丸ノ内線みたいなもんか)

何とか到着する頃には真っ暗。

集合時間15分遅れで到着すると、まだ搬入はこれからだったので、ホッとして、イラスト仲間で今回唯一の知人・ネコさんこと澤口憲浩さんと近況を話す。たぶん、最後にあったのはコロナ前。お互い何とかやれててよかったね。


ほかのみなさんは壁面ですが、わたしはこのエリアについて取材した自著と広報誌を近くに起きたかったので、本棚の中にいれていただくことに。

左)入口から入ると、左のように本棚が見えます
右)左面真ん中の棚に飾られております
左奥の黒いTシャツは澤口さんの作品


会場にはオット宮田の写真もあります。探してみてね。


大いなる田舎に住んで12年


わたしは2011年まで東京に住み、東京を拠点に仕事していました。震災ではなくオットの闘病のために、慣れ親しんだ東京を離れ、自分の地元・名古屋にUターン。

ナゴヤは「大いなる田舎」と呼ばれ、よそ者を受け入れにくい土壌があります。「転勤族が住みたくない街」の筆頭だそうで。ちなみに住みたい街の筆頭は福岡だそうです。

一度受け入れられれば、家族のようになれるといわれます。そうなれば、かなり住みやすいはず。

わたしはナゴヤ人らしくなく、馴染むのに苦労したのですが、十年経って、こうしてまちのゆかりの作家として招待されるまでになりました。カメラマンのオットなんて道産子なのに今ではわたしよりナゴヤに詳しい。大したもんだ。

これも『ゑびすまつり』の想い出。いちばん左がオット宮田。(2014年11月)


9/25(月)、note公式「国内地域・記事まとめ」に選ばれました!







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