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物部氏を妄想する

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いまひとつ実態がよくわからない物部氏。素人発想で出したトンデモな答えに対して、その検証プロセスは意外なほどに真面目、丹念、緻密なものとなりました。専門家には出せない味があると自画… もっと読む
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記事一覧

18.物部氏と鎮魂祭

物部の鎮魂が猿女の鎮魂に合体させられてその位置付けが低下、あるいはその存在が実質的に消滅…

17.石上神宮の祭祀

石上神宮について触れている資料に『紀氏家牒』という紀氏の伝承や系譜がまとめられたものがあ…

16.石上神宮と物部氏

ここまで物部氏の職掌の変遷やヤマト王権内における政治的ポジションの推移を見てきました。弥…

15.物部本宗家の敗北

欽明天皇13年(552年)に百済から仏像や経論などが伝えられた際、欽明天皇はその信仰を受容す…

14.中臣氏の台頭

祭祀や祭器製作に始まり、神宝管理や石上神宮の神官など祭祀に関わる職掌を担ってきた物部氏が…

13.物部氏の職掌の変遷

前稿に続いて『日本書紀』をもとに物部氏の職掌の変遷を確認します。応神紀、仁徳紀に物部氏は…

12.物部氏の台頭

6世紀初めの継体天皇の時に部民制が始まり、中央では大王家の祭祀を取り仕切ってきた一族が物部連氏となり、地方では各地の豪族の祭祀を担ってきた一族が物部氏となります。『先代旧事本紀』に天物部二十五部として二田物部、当麻物部など「○○物部」と記される物部や、『新撰姓氏録』にある物部飛鳥や『続日本紀』に見られる物部多芸など「物部○○」として記される物部がそれにあたります。これらは複姓物部氏と呼ばれ、「物部」に地名や職業の名称が付随したパターンが見られます。 また、この6世紀はその後

11.古墳祭祀と物部氏

弥生時代中期以降、朱で染められた甕棺墓や朱を敷き詰めた埋葬施設をもつ墳丘墓を築き、神獣鏡…

10.古墳を舞台にした儀礼

前稿では古屋氏の論文をもとに弥生後期から終末期にかけての各地域における祭祀を整理しました…

9.古墳出現前後の祭祀

弥生時代中期初め頃に中国から渡来した徐福集団が日本の各地に上陸して神仙思想を広めました。…

8.壺形古墳の登場

前稿において徐福伝承地と物部分布地が濃密に重なる地域において、甕棺墓という埋葬方法、壺形…

7.弥生時代における神仙思想の痕跡

先に見た徐福伝承地と物部分布域の重なる①北部九州一帯、➁瀬戸内海西側の沿岸部、③高知県高…

6.徐福の渡来

物部氏は神仙思想に基づく首長霊祭祀を担う祭祀氏族でした。この神仙思想を日本列島に持ち込ん…

5.物部氏と神仙思想

物部氏の東遷は、北部九州から瀬戸内海沿岸、さらには摂津、河内、大和にかけて存在した物部一族の支援を受けて実現したのか、あるいは逆に、東遷の際に各地に一族を残留させながら通過したのか、さらには各地の氏族を帰順させて一族に取り込んだ結果としてそこに物部一族が存在することになったのか。順序の違いはあれど、いずれにしても少なくとも3世紀よりも以前のことになります。鳥越氏はそれを弥生時代中期前半より以前(前2世紀頃か)、谷川氏は1〜2世紀のこととします。また、ここまで詳しく触れませんで