わたし休職してます 休んでみて変わったこととか、いままでのこと・これからのこと

 無名人インタビューでもお伝えした通り、わたしは現在社会人2年目でお仕事を休職しています。

 2023年1月現在は負荷のかかる活動を増やしてみるなど復職に向けた準備を開始してます。1月中には職場復帰できたらいいな…!



 結論から言うと、この休職期間はわたしの人生にとってかけがえのない時間になりました。

 そのため、もうすぐ終わりではありますが、休職に至るまでのこと、休職を経験した所感、これからのことなどについて、わたし自身の備忘録の意味も込めて記していこうと思います。


 明日も普通に仕事や学校に行くイメージが持てない方や休職を考えている方にこの文章が届いてくれたら幸いです。



休職の要因

 これ。
 復職するにあたって、自分は何が要因で働けなくなったのが(何が解決すればちゃんと働けるのか)を会社に説明しなくてはいけません。


 とはいえ、個人的にはいろんな要因が絡み合った結果休職に至ったのだと感じています。
 そういえば知り合いに説明する時は「それ1つでは致命傷にならない不幸が重なった」って言ってたな。

 そしてわたしが今思うのは、わたしは遅かれ早かれいつかは休職することになっていただろうなということ。
 あの状態ではいつかは働けなくなる時がくることは確実で、その「いつか」が偶然今だったというだけで。


 そんなことを考えつつ、休職の要因と思われるものを時系列で1つずつ挙げていきます。



環境変化に対する過度の緊張

 就職することによって環境が変化したり、自分自身が学生から社会人という未知なる存在に変わっていったりしますが、そういった変化に対して不安を感じてすごく緊張していました。


 わたしは特に、仕事が始まるにあたって自分の人生において大切なプライベートな時間をどうやって作っていけばいいのかということを考えていました。

 勿論仕事は一生懸命やりたいけれど、わたしの人生は仕事だけになってしまわないだろうか?
 自分自身が仕事だけになり、今まで好きだったものとか大切にしたいもの、やりたかったことを忘れていってしまわないだろうか?
 わたしはどうやって自分の人生をつくっていけばいいんだろう?

 おそらく、仕事という未知のものが生活の中に突如として登場して、その仕事に自分自身が侵食されてしまうのではないかという不安を感じていたんだと思います。


 とはいえ、変化に対する緊張や不安感は多くの人が抱くものかと思います。

 実際に仕事を始めて、休むペースを掴んでいったり、人間関係を構築していって仕事における自分の居場所のようなものを見つけていくことで、そういった緊張が解けていく可能性もあったんじゃないかと思います。

 しかしわたしの場合はちょっと特殊な職場環境でしてね…。



職場で居場所がない・人間関係を築けない

 社会人1年目で初めて配属されたのはとても忙しい部署でした。


 抱えている案件は大型のものばかり、メンバーは全員多忙、出張の為に会社に誰もいないこともしばしば。

 教育担当とされている上司も例に洩れず多忙で、本来やるべきOJTもほとんど経験できませんでした。何かやることはありませんかと尋ねると「本読んどいて」と言われるばかりでした。
 そしてそれ以外の上司や先輩もやはり多忙なので、新人は教育担当に任せておけという雰囲気でした。管理職でさえわたしの置かれている状況について把握していない状態でした。


 まだ若手の君に任せられることがあんまりないんだよね。若手のうちは経験によって能力が偏ってしまう事はあるけれど、そのうち経験するから気にしなくていいよ。大丈夫だよ。
 といったことをよく言われていました。
 なにも大丈夫じゃないです。

 しかし大丈夫じゃないと思いながらもこんな状況が1年近く続くことになります。

 あっ補足。
 上司がみんな忙しい中で、1年先輩の方はいろいろ気遣ってくれて、仕事を流してくれたり業務で使用するソフトの使い方を教えてくれたりしました。先輩の優しさには本当に感謝しているのでここに記しておきます。


***

 あの時わたしがもっと積極的に動けばなにか状況は変わったんだろうかと考えることもあります。

 でもわたしは、もっとちゃんと仕事がしたいと主張することがなかなかできませんでした。
 環境変化に慣れない緊張から変に神経質になり、与えられた少ない仕事にも過剰な確認や見直しをしているような、ちょっと変な精神状態になっていたせいかもしれません。

