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『ゴジラvsビオランテ』(1989)ゴジラには何をやらせるべきなのか

『ゴジラ対ヘドラ』(1971)が好きだが、一般的には今作が一番とか。

初代『ゴジラ』(1954)では芹沢博士がオキシジェン・デストロイヤーを発見し、今作で白神博士が抗核エネルギーバクテリアをつくったとき、

「核が最終兵器でなくなる」

これは日本ならではの発想で、各国が製作するSF映画は、製作国のお国事情が分かるようになっている。日本が製作するSF(特撮)映画はズバリ「核」

日本に来た宇宙人は、核を持たない日本人に「核をなんとかしてほしい」と言う。それは「唯一の被爆国の皆さんが言ってくれるのが、一番説得力がある」から。

だからゴジラが日本の各地に現れるのは意味がある。だからこそ言いたい。

「ハリウッドよ、核をなかったことにしないでくれ」

『怪獣王ゴジラ』(1956)は、初代ゴジラを追加撮影および、再編集したもので、原爆に関する部分はカット。『GODZILLA ゴジラ』(2014)は、広島には敬意を払っていたと思うが、ただ一点、水爆実験をなかったことにしていた。

そもそもゴジラは、ビキニ環礁の水爆実験が始まりなのを忘れないでほしい。

さて今作だが、ビオランテは、ゴジラ×植物×人間の細胞を掛け合わせてできた怪獣。ふたつの形態を持っている。

花獣形態・・・植物の要素が多く、植物なのでその場から動くことはできない。

植獣形態・・・ゴジラの要素が多く、外見はゴジラに似ていて移動可能。

ここで注目なのが、人間の要素がないということ。生物学上の優劣でいうと、ゴジラや植物より劣っている。それなのに神をも畏れぬ行為の数々。しかし、最終的には人の心が救うことにも注目したい。

「原爆とゴジラに酷い目にあわされた日本が、ゴジラ細胞から核を超える兵器をつくるのは悪くない」

危険な発想である。ゴジラの被害は甚大だが、人間がつくった兵器で死んでしまったら、核を上回る兵器を生産し始める。そうならないためにも、

ゴジラよ永遠に!

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