神社で開運する方法? 一番は『愛』ですよ。
「・・・神社? 人気のパワースポットに行ったりして参拝はするけど、願いが叶ったこともないし、霊感もないし、正直パワーやご利益があるのかわかんない。」と、思う方。
なんとなく手を合わせるだけの参拝をやめる。自分のお願い事をするのをやめてみる。
「開運するからやってみてください」とは言いません。言いたくありません。なので、氣になってやってみようかなと思った人だけ実践してみてください。
まずは、神様への感謝。すべてのことへの感謝。世界の平和と生きとし生けるものすべての生命の幸せと魂の成長を願うこと。ありがとうございます。愛しています。と、ただそれだけを祈ってみてください。
最初は定型文を言っているだけのような氣になるかもしれない。でもきっといつか、それを真心で祈れるような自分になっていることに氣がつく時が来るでしょう。自分自身も自分を取り巻く環境も様々なことが変わってくると思います。それを祈るだけでも、感謝の心は神様のエネルギー源となり、世界の波動は上がり魂の成長が促進される。人々の様々な感情や思念、負のエネルギーで穢れてしまった聖地が浄化されます。
おそらく、神社や聖地に行くことも増えていくと思います。何故ならば、呼ばれるようになるからです。この世界をよりよい世界にするために力を尽くしてくれる、神様のお使いをしてくれる人は何人いたっていいでしょう??
「他人の幸せを祈ってばかりで、自分の幸せはお願いしなくてもいいの?」と心配しなくても大丈夫。すべての生命の中に自分も含まれているし、ご利益を考えなくても色んなものが色んな形であなたのもとに返ってくるようになります。それが神様が与えてくれたものだとわかるようになる。個人的な願い事も自分の力で引き寄せ、叶えられるようになる。
そして、その頃には何か悪いことが起きても誰かのせいにしてしまう自分もいなくなり、すべてが魂の成長のためなのだと理解できるようになるでしょう。『人事を尽くして天命を待つ』ってことですね。
そして、もう一つ。参拝作法について。
神社での一般的な参拝の作法としては、『二礼二拍手一礼』ですよね? 伊勢神宮では『四礼八拍手』出雲大社では『二礼四拍手』など神社によって異なる場合もありますが、参拝作法を現在の『二礼二拍手一礼』に統一したのは明治時代以降のことで歴史的には比較的新しいものなのです。
その理由は、神道復古運動によるイメージを強くするためとか、神道の格下げと否定を狙ったGHQの占領政略だとか諸説ありますが、簡単に言ってしまえば“封じるため”だとわたしは思います。
参拝作法が二礼二拍手一礼に統一される以前は、『三礼三拍手一礼』だったと言うのです。『3』という数字は古くから聖なる数として扱われて来ました。
天地開闢・世界を創造した神々は、天之御中主神、高御産霊日神、神産巣日神の造化三神と呼ばれる三柱の神々です。その後にイザナギとイザナミから生まれた神々も三貴神と呼ばれる三柱。三拍子揃ってめでたい。三三九度の盃。古代出雲王国が祀っていたのも三柱の神でした。そして、キリスト教においては、父なる神、御子であるイエス・キリスト、聖霊を三位一体とする教えがあります。
わたし個人としては、特別な作法が決められている場所以外の神社では三礼三拍手一礼で参拝させていただいております。例え、拝殿前に「二礼二拍手一礼で」と書かれていたとしてもね(笑)参拝作法をそのようにしたのは理由を知ったからというだけではなく、とある霊能者の方にお会いした時にそうするべきだと感じたからでした。
「大山ケーブルカーに乗りたい!」との子ども達の希望に応えるため、姪っ子ちゃん達を連れて、神奈川県の大山へ行って参りました。大山を訪れるのは今回で三度目ですが、この寒い冬の時期にしか来たことがありません。だから、緑豊かな大山も紅葉に染まった大山も見たことがない。季節を選んでいるわけではないのに、何故だかタイミングがそうなってしまうのよね・・・(笑)
年明けの大山は空気が澄みきっている。日差しがたっぷりと降り注いでいて、思ったよりも寒くありませんでした。階段の上り下りをするだけで汗ばんでしまうくらい。
拝殿の地下から湧き出る神泉もいただいて来ました!そこはわたしのお氣に入りの場所でもあります。
子ども達を連れて本社まで登頂するのは難しそうなので・・・残念ながら今回は下社まで。次に来た時にはちゃんと上まで登るからねー!
おみくじは、第一番『愛』でした。
愛とは何か様々に形を変えてあなたの元にやってくるだろう。人は誰もが愛する力を備えて生まれてくる。その力を如何に活かすか。あなたの人生愛に溢れている。・・・そう、すべては愛なのです。一番大切なメッセージをありがとうございました♡♡
ちなみに、子ども達は全員揃って傘の形をしたおみくじを選び、大吉を引いて大喜びしていました。ピュアだな〜(笑)
小さな女の子が、とある神社でお願い事をした。何をお願いしたのか聞くと、少女は答えた。「神様が幸せでありますようにってお願いしたの。」きっと一番大切なのはこういう氣持ちなんだと思う。
だってわたしが人の願いを聞く神様だったら、自分の幸せを願ってくれたこの小さな少女を誰よりも幸せにしてあげたいと思うもの。
すべての人の幸せを、皆が光に導かれることを祈ったとして。それでも、人はそれぞれが選ばなければならない。幸せになりたいのか、そうでないのか、許されたいのか、報いを受け罪を償いたいのか、光か、闇か・・・。魂が本当に求めていること、学びたいこと、何が誰にとってどんな価値があるのか、誰かがジャッジしていいものではない。自分で選ぶべきなのだ。
姫巫女としての活動をサポート応援して下さる方を募集しております! いただきましたサポートは、世界平和を祈る聖地巡礼の旅、その他 企画イベントなどの資金とさせていただきます。わたしを介して、ポジティブなエネルギーを世界に還元して参ります♡