 上司や先輩があまりにも業務繁忙で休む暇もない様子を見ていて、自分もいつかはこうなるのかな、わたしの未来はどうなるのかな…と将来を悲観的に考えてしまったことも何も言えなかった要因の1つかもしれません。

 忙しそうな上司の手を煩わせたくなくて、あまり自分の意見を言わずに大人しく従っていたいという気持ちもありました。


 今から思うと、もっと働きたいとまでは言えなくても、なんにもやることがなくて辛いともっと沢山言っていればよかったなと思います。

 でも入社したばかりのわたしは、他の人が多忙な中で自分だけやることが無いのは自分が悪いせいじゃないかと思っていました。
 そのため、やることがないと伝えると怒られるのではないかと思い、業務関連の書籍を読むなどして、自分でどうにかやることを作っていました。
 この状況を誰にも相談できず1人で抱え込んでしまいました。

 これはこの時のわたしと同じ状況の人に言いたいのですが、仕事がないのは自分の生なんてことは絶対ないです。新卒で入社したばかりの人間が自分から仕事を作れるわけがないです。
 仕事を与えられないのは環境の問題が大きいと思います。
 でもあの時のわたしはそうは思えませんでした。


***

 多分本当にお仕事が忙しい方は、なんにも仕事を任せられないなんて楽でいいじゃんと思われるかもしれません。

 でも実際はそんなことなかったです。
 なんにもすることがなく、なんの役割も与えられず、自分になんの存在意義もなく、なんの意味もない時間を過ごし続けるうちに、わたしは正常な判断ができなくなっていきました。

 同じ職場にいる他の人達には何かしらの仕事が任されていて、役割があります。この場にいる意味があります。

 でもわたしにはありません。
 だとしたらわたしはどうしてここにいるんでしょうか?
 ここにいることにどんな意味があるんでしょうか?
 わたしがここにいるのは何かの間違いではないでしょうか?
 本当はここにいてはいけないのではないでしょうか?
 そもそも、こんなに無意味な存在であるわたしは、本当に今生きているんでしょうか?

 そんなことを気が付いたら考えていました。
 頭がおかしくなっていっていることを自分でも感じていました。


***

 この「自分の頭がおかしくなっていく」という感覚がすごく強くありました。

 まず、脳みそは不安と焦りと緊張で常に全力で高速回転しているけれど、回転が速すぎて上滑りしているような状態で、落ち着いてゆっくり考えるべきことが全く考えられない。
 脳みそのどこかは暴走していて、また別の部分は完全に機能停止しているような状態でした。

 身体は椅子に大人しく座っていても、頭はパニックを起こしていることがほぼ毎日のこと。

 そのせいか、仕事関係の書類や書籍を読んでも、情報が取捨選択されずに全て頭に入ってきてしまい、処理しきれなくなってしまいます。



 また、言いたいことは沢山あるのに、それを伝える言葉が全く思い浮かばなくなってしまいました。
 先述の通り、言葉を選ぶ時に使う脳の部分が全く機能していないような状態になってしまって。

 そのため、職場では言葉が上手く出てこずに黙り込んだり、喋るとしてもつっかえつっかえになってしまったりしました。こんなこと20年以上生きててはじめてです。

 明らかにわたしの中で異変が起こっている。
 しかし「助けて」「何かがおかしい」などのSOSが出せませんでした。どう助けてほしいのか、何がおかしいのかを伝えるだけの言葉を失ってしまっていたから。

 昔のわたしを知っている人なら、言葉が出てこないわたしの異変に気が付いたかもしれません。
 でもわたしは自分のことを知らない人に囲まれていて、最初から言葉を発することに苦労していたため、ただの無口な人としか認識されませんでした。


 他の言葉の問題とすると、「大丈夫?」「わかる?」と言われすぎて、「大丈夫」「わかる」とはどういう意味なのか、どういう状態だと「大丈夫」「わかる」と言っていいのかがわからなくなりました。

