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天照大神と伊勢神宮 (9)         溝口睦子氏の「アマテラスの誕生」①

次に日本史学者の溝口睦子氏による「アマテラスの誕生」を見てみます。タイトルは筑紫申真氏の著書と同じですが「古代王権の源流を探る」というサブタイトルを冠して筑紫氏とは全く違うアプローチで天照大神に迫ります。弥生時代から4世紀までの政治体制やその拠り所となる政治思想、宗教観が5世紀初頭に大きく変化し、8世紀の律令体制の確立に伴ってさらに変化を遂げたとして、そのプロセスの中でどのようにして天照大神が誕生したかを描き出します。なお、溝口氏の論を紹介するにあたっては神の名をカタカナで表記する著書に従った方がわかりやすい良いと思うのでそのようにします。こちらも著書から適宜引用しながら紹介します。
 
 
三国史記や好太王碑文によると、4世紀から朝鮮半島に進出して新羅への侵攻を繰り返した倭政権は、5世紀初頭に高句麗に大敗を喫し、政権の権威が失墜します。著者はこの敗戦が抜本的な体制変革のきっかけになったとします。実際にこの5世紀は、巨大古墳の造営地が奈良盆地から大阪平野へ移動したこと、その古墳の副葬品に武具・馬具などが含まれるようになることなど、それを裏付けるような変化が見られるとします。
 
中でも最も必要とされた変革は新しい政治思想、王権思想の導入であり、それを朝鮮半島きっての先進国であり倭の主敵でもあった高句麗から導入したというのです。その新しい政治思想とは、王の出自が「天」に由来するとする考え方で、この天に由来する王権思想は、高句麗を通して百済・新羅・加羅など朝鮮半島諸国が軒並み取り入れた当時流行の思想です。その源流は北方ユーラシアの遊牧民族が古くから持っていたもので、それを反映した神話が「天孫降臨神話」だとします。
 
著者は、民族学の大林太良氏の主張や神話学の松村武雄氏の説を引用して、天孫降臨神話や神武東征伝説が高句麗や百済の建国神話につながりを持ち、さらには北方ユーラシアに興った匈奴に始まる北方遊牧民の国家の始祖神話に源郷があるとします。
 
さて、5世紀に全く新しい王権思想を取り入れたとすれば、それを実行したのはいわゆる倭の五王(讃・珍・済・興・武)ということになります。五王をどの天皇に比定するかはさておき、彼らは皆、中国南朝の宋に対して遣使を送っていますが、その目的は、中国の先進的な文明を摂取するとともに、中国皇帝の威光を借りて国内の支配を安定させることに加え、朝鮮半島諸国、とくに高句麗との外交を有利に進めて半島での権益を確保する意図があったとされています。そんな五王たちが果たして高句麗の王権思想を取り入れようと考えるでしょうか。ましてや、大敗を喫した屈辱の相手国です。
 
著者は次に、天照大神よりも以前に最高神、皇祖神の座にあったのはタカミムスヒ(『古事記』では高御産巣日神、『日本書紀』では高皇産霊尊)であるとします。つまり、5世紀に高句麗の王権思想を取り入れて生まれた「天」に由来する最高神がタカミムスヒだということです。天孫降臨神話において、天孫に地上世界の統治を命じて天降らせたのがタカミムスヒであることは、研究者の間では決着しているそうです。
 
記紀神話や宮中で行われる月次祭(つきなみのまつり)の祝詞の分析などから、本来の皇祖神はタカミムスヒであったが、7世紀末から8世紀初めにその皇祖神・国家神の地位が天照大神に転換しました。著者は先に見た直木孝次郎氏の「地方神昇格説」を支持しており、伊勢神宮の皇祖神昇格の時期を奈良時代初期前後であるとする直木氏の考えも取り入れて、皇祖神・国家神の変遷を「5世紀~7世紀のヤマト王権時代はタカミムスヒ、律令国家が成立した8世紀以降はアマテラス」と整理します。
 
さらにこのタカミムスヒもアマテラス同様に太陽神であったとします。アマテラスがその名から太陽神だとわかるように『日本書紀』では「高皇産霊尊」と書くタカミムスヒもその名に太陽神の意味があると言うのです。「高」も「皇」も尊称なので残りの「産霊」つまり「ムスヒ」をどう解釈するか。そして「ムス」は「生産」「生成」を意味する点で諸説一致しますが、「ヒ」については「霊力」とみる説と「日(太陽)」とみる説があり、前者なら霊力神、後者なら太陽神ということになります。本居宣長が『古事記伝』で前者として解釈し、津田左右吉がそれを認めて以降、こちらが有力となっていますが、著者は後者の立場をとります。
 
いくつかの根拠を上げて北方遊牧民の匈奴や高句麗における「天」は「太陽」と置換可能な概念であると説く著者に対し、芸能史学者の諏訪春雄氏は、大陸北方の遊牧民族の天の信仰は北極星に代表される星辰に対する信仰であり、古代朝鮮にみられる太陽信仰は日本と同様に稲作とセットになった中国南部の太陽信仰の影響を受けたもの、と反論しています。日本の太陽神が農耕神の一面を持っていることを考えると、諏訪氏の反論に同意したいところです。

(つづく)

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