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「永遠」と「瞬間」のハザマ

演劇とは刹那的である。

これは多くの演劇関係者に共感してもらえるのではないかと思う。
舞台の公演期間は小劇場だと少なくて土日のみ、大きな商業演劇でも3ヶ月前後の期間が一般的ではないだろうか。
生の舞台はその全ての回が少しづつ異なり、しかも一度閉幕してしまうと再演でもない限り同じ脚本は見られない。再演したとしても全く同じものはない。

けれど、自分の心に深く響いた舞台は公演が終わって何年経っても心に残るもの。
瞬間しか存在できない舞台と、永遠に自分の心に生き続ける舞台。
人は二度死ぬというけれど、舞台ももしかしたら誰の心からも忘れられた時が本当の千秋楽なのかもしれない。

私の心の中にも、十年間生き続けている舞台がある。

六本木少女地獄

2010年の東京都演劇部の大会を学校の先輩と公演を観に行った。
私の高校は大学付属校で演劇学部もあるのに弱小演劇部だったため地区予選で敗退。ちょっとでもレベルの高い舞台を観ようと先輩と大会を観に行った。

そこで観たのが、都立六本木高校の「六本木少女地獄」という作品。
端的に言うと、私はこの作品に飲み込まれた。大会で都大会と全国大会(だったと思う)、今はなきタイニイアリスでの公演、そして近年行われたリバイバル公演を観た。
私の人生の中で4回も観劇したのは自分の関わる公演を覗き「六本木少女地獄」のみだ。正直、自分でもどうしてそこまで惹かれるのかよくわかっていない。

六本木高校が上演した「六本木少女地獄」は、4人の役者が様々な役を演じて物語が進んでいく。その様変わりの姿や紡がれる物語が、当時14歳だった私には新鮮だったのだと思う。初めて観劇した時は衝撃で、家までの道もフラフラしながら帰った気がする。

「綺麗でしょう?すごいでしょ、六本木。街が生きてるみたいでしょう!道を歩いている人の4割が外国人!またたくネオン!あのね、この街のぜーんぶ、何もかも、みーんな、死んでるのよ!」
「岩を殺して砕いてビルを建てたの!森を殺して引きちぎって伸ばしてチラシを配るの!川を殺して、下水道に流すのよ。全てが街という化け物の養分よ。」(「六本木少女地獄」/六本木少女)

中学生だった私は、これだけで衝撃的だった。物語の本質とはちょっと違う場所にあるセリフなのだが、このセリフだけで街の景色が違って見えた。
六本木に行ったこともなかった中学生は「六本木」という街がどんなものかも想像できなかった。けれど、私が今見ている風景も全部死んでいると思うと、この罪悪感はなんなのだろうとボヤーっと思っていた。

大人になり、六本木近辺はデザイン関連のイベントが多いこともあり割と頻繁に訪れていた。頻繁と言ってもそんなに多くはないけれど。
その度に思い出す。殺された岩や森や川のこと、六本木は案外狭いこと。もしかしたらこの街のどこかに六本木少女がいるのではないか、と周りを見渡してしまうこともある。
特に、自分が生理中の時には。

想像妊娠、生理、女として生きること

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