 同じ文字を書き続けるとその文字が分からなくなることをゲシュタルト崩壊といいますが、頭の中でそれが起こっている感覚でした。
 「大丈夫」が頭の中で無限に再生されていくうちに、「大丈夫」がゲシュタルト崩壊して、意味がわからなくなってしまったような。

 よく「分からないことが分からない」と言いますが、わたしの場合は「そもそも『わかる』とはどういうことなのかわからない」という状態でした。

 単純な言葉の意味さえわからなくなって、いよいよ自分はおかしいんじゃないかと思うようになりました。


***

 仕事を始める時のコンディションが良くなかった上に、職場でも自分の居場所を作ったり人間関係を築いていったりすることができず、さらに緊張や不安感が増幅することになりました。


 誰が悪いわけでもないし、将来いつかは無理が来て一度は休職することになっていたと思っています。

 でも、この部署でなければ社会人2年目という早いタイミングで休職することは無かったのではないかと思います。


その他自分の要因

 仕事がなんだかうまくいかないなと思ったわたしは、社会人1年目の11月に精神科で発達障害の検査を受けました。

 その結果、軽度ADHD、ASDグレーと診察されました。
 現在の主治医には、ASDはグレーではなく特性がそれなりに強いと言われました。わたしとしてもこちらの診断結果の方がしっくりきます。
 ADHDに関しては良く分かりません。


 大学卒業までとりあえずはやってこれたこともあり、果たして自分は本当に発達障害なのか?という気持ちもあります。

 ただ、他の人と脳を交換することはできず、他の人がどのような感覚で生きているのかを体験することはできないので、
もしかするとわたしにとっての当たり前の感覚が他の人にとっては当たり前ではないのかもしれないなとも最近は考えています。


 わたし自身もまだ得意不得意などの自己理解がしきれていない状態ですが、

  • 脳が高速回転しすぎて落ち着いて考えられないパニックになってしまう

  • 頭の中を整理することができず、業務に関して報告する際など話が冗長になり何を言っているのか分からなくなる

  • 新しい環境に馴染めず過度に緊張する、疲れやすい

 あたりは発達障害の特性によるものである可能性があるようです。

 そしてこの特性がきっかけで後々仕事が上手くいかなくなります。


2年目、突然の激務

 本社にいても仕事がなく、いよいよここにいる意味が見いだせないと思っていた中、とある上司の勧めもあり2年目から本社ではなく出張室のような場所に行くことが増えました。

 出張室にいる上司のもとでOJTを受けることとなり、これ自体は良かったと思っています。
 この出張先が無かったら、本社に残ったわたしはさらにおかしなことになっていたと思います。


 とはいえ、出張先に勤務地が変わることで、通勤は片道2時間弱に増加。
 例えば職場を出るのが19時でも家に着くのは21時を回ってしまいます。

 といっても19時に出られたらいい方で実際は帰りが23時過ぎることもしばしば
 睡眠時間は少なくなり、食事も適当になりました。

 さらには、多忙な上司に変わって案件を引き継ぐことになり、土曜日も家で持ち帰り仕事することも。ただでさえ人より経験が少なくて仕事ができない中で、どうやって仕事の責任を果たせばいいのかと日々悩んでいました。

 家に帰ってから何も考えずのんびりしたり、逆に今の状況を整理して今後のことを考えたりする精神的余裕がないことが一番つらかったです。


上司とのコミュニケーション破綻

 出張室に来ることを提案してくれた上司とも次第にコミュニケーションがうまくいかなくなります。


 わたしが経験不足で上司の言っていることをなかなか理解できないせいか、はたまたわたしの話が冗長すぎるせいなのか、
何か確認しようと話しかけても「だからそうじゃない」とつっぱねられたり、わからないことを尋ねても「だから○○だって言ってるだろ」と話を聞かずに会話を切り上げられたりするようになりました。

 あまりにも多忙であること、そしてわたしの力不足もあり、「この案件はそんなに大変じゃないはずだけどね」「こういうことは本当は1年目にやっておくべきだったよね」などのことを言われるようになりました。


 そんなことを言われても起こったことはどうにもできないし、わたしに八つ当たりしてもどうにもなんないですよ、というのが正直なところです。
 でも、わたしが能力不足なこともそんなに困難な案件ではないにも関わらず大騒ぎしていることも事実だと思ったので、愛想笑いするしかありませんでした。


