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アメリカの砂漠で10匹の犬に襲われた。

2023年5月7日、自らの夢であったアメリカ横断自転車旅が幕を閉じた。
スタート地点のサンフランシスコを旅立って12日目のことだ。

10匹以上の犬に襲われた。

両手足が傷つけられ、右足は全治1ヶ月の怪我。
左手には痺れが残り、治るのには半年を要するという。

正直、命が終わってもおかしくはない状況だったので、この程度で済んでよかったのかもしれない。

かなり怖かったが、このような体験はそうあるものではない。
忘れないうちにその時の状況をノートに書いておこうと思う。

アメリカ横断旅 12日目


その日は砂漠のオフロードを走っていた。

カリフォルニア州のKlamer junctionから40km東のBarstowに向かう。
その区間は自転車が通れる舗装道路がない場所もあり、仕方なくgoogleに案内されたボコボコの砂漠道を進んでいた。

これまでの経験からして、Google Mapの自転車ルートはあまり信頼ならない。
これまでの10日間の中でも、オフロードに連れていかれたり、通行止めだったり、最悪道が丸々消えていたりと、さんざん痛い目を見てきた。

今日も「No Bicycle」の標識を無視して高速道路に乗るか、Googleに案内された道をいくか悩んだくらいだ。
そこのインターチェンジから立ち入り禁止なだけで、高速自体は自転車でも通行可能だから、一瞬だけルールを破れば楽にBarstowまで辿りつける。

それでもルールを守り、google mapに示された下道をいくことにした。
普通の道路を案内してくれるかもと期待したが、やはり砂漠のオフロードに連れて行かれてしまった。

実際に計画していたルート

ガタガタと音を立てながら一本道をひたすら進んでいく。
ここまでの旅でタイヤのチューブは満身創痍。いつパンクしてもおかしくはない。

でも、景色は綺麗だった。
空は雲一つない快晴。どこを見渡しても空と砂と、砂漠植物しかない光景。
たまに見たことないトカゲが足元から道端へと逃げていく


まさに、こんな風景を期待していた。
いつか映画で見たような、カリフォルニアの光景。
高速を使わなくて正解だったかもしれない。

特に急ぐ理由もない。そう自分に言い聞かせて、ゆっくり写真を撮りながら先を目指す。

少し進むと道の向こうに黒い何かが見えてきた。

車だった。フレームだけ残してほとんどが焼けてしまっている。
周囲を見ると砂の上にガラスの破片が飛び散っていた。

ここより先の道は砂が深く、緩い上り坂になっている。
おそらく、砂にタイヤが埋まってしまって動けなくなってしまったのだろう。

中に乗っていた人はどうしたのだろうか。ここから人がいそうな施設までは5キロないが、ここら一帯は季節によっては40℃を超える。もし物資を持っていなければ、死んでしまうだろう。

そんなことを考えると、自分もそんな環境に身を置いているのかと少し怖くなってくる。
何かが起きても誰にも頼れない、命も保証されない。
誰もいない彼方まで続く砂漠の絶景は、そのような危険の上に成り立っているものなのだ。

舗装道路まであと少し。砂も厚みを増して漕いでは進めない。
荷物を積んだ自転車を手で押して坂を登るのは、少しキツかった。

いくつか小さな坂を上がると、一気に目の前が開けた。
奥には砂漠の山々が連なり、目下には広大な発電所のようなものが見える。

オフロードに入って3時間ほど、いよいよ終わりが見えてきた。
何もない砂漠の風景に飽きつつあったが、終わるとなると愛おしくなる。
自転車を止めてゆっくり写真を撮ることにした。

「こんな風景、これから先もたくさん見るんだろうな。」

そんなことを思いつつも満足のいくまで撮った。

発電所までの下りは、ほとんど自転車を押して進んだ。
砂利道を自転車が滑り落ちないように、慎重に。
Googleに登録されているのが不思議なくらいの凸凹道だったが20分ほどかけて、なんとか平地まで降りることができた。

これにて砂漠道クリア。あとはいつも通り漕ぐだけだ。
平地に出るとまた砂漠も見え方が変わる。それが面白くてカメラで撮った。
そして、この写真がこの旅、最後の写真となった。

前に目をやると小さなガラクタ置き場のようなものが見える。
そのような場所はgoogle mapにはなかった。

スマートフォンを取り出して、道を確認している、そのときだった。
ガラクタ置き場から動物の鳴き声がした。見ると十数メートル先のから数匹の犬がこちらを伺っている。

飼い犬か?それともガラクタ置き場に住み着いた野犬か?
どちらにせよ嫌な予感がする。

すると2〜3匹ほどの犬がこちらに向かって近づいてきた。

犬と私の間には高さ40cmほどの柵のようなものがあった。
それを超えてこちらに来ないことを願っていた。そこから出て来れば、いよいよ危なくなる。

しかし、犬たちはそれを軽々超えてこちらへ向かってきた。

「襲われる。」

そう確信した。

実はこの旅で一度犬に追いかけられたことがあり。そのときは500mほど追跡されたのち、逃げ切ることに成功した。もう一度、それと同じように乗り切れるかもしれない。

「とりあえず引き返そう。」

反射的にそう考えて自転車ごと後ろを向く。
しかし、後ろに広がっていたのは砂漠道。逃げられない。

そして、背中を向けたのがまずかった。
それを合図に犬たちの鳴き声が勢いを増し、一気に私めがけて走ってきた。

「漕ぐしかない。」

ゆっくり自転車進む自転車はすぐに犬の集団に追い付かれる。
荷物を突き始める犬、前に回ってこちらを威嚇する犬。

「なんだ、こいつら…」

そう言って自転車を漕ぎ続ける。

気づくと、フロントバッグからカメラが落ちそうになっていた。
これまでカメラは何よりも大切に守ってきたので、反射的にしまい直さなければと思ってしまった。
自転車を止めて一瞬地面に足をつく。
するとそのとき、一匹の犬が左足に噛みついてきた。

