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古代史構想学(実践編6)

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天照大神はいつ頃、どのように誕生したのでしょうか。そして、その天照大神が祀られる伊勢神宮(皇大神宮)の誕生はいつ頃なのでしょうか。専門家の論考を読みながら考えてみようと思います。
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記事一覧

天照大神と伊勢神宮 (21)       山中章氏が考古学から伊勢神宮の成立に迫る

次に、穂積裕昌氏と同様に考古学の立場から伊勢神宮の成立に迫った論考として山中章氏の『考古…

天照大神と伊勢神宮 (20)       穂積裕昌氏が考古学から伊勢神宮の成立に迫る…

ゲーター祭りの舞台である鳥羽市の神島に鎮座する八代神社には、画文帯神獣鏡1面、四神二獣鏡…

天照大神と伊勢神宮 (19)       穂積裕昌氏が考古学から伊勢神宮の成立に迫る…

今回は南伊勢の古墳時代を概観します。まず、4世紀代に松阪市北部に相次いで築造された西山古…

天照大神と伊勢神宮 (18)       穂積裕昌氏が考古学から伊勢神宮の成立に迫る…

これまで主に歴史学、文献史学の専門家として武光誠氏、筑紫申真氏、直木孝次郎氏、溝口睦子氏…

天照大神と伊勢神宮 (17)       林一馬氏が説く伊勢神宮成立史③

天武即位後の大来皇女の伊勢下向をもって伊勢神宮創立の端緒であるとし、天照大神を祀る場所と…

天照大神と伊勢神宮 (16)       林一馬氏が説く伊勢神宮成立史②

林一馬氏による先学研究の考証の最後の論点である、伊勢神宮が天武朝よりずっと以前から存在し…

天照大神と伊勢神宮 (15)       林一馬氏が説く伊勢神宮成立史①

ここまで伊勢神宮や天照大神を研究する著名な日本史学者5名の著書を見てきました。次は少し毛色の違う建築史学の林一馬氏の論文『伊勢神宮成立史考』を見てみます。林氏は、伊勢神宮の日本建築史上に占める位置の重大さからすればその成立史は建築史学的に看過できない、その成立年代の如何によっては日本の古代建築の歴史的な組立てに甚大な影響を及ぼす、として自らの試見を提示されました。 この論文はこれまでに取り上げた各氏を含む先学研究を包括的に整理して論点を抽出し、論理的な批判を展開しながら自

天照大神と伊勢神宮 (14)       岡田精司氏が説く伊勢神宮と天照大神③

続いて著者は、ここまでの論証で存在が明らかになった天照大神以前の太陽神が、神話の中に痕跡…

天照大神と伊勢神宮 (13)       岡田精司氏が説く伊勢神宮と天照大神②

著者は、戦後の諸研究において天皇家と太陽信仰の結びつきを6世紀後半以降とする、つまり新し…

天照大神と伊勢神宮 (12)       岡田精司氏が説く伊勢神宮と天照大神①

次に日本史学者の岡田精司氏が著した『古代王権の祭祀と神話』に収録された「伊勢神宮の起源」…

天照大神と伊勢神宮 (11)          溝口睦子氏の「アマテラスの誕生」③

記紀神話二元構造論に基づき、直木孝次郎氏の伊勢神宮論や記紀の神功皇后伝説などをもとにヤマ…

天照大神と伊勢神宮(10)       溝口睦子氏の「アマテラスの誕生」②

前回は、5世紀になって「王の出自は天に由来する」という新しい王権思想を高句麗から取り入れ…

天照大神と伊勢神宮 (9)         溝口睦子氏の「アマテラスの誕生」①

次に日本史学者の溝口睦子氏による「アマテラスの誕生」を見てみます。タイトルは筑紫申真氏の…

天照大神と伊勢神宮 (8)         直木孝次郎氏が説く伊勢神宮の成立③

直木氏は、伊勢神宮が天皇家の氏神の社の地位を独占し、天皇家の最高の神社となるのは天武朝以後で、その画期は壬申の乱であったとします。大海人皇子が北伊勢の朝明郡で天照大神を望拝した行為は、伊勢神宮に敬意を表すとともに援助を要請したと考え、伊勢神宮もこれに応えて加勢したと推測します。 去く鳥の 争ふはしに 度会の 斎の宮ゆ 神風に い吹き惑はし 天雲を 日の目も見せず 常闇に 覆ひたまひて 定めてし 瑞穂の国を 696年の高市皇子の死に際して柿本人麻呂が詠んだ挽歌の一節ですが、