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結婚の意味?夫婦のカタチ。

どうしてこの人と結婚したんだろうと、友人から深刻な相談もある最近です。私の近しい友だちには、子どもがいない友人夫婦も複数いて、ざっくり言うと、子どもがいないのに夫婦でいる意味は?みたいな問い。デンマーク人の友人が事実婚でも何ら支障がないのに「わざわざ結婚する」意味について、熱く話してくれたことも思い出します。

「夫婦の出会いは何?」とよく聞かれます。「素敵なひとがいたら紹介して欲しいと、素敵な既婚男性友人に相談(婚活)して、そして会ったところ話が途切れず、翌月に結婚する流れになった」。あっという間すぎて、周囲に心配もされましたが笑、かなりな直感が働いたことは事実。

この人は化けるな。この人は面白いことをするな。この人は意外な人だな。そんな人と一緒にいると、私はかなり変化しそうだな、というわくわく感。この人といると安定して平穏無事な生活が送れそうだわ~、とはまるで真逆な、そんな直感。私の理想の夫婦像。

どうしてこの人と結婚したのか。と、それぞれに理由があると思うし、その理由とともに数年、数十年、共に歩んできたかな、と冒頭の友人とも話したりしました。相手を責めるばかりでなく自分自身はどうだったのかと冷静に時に厳しく見ることも忘れずに、と。

【健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか】

お互い未熟なふたり、お互い育ち環境の違うふたり、お互い価値観の違うふたり、お互い仕事等でたくさんの荒波やストレスにもさらされ頑張っているふたり。だからズレます。かつては愛を語り合ったのに、今は?確かに私にもあるだろう「真心」も、時にへそ曲がりにもなってしまう日常、生活が、あります。苦笑。

でも、長く連れ添った夫婦は顔が似てくると言われるのは俗説ではなく、科学的な根拠があるそうで、特に、無意識のうちに相手の表情をまねる「ミラーリング」は、相手のことが鏡のように自分にも映されるとのこと。んん、怖いですね?苦笑。相手に見るイヤな一面は自分にも、ある...確かに本当に鏡だと、思います。自分のイヤな一面を見ているのです。。。ね。

同じ空間で過ごし、同じご飯を食べ、同じような単語を使い(使わず)生活をしていたら、似るだろうなあと想像も出来ます。きっと子どもたちにも多大な影響を与えているはずです。

ということは、自分の気の持ち方次第で、在り方次第で、同じ現象も、同じ人に対しても、違うように映るのですね。だから、結局は自分。自分自身をまず整えていくことが周りの幸せにつながることとはイコールだと、確信しています。

子どもの有無に関わらず、結婚の意味とは、別人格の他者(配偶者、子どもたち)と共同生活するなかで、鏡としての他者を通して、自分をより知り、自分を深く愛すること。そして、別人格の他者を理解しようと努力もし、違いを楽しむこと。夫婦になる、家族になるプロセスは最期まで続いていく...

どんな夫婦になりたいか=どんな自分でありたいか。子育て期や子育ち終了期にさしかかる年代だからこそ(コロナ禍の影響も、ありますね!)考える人が増えています。とてもいいことだな!と思います。だって、社会の最小単位である夫婦や家族のことを”真剣に"考えることそのこと自体が次世代への最大の「社会貢献」だから!

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