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古代史構想学(実践編5)

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前方後円墳はどのようにして誕生したのだろう。なぜ前方後円墳と呼ぶのだろう。あの形にはどんな意味があるのだろう。長年抱いてきた疑問に答えを出すべく、調べてみました。
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前方後円墳の考察⑯「古墳時代の始まりはいつ?」

前方後円墳の考察⑯「古墳時代の始まりはいつ?」

これまで15回にわたって投稿してきた「前方後円墳の考察」シリーズですが、最後に「古墳時代の始まりをいつとするのが妥当なのか」について考えて終わりたいと思います。

弥生時代、壺形土器の供献や棺に朱を敷き詰めるなど、各地域において共通にみられる葬送儀礼が行われてきました。これは神仙思想の観念が共有されていたことによるものですが、墳墓については各地で独自のものが造られていました。しかし、弥生時代の終わ

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前方後円墳の考察⑮「壺形古墳説で疑問は解消」

前方後円墳の考察⑮「壺形古墳説で疑問は解消」

方形や双方中円形、四隅突出形などの各地の首長墓は3世紀以降、壺形に収斂していくことになるのですが、古墳時代に見られる古墳は前方後円墳だけではなく、ホタテ貝形前方後円墳、柄鏡形前方後円墳、前方後方墳、双方中円墳など、様々な形があります。また、出現期の前方後円墳は纒向型前方後円墳とも言われます。

様々な古墳の形も壺形説を採ればある程度の説明ができそうです。ホタテ貝形は頸の部分が短い壺、柄鏡形は頸が外

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前方後円墳の考察⑭「壺形古墳の成立」

前方後円墳の考察⑭「壺形古墳の成立」

倭国大乱を収めるために190年頃に共立された卑弥呼は、狗奴国との戦闘を続けていた250年頃に死去しました。つまり卑弥呼は60年の長きに渡って倭国を統治したことになります。卑弥呼が倭国を統治した弥生時代後期、各地で大型の墳丘墓が築かれました。

吉備では円丘部を挟んだ両側に方形の突出部を持つ全長が70mを超える双方中円形の楯築墳丘墓が造られました。墳丘各所から壺形土器や特殊壺の破片が見つかり、突出部

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前方後円墳の考察⑬「神仙思想の反映」

前方後円墳の考察⑬「神仙思想の反映」

卑弥呼の鬼道は神仙思想に基づく様々な方術(神仙方術)であり、卑弥呼はその方術を駆使して人々に福を招き入れる方士であったと考えます。弥生時代から古墳出現期にかけて倭国に神仙思想が広まっていたこと、その神仙思想にもとづく儀礼が行われていたことなどを想定しうる痕跡を見てみたいと思います。

①葬送儀礼における土器供献祭祀
 弥生時代の方形周溝墓に見られる葬送儀礼における供献土器は壺が圧倒的に多いというこ

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前方後円墳の考察⑫「卑弥呼の鬼道が道教でなければ何?」

前方後円墳の考察⑫「卑弥呼の鬼道が道教でなければ何?」

卑弥呼の鬼道は道教ではない、という結論になったのですが、それでは卑弥呼の鬼道は何だったのでしょうか。今さらですが、卑弥呼の鬼道についてWikipediaを見ると、幾つかの説があることがわかりました。

①卑弥呼はシャーマンであり、男子の政治を霊媒者として助ける形態とする説
②道教あるいは初期道教と関係があるとする説
③道教ではなく「邪術」であるとする説
④神道であるとする説
⑤単に儒教的価値観にそ

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前方後円墳の考察⑪「卑弥呼の鬼道は道教か」

前方後円墳の考察⑪「卑弥呼の鬼道は道教か」

卑弥呼の鬼道が道教であった可能性はあるのでしょうか。卑弥呼が女王として共立されるに足る力、すなわち、道教の教えを会得し、修行を積み、様々な術を実践できる力を持っていた人物であったかどうか、ということです。

道教ではこのような力をもった人に様々な呼称をつけています。「道士」とは出家を原則として道教の教えを極めようとする修行者で、仏教でいう僧にあたります。これに対して「巫祝(ふしゅく)」はもともと雨

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前方後円墳の考察⑩「祖霊と穀霊」

前方後円墳の考察⑩「祖霊と穀霊」

日本においても、弥生時代の墓制である方形周溝墓から葬送儀礼に使われたとされる土器が出ます。供献土器と呼ばれるものです。弥生土器には壺、甕、鉢、高坏など様々な種類がありますが、この供献土器に使われた土器は壺が圧倒的に多いとされます。供献土器は「稲魂」を入れる器として墳墓に供献されたという解釈や、穿孔や欠損が認められる土器が多いことから、葬送儀礼の際に飲食物を入れたり、煮炊きするために使用され、葬儀が