10匹以上の犬が自分を襲いに来ている。

この事実でもう完全にパニックになってしまった。

自転車を降りて何もない砂漠に向かって走り出す。
一匹も自転車に群がることなく、全てこちらに向かってきた。

何匹かが飛びかかってくる。
足を引っ掻いたり、腕に噛み付いたり。
恐怖で、痛みなんて感じない。

「ナイフ…」

急いで自転車に戻り、ナイフを探す。
ナイフは取り出しやすい場所にしまってあるはず。

探している最中も容赦なく犬は襲ってきた。
自分の体が傷つけられていくのを感じながらナイフを探し、なんとか取り出す。
取り乱して十徳ナイフの刀身を取り出すのもままならない。

「あっちいけ…」

なんとか刀身を取り出して向かってくる犬を次々ナイフで殴りつける。
それでも犬の勢いは止まらない。

切れてないのだろうかとも思った。
しかし、不意に目に入った犬の胴体はバッサリ切れて肉が見えている。
そんな体でも吠えながらこちらに向かって襲ってくる。

自分の体にも目がいく。
両手は血だらけ。右ふくらはぎの肌は抉られ、真っ赤な筋肉が見えていた。
黄色い液体のようなものも滲み出ている。

(これ、俺の体?これ、俺の血?)

見たことないような怪我、それなのに痛みを全く感じない。
まるで自分の体じゃないような感覚だ。

人がいるはずもない砂漠の真ん中。
血まみれの口で、こちらに飛びかかってくる犬の集団。

(あ…死ぬのかもな)

そう思った。

(人の終わりってこんなふうにやってくるのか。これまで色々積み上げて、就活もしたのに。その行き着く先がこの死に方なのか…)
(送り出してくれた家族は、友達は、俺が無事に帰ってくると今も信じているんだよな。こんな砂漠で犬に咬み殺されて死んだって聞くのかな、そしたらどう思うかな…。あぁ死にたくない、生きて帰らなければ)

いろんな思いが入り乱れた。

「いやだ…、こんなところで死にたくない」

この言葉をひたすら叫び散らかしてナイフを振り回していた。
ボロボロになっていく体を本能が動かしている感覚だった。

それでも助かる方法なんてわからない。
無限に迫ってくる犬、消耗し続ける体。
頭のどこかで無駄な足掻きだと認識していた。

しかしそのとき、目に人の姿が映った。
片手に何かを持って叫びながらゆっくりとこちらに近づいてきている。

その姿を見た一瞬で、いつもの世界へ引き戻された感覚だった。

「Help me!」

思いっきり叫んだ。
近づいていたのはかなり歳の行ったお婆さんで、右手にはライフルを持っている。
お婆さんは座り込む私のそばに立ち、周りを囲む犬に向かって「Go back home」と怒鳴った。

その途端、先ほどまで牙を剥いて襲ってきた犬たちが一斉におとなしくなった。
その場に立ち止まり、驚いたような表情をしている。

「Don`t move」

私にそう伝えると、お婆さんは犬をガラクタ置き場の方へと追いやり始めた。
犬はおとなしく指示に従って元いた場所に戻っていく。

私の体は血まみれで、今も血が垂れている。
まず服を脱ぎ、出血の激しい腕を服で縛った。
次に引き剥がされたサイクルスパッツで足の傷を抑え、犬が去っていくのを見ていた。

助かったのだ。
犬が視界から消えて、初めて自分が生きていることを実感した。
安堵感と共に傷の痛みが込み上げてくる。
左手は痺れはじめ、右足を負傷したせいで立ち上がるのもままならない。

犬を完全に閉じ込めると、お婆さんが戻ってきて救急車を呼んでくれた。
やはり襲ってきた犬はお婆さんの飼い犬らしい。他にもいろんなことを言っていたが、英語が苦手な私にはよくわからなかった。

事件直後に撮った写真

その後、救急車に搬送され、奇しくも目指していたBarstowに到着することとなった。
血と砂に塗れた体を拭いてもらい傷が露わになる。
幸い手と足のみに攻撃が集中しており、首や内臓など命に関わるところは無事であった。

一方、右足の傷は歩けないほど、左手は痺れてうまく力が入らない状態。
流石に旅を断念せざるを得なかった。

悔しい気持ちもあったが、それ以上に今、息をしているだけで嬉しかった。

あのときお婆さんが来ていなかったら、どんな最期を迎えていたのか。
もしお婆さんが昼寝をしていたら、咬み傷が動脈を捉えていたら、倒れ込んだ一瞬に首を噛まれていたら。
いくらでも終わりを迎えていたシチュエーションは浮かんでくる。

それを逃れて、今、息をしている。
「生きた」のではなく「生かされた」という感覚だった。

道中で出会った人の応援や日本の家族・友人の心配が形になって、抗う気力とわずかな運を手繰り寄せてきてくれたような。

普段はこんなことを信じないけど、今回だけは「思い」や「願い」の力を形あるものとして確かに感じ取れた気がする

本当に生きていてよかった。

当日に撮った自撮り

アメリカ横断。思えば初日はパトカーに乗って始まった。
その旅が12日目にして、救急車で運ばれるという形で終わりを迎えた。

こんな経験はもう金輪際ごめんだが、生き残ったなら儲けものだ。

良くもいい意味で、一生忘れることができない旅になった。


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