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物語を書き上げるために、はじめの月にしたこと


創作に必要な管理

 長編物語を完成させることにおいては成功した私が、これができればあとは各人自由にやり給へ、と言えることが一つあるなら、創作ノートには左上に日付(年月日)を入れなさい、ということだ。

 なぜならば、今まさに私が初期の創作ノートを振り返って、日付がないばかりに流れを追えない弊害に直面しているからだ。

 「創作」と「自由」という言葉とは兄弟のように結びついているが、「無秩序」は彼らをたぶらかす蛇である。

 ことに「書き上げる」を目標とする人にとって、「管理」は進捗管理でも自己管理でも、なんらかの方法が必要になってくる。アナログ、デジタル関係なく。工程が見える化されればモチベーションにもつながってくる。

 昔の旅人だって、3日の食料を1日で食い尽くすことはなかっただろう。最低限でいい。「管理」を頭の片隅に置いておきたい。


創作第一の月

制作の大まかなタイムライン

 とはいえ今日は、創作が開始して第一の月に何をしたかについて話をしていこう。

 第一の月は、アイデア出しとスタート地点に立つだけの勉強に終始した。この月のノートは少ない。勉強とは言え、私は本に直接いろいろ書き込む派なのである。たしか手書きではなくてパソコン上に書いていた気もする。制作の中で手書き派に移行して行ったが。アナログだから尚更、オーガナイズは大切なのだ。

 物語制作についてだけを言えば、「こういう雰囲気の話を書いていくのかな」くらいのイメージを出していた期間だった。

 最終的なページ数は決まっておらず、それどころか小説ではなくて漫画にしてもいいかもしれないとか思っていた。私は下手だが一応絵も描くのである。だからコンテっぽいスケッチも何枚か残っている。設定は大味で、漫画を意識してかインパクトを重視していたようだ。完成品の3分の1あたりに置いたエピソードが、この時は冒頭の契機事件として扱われていたりする。

 この頃、創作第一の月の頃の私は、作家になりたいとは思っていなかった。何かを作りたいだけの何者でもない人だった。書き始めて3ヶ月くらい経って、この作品を生み出すのに作家魂がどうしても必要だと知ることになった。


創作初期段階の「思い」を腐らせないための努力

 このフェーズは物語が固まってないわりにとにかく「思い」が強い。むしろ思いだけがある。

「書き切りたい」という気持ちはあったので、この取り組みのゲームオーバーにあたる「未完」、俗に言う「エタる」を避けるための努力をした。

 具体的には、ストーリーの作り方を体系的に学んだ。そこで登場するのが、ロバート・マッキー氏の著書である。(アフィリエイトは貼ってないので、安心してお踏みください)

 『ストーリー』『ダイアローグ』『キャラクター』が三部作になっていて、第一の月では『ストーリー』と『キャラクター』を読んだ。最終的には『ダイアローグ』も読んだ。

 他の教本はここに書かれていることの別の視点からの読み替え、と言っていいほどに完成されている。もちろん、別の視点からの本を読むことで理解が立体的になるので、その努力は決して無駄ではない。実際、私も他に何冊か方法論についての本を読んだし、これからも読むと思う。

 マッキー氏の本は、「脚本」を書くことの色合いが強いので、読み替えは必要になる。小説を書く上では、スティーヴン・キングの『書くことについて』も人気がある。キング独特の鋭利で重厚感のあるエンタメ文章を書きたい人にも、マッキー氏の方法論は参考になる気がしている。

▼テクニカルなことについては、唐木元氏による『新しい文章力の教室』を読むことで表現に煮詰まらずに書き進むことができた。

▼キングの本のように、書くことを精神論にまで掘り下げて考えたい方には、近藤康太郎氏の本を勧めたい。同氏の『百冊で耕す』もセットで読まれたい。

書くための着工式

 この月はとにかく、物語を作り上げるための土台を作る前の、地面を平らにならす、と言うことに終始した。出版済みの本も読んだが、物語の舞台になる基本的な資料がPDFでしかなかったので、500枚の大量印刷をプリントセンターで出しに行ったりもした。校正作業のためのモノクロプリンターを買ったのは、それから4−5ヶ月経ってからのことだった。

 この段階はブレストだとかアイデア出しと言われたりもするが、膨らませそうな物語の種を探す、というよりは、誰も知らないけどもうすでにある物語または、まだ全貌が見えていないけれど私に語ることを許された物語を招くための準備段階だった。だから、初期の着想をそもそもボツにしようなどとは蚊ほども思わなかった。書かなければいけなかったのである。

 私は作家になるために物語を作りたいのではなく、物語を紡ぐためなら作家にだってなんだってなる、と思っているのだ。

君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる

空と君のあいだに|中島みゆき

最初期に考えていたこと

 さて、この頃の創作ノートにはほとんど動きがないなかで、冒頭のページに書き付けてあったこと(書いたことすら忘れていたメモ書き)が、結局のところ物語の中心テーマになっていたので紹介して終わりたい。

 そこには「物語でこういうことを語りたい」という出発点になるような既存作品がリストになっていて、その下にこう書いてあった。

私たちは時間を売ってお金を得ている。
売ったお金で時間を買い戻す。
売る前の時間には、どれだけの価値があるのだろう。

火水イリイ

 自分のやったことを時給に換算したくなることがある。そもそも、この世のものになんだって値段をつけるという価値観に基づいているにすぎない。

 私たちの時間は、時給200円、1,000円、2,000円、5,000円ではあり得ない。

 時間、もっというと時間を感じている「いのち」について考えたい。

 いのちはエネルギーか? 時間か? 点か? 線か? 偶然の産物か? いのちの目的はあるのか? 終着点はあるのか?

 それを語り尽くすのに、私には35万文字必要だった。



 何者でもないアラフォー女性が、35万文字の物語を完成させるためにやった全努力をマガジンにまとめています。少しでも面白いと思っていただけたら、スキ&フォローを頂けますと嬉しいです。


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