仕事やめたい人間のプロ意識
私にとって仕事は財源。やりたいことをやり、自分の人生を楽しくするための資金調達である。
仕事内容は正直好きではない。今の仕事を「やめたい」と言いながら、もう10年近くも働き続けていて、我ながらすげぇ頑張ってるな、と思う。週2日の休みのために週5日も働いているとか、どんだけコスパ悪いねん。
できることなら働きたくないし、やりたいことだけやりたいし、やりたくないことはやりたくない。
「社会人だから」「大人だから」「仕事だから」「人の役に立ちたいから」「常識だから」
そういう理由で私は頑張れない。
私は「自分のために」じゃないと頑張れない。
こんな考えは「子ども」みたいかもしれない。
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ところが、同僚が言うに、仕事上の私は「やることはきちんとやっている真面目な人間」らしいのだ。
それを言われた時、え?って感じだったが、私って「やりたくない」「やめたい」と思いながら、意外とやることはやっているのだな、と思った。
私の仕事のスタイルはどうも、いつもウダウダと「ダルい」「やりたくない」と思いながらも、やらなければならないことはやる、というスタイルらしい。
人間というのは結局、行動化されていることがすべてで、頭でいくら「やりたい」「やらなきゃ」と思っていても、実際に行動に移せていないなら、その人は最初からそれをやらない(できない)と腹で決めている、ということである。人間の行動には必ず目的があり、やるのにもやらないのにも何か目的(それにより得られるメリット)がある。
というのはアドラー心理学の考え方で、賛否両論あるだろうが、私はこの考えを割と推している。
言葉よりも行動に自分のしたいことが集約されているとしたら、私の場合、「この仕事絶対やめたるからな」とか言いながら、結局、目の前の仕事は淡々とこなしていて、なんかあれ?しばらくは今の仕事をやるしかないって決めてるんじゃん、っていう話である。
ああ、そうか。私はいくら言葉で「やめたい」と言っていてもやめる気はないのだ。
だって、今「やめたい」といくら思ったところで、事は何も進んでいない。やめたいのになかなかやめられない、ということは、きっと今の仕事で何かやり残したことでもあるのだろうな、と思うようになった。
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私の上司に言わせると、プロ意識というものは、「素の自分は弱点や欠点だらけでも、仕事上ではコントロールし、習得した対人関係や知識をもって相手に対応したり問題解決できるという自覚と自信」のことだ。
本当はだるがりの自分も
大人になれない自分も
人と会いたくない自分も
ずっと家にいたい自分も
毎日仕事をやめたい自分も
やりたいことだけやりたい自分も
土日が待ち遠しくて仕方ない自分も 全部。
確かに、仕事に対する私の考えは「子ども」で、多くの人が理想と考える「社会人」や「大人」の姿から程遠いのかもしれない。
でも、仕事上の相手にそれは絶対見せないし、表に出す言動なんていくらでもコントロールできる。私は「社会人」や「大人」としての振る舞いを二次的に(学習により)身につけ、いくらでもそのように振る舞うことができるからだ。
だったら、仕事のために私そのものが本質的に変わる必要なんてないし、変われないことで苦しむ必要もない。
目の前のタスクを確実に終わらせていくことさえできれば、仕事に対してどんな感情を持っていようが関係ない。必要なのは、仕事に対する自分のネガティブな思考や感情をいかにスルーして目の前のタスクに集中するか、だけのこと。これは才能でもセンスでもない、単なるスキルだ。スキルは後からいくらでも身につけられる。
熱意はあってもなくてもいいし、毎日仕事をやめたいと思っていても別にいい。大事なのは行動、つまり「何をしたか」であって、気持ちじゃない。気持ちはなくても行動は起こせる。それを自分がそれをやろうと決めている限りは。
これが毎日仕事やめたい人間のプロ意識である。こういう働き方もありではないでしょうか。
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