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11.古墳祭祀と物部氏

弥生時代中期以降、朱で染められた甕棺墓や朱を敷き詰めた埋葬施設をもつ墳丘墓を築き、神獣鏡や鳥形木製品を副葬し、墳丘上で壺形土器の供献や飲食用土器を用いた飲食儀礼を執り行うなど、神仙思想を反映した葬送儀礼が各地で行われました。その後、弥生時代終末期から古墳時代に入ると墳丘そのものを神仙界に見立てた壺形に変化させ、埋葬施設を丸太や円筒埴輪で囲んで聖域化し、その中で飲食儀礼あるいはそれを簡素化した飲食供献を行うようになり、さらに古墳時代中期以降は造り出し部や周堤上で飲食儀礼の様子を形象埴輪によって再現するようになりました。また、神獣鏡の副葬は弥生時代から古墳時代を通じて行われました。

ここで墳丘墓や古墳を舞台に執り行われた飲食儀礼や飲食用土器の供献を伴う首長霊祭祀について諸説を確認しておきます。近藤義郎氏によると、亡き首長が祖霊から引き継いだ霊力を後継者に引き継ぐ祭式で、前方後円墳は首長霊継承の場であり、壺形埴輪や円筒埴輪は首長霊との共飲共食(神人共食)を形式化したものとします。また、その祭祀と新嘗祭との類似性を指摘します。高橋克壽氏は形象埴輪の研究から近藤氏同様に、前首長の埋葬後に執り行われた践祚・即位儀礼ないし首長権継承儀礼であったろう、とします。
 
この首長霊継承儀礼説は霊力が継承される具体的な仕組みへの言及がないなどの批判がある中、青山博樹氏は、古墳上での飲食儀礼は神人共食であるとの説を否定し、種籾を貯蔵する壺は豊穣をもたらす穀霊の住みかと考えられることから、その壺中の食物を食すことによって後継者に霊力を継承するという考えを示しました。そして首長霊が成立した背景には穀霊と祖霊を同一視する農耕儀礼的な思想があったとします。和田晴吾氏も首長権継承儀礼説を否定した上で「古墳は他界の擬えもの」と捉え、葺石や埴輪や食物形土製品は他界を演出するための舞台装置や道具立てであるとします。他界で首長の魂が首長でありつづけるために、首長霊を対象とした食物供献を中心とした儀礼が永続性のあるものとして固定化していき、首長である死者の魂に山海の幸を奉納する儀礼が継続的に行われていることを示しているとの見解です。さらに氏は、古墳に表現された他界のイメージは神仙の棲む世界のイメージと重なるとします。

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