見出し画像

物語を制作途中で評価するには

 物語制作、第三の月に突入。大きな動きがあった。


ついに執筆開始

 これまでの2ヶ月は、リサーチや世界観の設定、キャラクターの設計を主に行っていた。ビートシートの作成、シーンの構成のうちに浮かぶ断片的な文章を書いてはきたが、満を辞して物語を組み上げてみるのだ。

 2ヶ月も下ごしらえしてきて、よく腐らなかったもんだ。「構想◯年」とか言われる作品はあるけれど、私は大作家でも学者でも何でもない。でも、おかげで「書きたい」という気持ちは室温に戻して振ったシャンパンくらいに破裂寸前になっている。

 この月の目標は、1ヶ月後の漫画原作大賞への応募である。

 結論から話すと、応募は月半ばに完了することができたけれど、先に試験的に3話書き上げた事で物語の手応えを得て、どうせなら完成させたものを世に問いたいとか欲が出て、応募を取り下げた。この時は、まだ35万文字に膨らむなんて考えていなくて、せいぜい10万文字、行って20万文字くらいだと想定していた。

作品は友人知人に試し読みしてもらうべきか

 作家や編集者による創作こぼれ話を読んでいると、「作品はまず、友人知人に読んでもらえ」とお告げされる。私はこの意見に一考の余地を残すためのプチプチ緩衝材の立ち位置でいたい。

「本当にそうか? 本当にそうか?? 本当にそうか???」と。

 なぜなら、孤独な創作者にとっては「有意義でかつ創作意欲を高めるアドバイスをしてくれて、その後過干渉もしてこない存在」を得るのもある種の戦いだからだ。むしろ、そんな友達がいないから、想像の世界に親友を求めているんじゃないのか。少なくとも私はそうだ。

 「人に読んでもらった。こきおろされた」「12社に送ったけど全て没だった」「何年も帽子の箱の中に原稿が眠ってた」というようなエピソードを、有名作家でも所持している。もうこれはバッジか何かだと思った方がいい。

 「おめでとうございます! “友達に読んでもらったけど、感想が返ってこなかった” バッジを獲得しました! バッジをコンプリートすると、作家になれるかも!」

 一方で、このゆえに、私はやりたいことは勇気を出してすぐにでも始めた方がいいと考える。自分の好きなことが、人生で本当にやるべきことだったとしても、思う存分やれる環境や心理状態がすぐに整うわけではなくて、何年もかけて「本当にこれがやりたい」という思いを試されたりするからだ。 

自分の着想が面白いと、どうやって知るのか

 当時未完だった作品について、以下のような方法で手応えを得るに至った。

①あらすじに5スキがついた

 漫画原作公募は、合計2万文字程度の原作とは別に400〜800?字のあらすじをnote記事として掲載することになっていた。あらすじをアップしたところ、5人の方から「スキ」をいただけた。

 多くの人にとって未知の物語のあらすじを理解してもらえた。着眼点はいいはずだ。それだけでもかなりの励ましだった。

 一方で本編の方の「スキ」は伸びない。数千文字〜1万文字の内容を魅力的だと思っていただくのは難易度が相当高いと言える。

②第3話で物語が飛翔した

 漫画原作大賞は1話目に1万文字、2話目、3話目それぞれで4000文字を書くことになっていた。

 3話目の執筆に突入したとき、不思議なことが起こった。それまで組み立てていた流れから行ったら必然性はない方向に、物語が浮き上がった。

 初めに予定していた物語冒頭の構成は以下である。

第1話は今 (主人公の妹、ヒロイン、宿敵の登場。第一の事件発生)
第2話は今 (主人公の登場。平和に暮らす主人公)
第3話偉い人は今 (キーパーソンの登場。物語にアクセルが入る)

 この頃は全ての主要人物を設計していたが、偉い人はキーパーソンではあっても物語を牽引する主体だとは思っていなかった。しかし、どうやらこのキャラクターは物語の寵愛を受けているようだ。

 第3話は、第1話で起こった事件を受けて、偉い人が真相追求に乗り出すという場面だが、文字通り物語のエンジンが温まってどんどん前に進みたくなった。その思いを受けて、漫画原作大賞の選考にかけるのはあきらめ、自分のためにもう少し作品を深めるという判断をした。

