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古代史構想学(実践編1)

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日本書紀、古事記、先代旧事本紀などをもとに饒速日命(ニギハヤヒ)について考察してみました。3回シリーズです。
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記事一覧

饒速日命を考える③(古代史構想学)

日本書紀、古事記ともに、饒速日命は物部氏の先祖である、と書いています。その饒速日命は大和で神武天皇に帰順する時に、天神の表物(しるしもの)である天羽羽矢(あめのははや)と歩靫(かちゆき)を神武と見せ合って、互いに天津神の子であることを確認した上で神武の配下に入りました。

正史である日本書紀は、饒速日命が天皇家よりも先に大和を治めていた人物がいたことを書いています。それが饒速日命であり天津神の子で

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饒速日命を考える②(古代史構想学)

饒速日命は丹後国から由良川をさかのぼり、本州で最も低い分水界の石生を経由して加古川を下り、播磨灘から大阪湾、河内湖を航行し、河内国へやってきました。彼が率いてきた集団はその後、河内国に定着することになり、その地が物部氏の本拠地となっていきます。また一方で、饒速日命自身は河内から大和へ移動します。おそらく大和川を遡ったのでしょう。到達したところは奈良盆地の真ん中に位置する磯城郡田原本のあたりだと思い

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饒速日命を考える①(古代史構想学)

記紀神話では天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が日本の国土を治めるために高天原から降臨し、その子孫である神日本磐余彦(かむやまといわれひこ)が日向から東征して大和で初代天皇として即位しました。しかし日本書紀によれば、その神武天皇に先駆けて大和を治めていた人物がいました。それが饒速日命(にぎはやひのみこと)です。

饒速日命は物部氏の祖先とされ、天磐船(あまのいわふね)に乗って大空を廻った

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