 わたしを出張室に誘ってくれて当初は面倒も見てくれていた上司との関係が悪くなってしまったことは、本当に悲しくて申し訳ないと思いました。

 もしもっとわたしに知識があったら、判断力があったら、冷静に考えられる頭があったら、簡潔に話すことができていたなら、こんなに誰かに迷惑をかけることはなかったのでしょうか。

 でも、あの時のわたしにはどうすることもできませんでした。
 後から考えても、問題なく仕事ができる道は無かったように思います。


 上司も忙しいからわたしがこの仕事をちゃんとこなさなければ、責任をとらなければ、と思う一方で、自分一人では判断しきれないことばかりで、上司に確認を頼もうにも会話が成立せず、この仕事を一人で抱えなければ、いや本当に抱えきれるのだろうか、無理じゃないだろうか、でもやらなきゃ、辛い、こわい、誰か助けて。

 そんなことを考えていました。


自責感情

 今思えば、頭の中でずっと「どうしてこんなこともできないの」と自分自身に怒られ続けていました。
 自分で自分のことを哀れまなければ、自分で自分の心を殺すことも無かったのになぁ。


***


 こうして徐々に心身のバランスを崩していき、椅子にただ座っていることはできても仕事をすることができなくなり、座っていると涙が出てきたりトイレで時をやりすごすことばかりが増えていき、もう働けないと思ったところでさらに上の上司に申し出て休職に入りました。



休職を実際に経験して

過ごし方

 休職直前、常にうっすら微熱だったり、シャワー浴びるだけでのぼせたり、夜眠れなかったり、逆に薬を飲んだらテレワーク中に爆睡してしまったり、吐き気があったり、なんにも食べなくても平気だったり、体重が減ったり、生理がちゃんとこなかったりと色々体がおかしくて、あれ自律神経こわれた?という感じでした。

 が、休職が決まってから睡眠以外の体調不良はほぼ治りました。やったぜ。

 休職したては寝たり休んだりするという話もよく聞くのですが、わたしの場合は仕事中我慢していたことをやりたくてよく散歩に出ていました。
 あとネスタリゾート神戸に行って空飛んだりアスレチックで遊んだりしました。元気じゃん。絶対職場の人には言えない。

 今思うと、仕事中は頭は暴走して心は常に緊張しているのに身体だけは全く使っていませんでした。
 だから、身体を頭や心と同じくらい疲れさせてバランスをとるために、頭をからっぽにして身体を沢山使う活動をしていたんじゃないかと思います。


 一方で体は元気(=妙な興奮状態)であるためかあまり眠ることができず、土曜日は朝5時半から放送が始まるEテレより早く起きてしまいました。レイチェル・クーの料理番組とかよく見てました。

 あと当初は本が全く読めませんでした。頭に複雑なものをインプットすることが全くできなかった。
 代わりに文章を書いて心が抱えているものを文字にすることはできて、というか心が抱えているものを外に出さないと自分がしんどくて、朝も昼も晩もひたすらモーニングページを書いていました。


 精神科に通って発達障害のことさらに詳しく聞いたり、薬を飲んだり、明日香村に一人旅に行ったり。
 あと時間があったのでnoteの毎日投稿を再開したり。

 あと少女終末旅行にハマったのもこのころです。仕事という社会が生み出した複雑なシステムに適応できなかったわたしにとって、ただ食料と燃料を探して上に向かうだけのチトとユーリが大変そうにも見え、羨ましくも見え…。
 社会とか科学のことよりも哲学的な問いが沢山描かれている方が頭に入ってきやすかったんですよね。


***


 休職から1か月強経つ頃には、身体が頭や心と同じくらい疲れてくれたのか、ゆっくり眠ったり休んだりすることができるようになってきました。


 文字がまた読めるようになってきたのもこのころ。
 グーグルマップ開きながら市内の図書館に行って、ずっと読みたかった若松英輔さんの著書や池田晶子さんの哲学書を紐解きました。

 本を読むっていいですね。もし誰かにどんなに否定されたとしても、誰にも否定しきれない「わたしだけの部屋」がこころの中に生まれたような…。本を読んでいるとそんな感覚になります。

