古代史構想学 入門編(8)

今回は約4年前の6月に奈良県の葛城一帯を訪ねたときのことを書きます。

訪ねたところは順に、孝昭天皇陵→鴨都波神社→葛木御歳神社→高鴨神社→高天彦神社→室宮山古墳→葛城一言主神社→孝安天皇陵、です。葛城は古代の大豪族である葛城氏の本拠地であり、鴨氏(賀茂氏)の出身地とも言われています。しかし、ほぼ思いつきの踏査だったために事前の下調べをせず、スマホ片手に回ることになりました。

今回は鴨三社と呼ばれる鴨都波神社、葛木御歳神社、高鴨神社を紹介します。

最初に訪ねたのは下鴨社とも呼ばれる鴨都波神社です。神社由緒によると、創建は崇神天皇のときで、祭神は積羽八重事代主命(つわやえことしろぬしのみこと)と下照姫命(したてるひめのみこと)となっています。小さな神社ですが綺麗に整備されていました。氏子さんたちの敬虔な気持ちの賜物だろうと感じました。

この神社の下には弥生時代の遺跡があり、裏手を走る国道24号線を挟んだ西側からは一辺が20メートルほどの方墳が発掘され、三角縁神獣鏡などの副葬品が出ました。この墳墓の主は祭神である事代主命と関係がありそうです。
このことから、私は事代主命は鴨氏、葛城氏につながりる神様だと考えるようになりました。

鴨都波神社

次に中鴨社と呼ばれる葛木御歳神社。祭神は御歳神(みとしのかみ)といって、古事記ではスサノオ命の孫神とされ「お年玉」の語源になったとも言われている神様です。裏手の御歳山をご神体とする小さな神社で、女性の宮司さんが神社の横でサロンカフェを営んでいます。この日も地域の女性が集まって貸切で会合をしていました。営利目的のカフェではなく、地域のコミュニティを守っていきたいという思いを感じました。お参りしている時に体長が15センチほどの小さなヘビを見つけました。神様が姿を見せてくれたのでしょうか、「古代史構想学 入門編(5)」で紹介した三輪山の大物主神の話を思い出しました。

葛城御歳神社

最後に高鴨神社。御歳神社を出て国道24号線を少し南下したところを右折すると、道路は金剛山に向かって急な坂になります。アクセルをグッと踏み込んで一気に登りました。このあたりにも弥生時代の遺跡があり、神社由緒によると鴨族発祥の地となっています。

高鴨神社は京都の上賀茂神社や下鴨神社を含む全国の賀茂社の総本社で、祭神は阿遅志貴高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)、別命を迦毛之大御神(かものおおみかみ)といいます。鴨族は弥生時代中期に山を降りて鴨都波神社や御歳神社あたりに住むようになったということです。しかし、山を降りたとされるあたりから弥生時代前期の水田跡が検出されています。時代が少しずれていることから私は、神社由緒とは違う考えを持つようになりました。さらに、通説では出雲の神とされる事代主や阿遅志貴高日子根についても「実は葛城の神ではないか」という考えも持っています。

画像3

記紀や風土記などを読んで、参考となる書籍を読んで、ネットでもいろいろ調べ、さらに現地を訪ねて地形や景色を確認し、肌で空気を感じることで自分なりの考えが形成されていきました。これが古代史に取り組む醍醐味ではないでしょうか。そしてこの葛城踏査で、古代史の探究に神社の考察が欠かせないことを認識することができました。


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