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コロナ禍で1年半ぶりに再会した、国際恋愛の記録


noteの下書き一覧を眺めていたら、
2021年に作成した恋愛に関する記事が完成したまま残っていました。

読んでみたら、あぁコロナ禍の恋愛は本当にしんどかったなぁと、しみじみ思い出します。

私と同じような状況にいた遠距離カップルさんたちは、今ごろ一緒になれてるかな〜とか。


2年も前に書いた記事ですが、せっかく作ったので、投稿させてください。
ちょっと重いかも。

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2021年9月、3年間の遠距離恋愛を続けてきた、ベルギー在住の彼と1年半ぶりに再会を果たしました。

遠距離恋愛をするにはやはり覚悟が必要ですが

コロナ禍の国際遠距離となると、次元が違うように思います。

彼さんと最後に過ごしたのは2020年3月。

コロナがいよいよ世界的に流行しはじめ、各国で始まる入国規制、次々とキャンセルされる航空便・・・そんな状況でした。

私に会うために来日していた彼さん。できるだけ長く一緒にいたいと、ふたりで必死になって道を探しましたが決断を余儀なくされ、彼さんは帰国の途に着きました。

8月に絶対会おうね、と大泣きしていた私。

そのころの私には、3月から8月までの5ヶ月間すらも待つのには長すぎると感じたのです。

現実には、2020年8月には日本ベルギー双方ともに、特段の事情なく外国人が入国することは難しい状況でした。

私たちは8月の再会を諦めました。
次は12月、それが無理でも、2021年の2月には必ず会おうと。

やがてベルギー側には、交際1年以上を証明できるカップルには外国人パートナーの入国を認めるシステムができました。

しかし日本にはそのような制度はなく、外国人の入国は不可で、私がベルギーに行けたとしても帰国後に14日間の隔離制限が義務づけられています。

隔離制限を受ける期間がとれなかった私は、
12月の渡航を断念。
2月になっても、状況は変わりませんでした。

1年以上は待てないと半泣きになりながら私に訴えた彼さんも、なかば諦めたようにみえました。

次はこの月に、と2人で目標を立てることもなくなりました。


渡航を決意


今回タイミングで渡航したのは、複数の理由が重なったからでした。

1つめは、会えない日々が続くなかで、彼さんに対する私の気持ちが薄れつつあったこと。

彼さんとふれ合えない苦しい日々が続き、次第に私は逃げ道を探すようになりました。そうしているうちに、あんなに好きだったはずの彼さんのことを考えなくなっていきました。

「結婚したい」とまで思うほど好きだったこと、
彼さんほど自分に合う人はいないと信じていたこと、
大好きなまま離ればなれになってしまったこと。

彼さんがなにか悪いことをしたわけでもなく、別れるきっかけがあったわけでもなく、ただ、「好きなのに会えない」という状況から目を背けたいがために私はこれらの事実を次第に忘れていくようになりました。

将来設計を一緒に立てるほどの関係だったので、彼さんが私の人生において非常に重要な人物であることに間違いはなく

コロナに屈して大切なパートナーを失えば一生の悔いになると思いました。

そして、 

好きだった気持ちは、会わないかぎり取り戻せない

と感じたのです。


2つめは、彼さんの家族のことでした。

2021年6月、お父さんの病気が発覚しました。

病態は悪く、あと数ヶ月も生きられないかもしれない。

突然のことで、画面のむこうで涙ぐむ彼さんに
かける言葉が見つかりませんでした。


彼さんファミリーにとって、パートナーを家族に紹介するのは至極当然のことでした。たとえ交際1週間だとしても、パートナーは家族の集まりに招待されます。
交際3年近くなるのに一度も彼らを訪れたことのない私は異例の存在でした。

