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前方後円墳の考察⑤「まずは神仙思想から」

卑弥呼の鬼道とは何かを考えるにあたって神仙思想についてほんの少しだけ知識を得たので、整理の意味で書き留めておきます。

司馬遷による「史記」の封禅書に神仙思想のもとになった神仙説についての最古の記述があります。戦国時代の斉の国の威王とその子の宣王の時代(紀元前4世紀)に、渤海湾に臨む山々を祀る八神の信仰が興り、この八神の山を祀る巫祝(ふしゅく)によって三神山伝説が生み出されました。三神山とは蓬莱、方丈、瀛州で、渤海湾には人間の住む世界とは異なった仙境が想像されたようです。三神山には多くの仙人(神仙)がいて不死の薬があるといいます。しかし、人間が来るのを嫌がって船が近づくと風を吹かせて船を追いやります。三神山にある宮殿はすべて金銀でつくられ、鳥や動物はみな白い色をしています。遠くから見ると雲のように見えるけれども、近くへ行くと水の下にあるように見えるといいます。この神仙説を広めた人々は方士と呼ばれました。

神仙説は人間の永遠の願望である不死を説くところから戦国時代以降の諸侯をひきつけました。とくに燕の昭王、斉の威王や宣王、秦の始皇帝、漢の武帝は心をひかれたようです。秦の始皇帝は徐福(本名は徐市)に童男童女数千人を伴わせて蓬莱山へ不死の薬を求めに行かせました。漢の武帝は李少君(りしょうくん)の言に従って竈を祀り、鬼神を信じ、丹砂(硫化水銀)やその他の薬剤によって黄金の飲食器をつくって長生を図り、蓬莱の仙人に会って不死の薬を得ようとしました。

神仙思想はこの神仙説をもとにした思想です。人の命が永遠であることを不老不死の仙人(=神仙)に託し、多くの神仙たちを信仰し、海上の異界や山中の異境に神仙が住む楽園があると考えました。そして、自らも不老不死を手に入れて神仙になることを求めたのです。この神仙思想はやがて道教の要素として取り入れられていきます。

さて、道教や神仙思想のことはよくわかっていなくても、徐福伝説はよく知られた話です。上述の通り、秦の始皇帝が蓬莱山にあるという不老不死の薬を手に入れるために徐福とともに数千人の童男童女を派遣したという話ですが、この話が日本でよく知られているのは、その徐福が上陸した、あるいは住んでいたという伝承が日本各地に残っているからです。この機会に日本各地の徐福伝説を確認しておこうと思います。

(つづく)

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