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”好きこそものの上手なれ”#01

 最近の日中は本当に暖かい
天気がいいと背中を押されるようで外出したくなるし
夜酒も心なしか、ついついもう一杯二杯と増えてしまいがちな気がするのは気のせいだろうか

 オンラインゲームをしている人が、約半数近くいる
というある日の朝のニュースを見ていて
私たち夫婦の1幕

妻「へー、いーなーぁ。そんな時間ないわ」

リアリティの強い皮肉交じりな切実コメントである…
傾けたモーニングコーヒーに
冷や汗をドリップしてしまいそうな空気感を一瞬にして展開させてくる妻

私「そうだよね。ゲームやるなら他にやること沢山あるもんね。お互い毎日大変だよね…」

と妻に共感しますよ的な姿勢を表面上示し
飲み干したコーヒーカップをそそくさと流しで洗い流し
逃げるように娘たちの着替えを手伝うのである

 私がゲームから手が離れたのはいつ頃からだろうか
大学生の頃には既にほぼゲームはしていなかったような記憶がある

その頃のゲーム=家でPS3
ゲームはネットじゃなくてゲオで買う
が思い浮かぶ時点で時代はかなり変化していることを痛感する

とは言うものの、全くゲームに触れないわけではない
が、学生の時分と私にとっての「ゲームの立ち位置」は完全に違う

今家にあるswitchはコロナ禍真っ只中、
当に『あつ森ブーム』の波に乗って我が家にやってきた
医療従事者であり日々オーバーワーク、加えて当時まだ1歳の次女と2、3歳の長女の育児とストレスフルな生活に忙殺されていた妻に
気休めではあるがプレゼントしたのが懐かしい

突然、慌ただしく私のところにswitch持ってきて
妻「これ!釣って!絶対的すごいやつ!」
と大きな魚影が映る画面を指差し何やら興奮しているご様子であったのを思い出す

そしてあつ森で初めて釣った魚が『シーラカンス』として
私は歴史に名を残すこととなった

直近では『スイカゲーム』
価格が200円ちょっとのダウンロードソフトで、フルーツバスケットをコンセプトにしたかわいい絵とまったりとした曲調が何とも言えない癒やしゲームで、しばらく家族全員で楽しんだ
勿論、『交代交代』という世の中のルールをまだ理解できていない娘たちは、にこやかな表情のフルーツたちとは裏腹に、鬼の形相でコントローラーを奪い合っていたのが懐かしい

そして姉妹の激戦の果ての終戦かと思いきや 
4つの瞳が涙面で「パパ…スイカつくって…」と
最上級のミッションをいとも簡単に投げつけてくるのである

…私は未だにスイカを作れたことはない

お気に入りの「嗜好品」

 そんなこんなで余談がすぎましたが、
今日はタイトル「好きこそものの上手なれ」と題して

最近仕事をしながら思う
若い後輩が口にする「向いている」「向いていない」という言葉

何をもってしてそうした判断を下しているかというのは様々であるが、私ははっきりと「向いていない」+「から諦める」判断には強い嫌悪感というか残念な気持ちに苛まれる

問題が解決しないことや、一向に上達しないこと、進展しない様から向いていないと判断する
これが非常に軽率であり、勿体無い事例はきっと世の中に溢れかえるほどあるのだろう

「努力は必ず報われる」
この聞き慣れた言葉は『無責任の象徴』だと思っており、自分は絶対的に自分にも他人にも使わないと決めていたりする

「努力の方向だったり角度」
とEXITの兼近が口にしていた言葉がいい言葉だなと感じ、「努力は必ず報われる」という言葉が放つ違和感に対してしっくりとくるものがあった
努力の方法が正しかった、間違っていた
努力の角度が良かった、ズレていた
努力の方向を間違えなかった、間違えた
つまるところ、それらは結果を通じて振り返ることでしか
証明されず、結果を前にしての問答なんてナンセンスだと思うのだ


努力の方向を検討することは、必要なことだと思う
そしてその方向を決定づける要素は、正に人自身のスキルや能力よりも
・ものの考え方(価値観や倫理・道徳観)
・様々な経験に裏打ちされた経験則、暗黙知(智慧)
磨くべき根幹だと感じる
方向というのは倫理・道徳観と照らしたとき
「人としてどうあるべきか」あるいは、
「今いる環境・社会のルール」と照らし判断する
この上で出した末に法に触れて…
ということも大いにあったりするのであろう

努力の角度とはいわゆるセンスみたいな要素も含んでいる
と感じるのであるが
及川徹曰く、『センスは磨くもの。才能は開花させるもの。』
故に、それなりに物事に対する執着というものが、ある程度必要なことだと私は思う
「必要」と思う思わないは、その人次第であり、常識、当たり前というような普遍性を押し付けるのとは違う点が悩ましさでもある

その執着と対極に位置する「諦め」
または「思考停止」という病との関係性も感じざるを得ないのである

加えて、仕事と家庭において自分自身もまずそうなのであるが
部下や後輩(職場の「思考停止おじさんたち」は一旦相手にしないと決めた)、我が娘たちがこの病にかかることなくより良い人生を歩んでいけたら
と切に願う今日この頃なのである

次回は#02 思考との関係性について

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