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前方後円墳の考察⑨「道教とは」

前方後円墳の考察⑨「道教とは」

卑弥呼の鬼道は道教だった、とする考えがあります。ここではまず道教について整理をしておきます。

道教の源流は、春秋戦国時代の諸子百家の一つである老子・荘子の思想(老荘思想)に求められます。老荘思想は道家の思想とも呼ばれ、「道(タオ)」は天地よりも先にあって、すべてのものを生み出す根源であり、人間の知恵を超えた、世界を支配する根本原理であると説きます。この老荘思想を中核として神仙思想、易、陰陽、五行

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前方後円墳の考察⑧「なぜ壺なのか」

前方後円墳の考察⑧「なぜ壺なのか」

小南氏は「祖霊が鳥の形を取るとする伝承は世界の各地に見られるものであって、人類共通の祖霊についての基礎的な観念」とします。中国では神仙が鳥に姿を変えたという伝説があり、これを宗教的観点から、仙人という存在は「死を経過せずして祖霊になった人々であり、しかも祖霊になりながらもその個性を失うことのない霊魂」と推定します。そして、現実世界と隔絶して存在する神仙世界は、元来は死後の霊魂が集う祖霊たちの世界に

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前方後円墳の考察⑦「壺は神仙思想を象徴するものだった」

前方後円墳の考察⑦「壺は神仙思想を象徴するものだった」

神仙世界の山が壺形をしているとされた2つの例を見てみます。ひとつは前回取り上げた「列子」湯問篇の終北の国の壺領の記事です。領とは「嶺」つまり山のことです。

列子は終北の国をユートピアとして描きました。老いることがなく、病気をすることもなく、まさに神仙世界をイメージできます。そのユートピアの中央には壺領と呼ばれる山がそびえ、甔甀の形、つまり壺の形だと形容され、その壺形の山から流れ出る神瀵がそのユー

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前方後円墳の考察⑥「神仙思想と壺の関係は?」

前方後円墳の考察⑥「神仙思想と壺の関係は?」

前回は神仙思想のごくごく基本的なことに加えて、日本における徐福伝説について確認しました。今回は神仙思想と壺の関係について調べてみました。ここでは京都大学学術情報リポジトリに収録されている小南一郎氏の「壺型の宇宙」という論文が大いに参考になりました。氏は中国の数ある文献や遺物などを丁寧に取り上げて神仙思想や道教と壺の関係を論理的かつ明快に論じています。今回は氏の論文をもとに整理しようと思います。

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前方後円墳の考察⑤「まずは神仙思想から」

前方後円墳の考察⑤「まずは神仙思想から」

卑弥呼の鬼道とは何かを考えるにあたって神仙思想についてほんの少しだけ知識を得たので、整理の意味で書き留めておきます。

司馬遷による「史記」の封禅書に神仙思想のもとになった神仙説についての最古の記述があります。戦国時代の斉の国の威王とその子の宣王の時代(紀元前4世紀)に、渤海湾に臨む山々を祀る八神の信仰が興り、この八神の山を祀る巫祝(ふしゅく)によって三神山伝説が生み出されました。三神山とは蓬莱、

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前方後円墳の考察④「徐福が実在したとすれば」

前方後円墳の考察④「徐福が実在したとすれば」

徐福に関する伝承は、私が書籍やWebサイト(できるだけ公的な機関によるもの)で伝承の内容まで確認できたものだけでも、以下の通り、北は青森県から南は鹿児島県まで、日本海側、太平洋側を問わず日本全国で30か所以上になります。★印は徐福一行が上陸したという言い伝えが残るところです。(これを調べるだけで結構な時間がかかりました。)

・青森県 北津軽郡中泊町★
・秋田県 男鹿市
・東京都 八丈島★
・山梨

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前方後円墳の考察③「前方後円墳が壺形古墳でないとすると」

前方後円墳の考察③「前方後円墳が壺形古墳でないとすると」

前方後円墳は壺形古墳であるという説を検討するにあたって卑弥呼と前方後円墳の関係性について考えているところですが、壺形古墳説以外の説(Wikipediaなどで確認した範囲で)に対しての私の考えを書いておきます。

まず、方形または円形周溝墓の陸橋部分が発展して前方部になったという説ですが、下図はこの説を唱える白石太一郎氏の著書に掲載される図です。

(白石太一郎著「古墳とヤマト政権」より)

氏は「

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