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虐待死の話-2020/07/09

SNSを巡っていたら、悲しいニュースが飛び込んできました……シングルマザーによる子供の虐待死。
子供を産んでからというもの、子供の死についての情報が耳に入ると酷く胸が締め付けられどうしようも無いほどやるせなくなります。

この件に関してSNSで意見を探していると(これは行き場の無い感情を和らげるための行動だと、私は思っています。)、いくつか気になる意見がありました。

1つ目が、所謂『母性神話』的な意見です。
「子供を産んだからには着飾らず、遊ばず、子供に全てを捧げろ」というものですが、化石レベルの時代錯誤な意見だと、私は思います。
心から子供に関わり尽くすことを生き甲斐にしているならともかく、大抵の親は自分の趣味など持っています。その息抜きが全く出来ないとなると親も人間なのでストレスが溜まるので、結果的に虐待が増えてしまうのでは?
そもそも子供も親に対して身を犠牲にしてまで尽くせ!なんて思ってないと思います。そこまでされると重いし、ストレス溜められて八つ当たりされる方がよっぽど迷惑でしょう。
それに、もし子供が親は自分を犠牲にしてでも子供を最優先にしろ!と思っていたとしたら、それはいずれ他人にも向かう感情になると思うのでむしろ早めに矯正すべきですね。

2つ目が真逆の、『ママも辛い、息抜きしたい時もある』というこの件の母親に対して擁護的な意見。
息抜きしたい時もある、そこは激しく同意します。私だって息抜きしたいし1人になりたい時もそりゃあ沢山あります。
一時期本気で1人で育てていくのは無理だと思って児童相談所に相談の電話もしたことあります。(結局、預けませんでしたが……)
そんな私でも今回に関してはこの意見には首を傾げてしまいます。

「ママだって大変!助けを呼べる社会にしよう!」という意見自体には賛成しますが、それで件の母親も被害者みたいな論調には私は賛成できません。
何故なのか簡単に言うと、行動の度が過ぎてると感じるからです。

時には親族と暮らしているふりをして、時には子供が居ないふりをして遊び回り、家の外に出られないように監禁していざ衰弱死したらネグレクトを隠蔽して通報するのって、もはやママだって休みたいとかのレベルじゃないでしょう…。
この件と育児ノイローゼになってしまった母親を同じカテゴリに当て嵌めるのはちょっと強引過ぎると感じます。

「ママだって大変だよね」は、起こしてしまう前の人に届ける言葉であって、起こしてしまった人に対してかける言葉ではないのではないでしょうか。
今の世の中は、頑張れなくなりそうな人を鞭で叩いて、その壁を越えてしまってから擁護の意見を出しているような気がして、歪に見えます。
なので、「助けを求めること」よりも「頑張るのを辞める」ことのハードルの方が低く感じてしまうのかもしれませんね。

育てられないと思ったら公的機関に訴えかけるなり、施設に入れてもらうなりする。それも立派な『頑張り』であると、私は思います。
施設は可哀想などと言う人も中にはいますが、殺してしまうより全然いいです。
現在は核家族化が更に進んでいる上に、働く年齢も高齢化してきた為に自分の親がまだまだ現役世代で子供を見てもらえない人の方が多いでしょうし、親や親戚がいないなど、親族に頼るなどということもなかなか出来ない時代です。
もう少し気軽に預けられる機関があってもいいのかもしれませんね。

それが、育児へのハードルが下がり、虐待死だけではなく少子高齢化対策にも繋がるのではないでしょうか。


どうしても責める言葉が浮かんでしまいますが、もう起きてしまったことはどうにもなりませんし、この母親を不必要に責めてもなんにもなりません。
こういった子供を監禁状態で放置して衰弱死させる事件は過去に何度も起きています。
なのでやはり、これ以上痛ましい事件が起きないように、みんなでこれからの社会の在り方を考えていく必要がありますね。

そして最後に、亡くなったお子さんのご冥福をお祈りします。

ここまで読んでくださりありがとうございました😊❤️