 完成品では冒頭に尺を使って主人公から偉い人に繋がる描写を盛り込んだので、第3話に書いた話は第4話にずれ込んだ。第4話までで最終35万文字のうち4万文字を費やした。

 結果としては、公募の締め切りを利用して緊張感を持ち、試験的に物語を組み立てるという取り組みができた。短い期間だったが世間の目に物語を触れさせた事で刺激を受けた。

2ヶ月の作業振り返りを行う

 公募出品を諦めた私は、それでも色々な迷いを抱えていたのだろう。考えていたことのリストがノートに残っている。(太字が当時のメモ。右が現在からのコメント)

  • 伏線がうまく張れているか不明:まだ物語終盤に至ってないのでこの不安は長く付き纏った。

  • あとで論理破綻しないか心配:これも物語を描き切った経験が少ないための苦しみだろう。

  • やはりもっと知識が欲しくなる:どれだけ学んでもまだまだ知りたくなる。

  • コンテストに出品するべきか:新人賞を見据えて制作するべきか、ネット上にアップするべきかを悩んでいる。

  • 漫画作品には自分でするべきか?→とりあえずストーリーとしては完成させたい:まだ漫画原作として物語を位置付けるか、完全な小説にするかを迷っていたらしい。

  • この作品を作り上げるのに必要な知識は、当初よりまとまってきた:そいつぁーよかった。

  • 表現の幅を増やしたい→小説を読む。テキストを読む:物語を作るようになって、前よりも読書量、特に小説を読む量は増えた。

  • 知識を集めすぎると知恵がなくなる:これは安宅和人著『イシューからはじめよ』を読んで胸に刻んだ一句である。私もビジネスパーソンの端くれだったのである。

  • SNS(メディア)から遠ざかりたい:安心しろ、今は十分遠ざかってる

  • 技術に関する最新動向は知りたい:社会から遠ざかりたいのとアンビバレントな願いが芽生えている。

  • 作品を育てたい:受胎したからには無事に産みたい、という思いは本当に切実だった。

  • 仕事に戻らないで執筆を続けたい:いよいよ創作に深入りしている。


タイトルに対して結論づけるとするなら

 たった一人で創作を続ける人が、刺激や客観性を失わずに、自分の作品の出来を検証しつつ最後まで書き切るための助言ができるとしたら、以下の一点に絞られると思う。

 小さなきっかけを存分に利用する。

 私はこの後も新人賞に応募するべきか、ネットで小分けにして発信するか、電子書籍を発行するか、同人活動をするか、引き続き考え続け、どの可能性についてもある程度はリサーチし、比較検討している。

 最終的に下した決断は、2024年の元旦に、実家で暇つぶしに読んだ小説に書いてあったことがお告げだと思って、そこから得た直感をもとに自分の作品に対して相応しいと思われる方法をとった。

 とりあえず全部検討してみて有意義だった。調べた時に感じたことは、この掌編小説にも活用した。

 また、最終的には冒頭部分を数名の信頼できる人に読んでもらったりもした。それも、話の流れで小説を書いていると伝えたところ、「読んでみたい」と言ってくれた人に限った。

 物語というのは、もはやその人の生き様とほとんど変わらない部分がある。ある程度の年齢を超えての作品を介してのやり取りは感想をもらうこと自体が目的ではなくて、「私は元気です」と伝えたいがためのコミュニケーションの一つになる。

 だから編集のプロからでもない限り、友人からフィードバックをもらう、というのは相手の人生に対して果たしてアドバイスはできるのか、と紙一重と言えなくもない。

 だから、あくまで自分が書き切るための刺激、娯楽、気晴らしの一つだと思って、世間にある各事象を利用するくらいの気持ちでいればいいと思う。

 客観性と言ったが、客観性もそこまで必要だとも思わない。社会に対して完全に客観的になれなくて、もしくは社会に対して客観という自我を働かせてフラストレーションが降り積もった結果、今物語を書きたくなっているんじゃないのか。




 何者でもないアラフォー女性が、35万文字の物語を完成させるためにやった全努力をマガジンにまとめています。少しでも面白いと思っていただけたら、スキ&フォローを頂けますと嬉しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?