 図書館に行く・本を読むという習慣がついただけでも、この休職期間はわたしにとって意味のあるものになったんじゃないかと思います。
 特に、わたしって何?どうしてわたしは存在しているって言えるの?とかそのあたりの疑問でぐるぐるしているわたしにとって、哲学書を読むことがその疑問を詳しく観察する手助けになりました。
 わたしはずっとその疑問について考えたかったし、哲学と出会いたかったんだと思います。

 仕事が始まってからも、図書館に行ったり本を読んだりすることを続けようと思っています。


休職してよかったと思うこと

 いままで、「いざとなったら休職することもできる」と考えていました。もし仕事で死にたくなったとしても、死ぬ前に休職したり退職したりと打てる手はあると。

 今回それを実行したわけですが、ある意味「最後の切り札」の1つである休職を使った今、この先の未来に何か救いはあるんだろうかと考えることもあります。

 わたしは本当に休んでよかったんだろうか。他の人は「もっと大変な思いをしている人はいるのに、なんでよりによってあの子が休職するんだ」と思っているんじゃないだろうか。
 休むまではいいとして、休んだ先の未来はどうなるの?


 とはいえ、繰り返しになりますが、遅かれ早かれいつかは休職することになっていて、その「いつか」が今だったという感覚もあります。

 また、休んだことで、先述の「頭が高速回転しすぎる」「文字が読めない」「言葉が出てこない」といった頭のパニックがかなり落ち着いて、冷静に物事を考えられるようになりました。(まぁ職場という場所ではどうなるかわかんないんですけどね…。)

 わたしにとってはこれが本当に嬉しくて、頭をクールダウンさせるためにも休んで本当に良かった、というか休まないとどうにもならなかったと思っています。


 また、休職という具体的なピンチに自分が直面したことで、本来人任せにしてはいけないことを人任せにしてしまうクセを自覚することができました。

 今までカウンセラーさんと話していても精神科を受診してもどこか相手に寄りかかってしまう感じ(相手がなんとかしてくれるみたいな気持ち)がありました。
 でも、休職という現実があることで、この先の人生を自分で生きやすいものにしていかなければ、自分のことをもっと知ろうと建設的に考えて行動することができていたと思います。


***


 あとは何より、一回転んで普通のレールを外れることで、「普通じゃないといけないのではないか」という呪いを解くことができたのも良かったです。荒治療ではあるけど。


 わたしにとって休職は世界の果てを見てくるような体験でした。

 いままでずっと、社会という忙しくて物質的で結果で優劣がつく場所にいて。
 でもそこから一旦離れて、お散歩だったり、図書館だったり、昼間のお昼寝だったりをしてみると、忙しい社会と地続きの同じ世界の中に、穏やかな時間が流れる場所があることを知りました。

 一方で、世界の果てはだた世界の果てというだけで魔法の場所とか天国とか極楽浄土ではなくて。


 休んでいれば全部が勝手に都合よくなるような、そんな甘い魔法はなくて。だからわたしはこれからとりあえず社会に戻ります。
 でも、忙しい社会と穏やかな時間が流れる世界の果ては確かに繋がっていて、わたし自身も穏やかな時間が流れる場所で学んだことを大切にしながら社会の中で生きていくことができるんじゃないか、と感じています。

 そのことがわかっただけでも、休職を経験して本当によかったです。
 この休職期間はわたしの人生にとってかけがえのない時間になったと思っています。



おわりに・これからのこと

 2023年1月現在、復職に向けた準備を進めています。おそらく今月中には主治医から復職可能な旨の診断書が出て、また働き始めると思います。


 もしまた働けなくなったらどうしよう。一度休職したからきっとしばらくは頑張らないといけないだろうけど大丈夫だろうか。もし働けなくなったとしたら他の仕事はできるのだろうか。その時は経済的な問題はどうなるんだろう。

 そんなことを考えることもあります。

 でも休職を通して思ったのは、未来のことは自分が潰れるまで無限に心配できるということ。
 だから、あまりにも先で、現実になるかわからないような未来のことはとりあえず考えないこととし、何か問題が起きたらその時考えようと思っています。



 おわり!

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