よく、彼さんとのビデオ電話中に後ろからから手を振ってくれていたお父さん。

早く行かないと、一度も会えないまま終わってしまう。

彼さんと私が今後どうなっていくのかは、誰にも分かりません。

彼さんの事が好きかどうか分からなくなっていた私は、自分がお父さんに会うには値しないと思いました。

彼さんも、私が迷っていることを察していました。それでも、来てほしい、待っているからと彼さんは私を諭しました。

私たちにとっては、極端な選択肢でした。
けれど、ここで立ち往生したら、いつか後悔するかもしれない。

「行きたい」はずだった願いは、「行かなくてはならない」という焦りに変わっていきました。

整った渡航条件と、そこからの葛藤


私は2021年7月、8月にコロナウイルスのワクチン接種を受けることができました。いわゆるワクチンパスポートも取得しました。

大学の卒論研究に取り組む期間でしたが、ひととおり実験を終えており、あとは論文を書くだけ。帰国後の隔離制限を受ける分の休みをとることができました。

彼さんは新しい職場に就いて1年目でしたが、1週間の休暇の許可がおりていました。


準備は順調に進みましたが、出発前の不安感はすごかったです。

私の周囲では「この時期の海外渡航なんてもってのほか」という考えが浸透していました。親しい人にだけ海外渡航する事情を説明していました。

ほとんど周りに伝えていないベルギー滞在中に、万が一何かあったらどうなるのかと想像すると怖かったです。

それこそコロナに感染するとか、事故や事件に巻き込まれるとか、可能性は0%ではなく、「ようやく彼さんに会える」という嬉しい気持ちは正直言ってありませんでした。

待ち望んでいたはずの1年半ぶりの再会は、何度も頭の中で思い描いてきたものとはずいぶん違う形になりました。

再会を終えて

彼さんとベルギーで過ごした10日間は、
あっという間に過ぎていきました。

スーパーマーケットでの買い物、手をつないで歩く近所の道、ぴったりと抱き合って眠った昼下がり。

時間が止まってほしいと何度も思いました。

次会えるのが2022年の春だとしたら、
2人で一緒に過ごしたのは2年間のうちのたった10日。

どうかしてる、と私がつぶやいたら
だからいきなり結婚はせずに、まずは同棲しようねと、彼さんが現実的に笑いました。


短かったものの、彼さんと過ごした時間は私にとって人生最大級に濃く、重要なものとなりました。

彼さんが家族や親戚に会わせてくれたおかげで
それまで「彼さん単体」しか見てこなかった私は、周囲の環境を含めた彼さんの人となりを改めて知ることができました。

彼さんが素敵な人たちに囲まれて生きてきたことが分かりました。

そして、彼さんと私を応援してくれるこの人たちを裏切るようなことはできないと、彼さんとの交際に強く責任を感じました。


彼さんのお父さんは、私がベルギーを発ってから数日後に亡くなってしまいました。

君が来るのを待ってたんだなあ、と彼さんが何度も言っていました。


何をどうしたって過去は変えられないけれど

きっとこれがベストだったのだと、自分に言い聞かせています。


帰国してから考えたこと


帰国後は、彼さんに会えたから幸せいっぱい!という訳でもなく

ふと塞ぎ込んでしまうこともありました。


もっと早くに再会を決意するべきだったんじゃないか、頑張ればもう少し長く一緒にいれたんじゃないかとか。

再会前は、「とにかく一目でも彼さんに会えれば十分だ。」という気持ちでした。周囲に秘密にしている以上、リスクを追うようなことはしたくありませんでした。

そうしてやっとのことで編み出した渡航のタイミング・だったのですが、後になると自分が下した判断に自信が持てなくなってしまうのです。

隔離措置で部屋に引きこもっている間、
自己防衛ともとれる思考を何度も繰り返しました。

それでも結局は、自分がこなしてきたことが実を結び、葛藤もありながら行動を起こしたのだから、これでいいじゃない!と、少し時間が経った今なら考えられます。

一度は消えかけていた彼さんとの将来像も、
まだまだ先が見えない中ではありますが、諦めずに追っていこうという気持ちになりました。

きっとこれから!

ですね。


たくさんの人たちが辛い思いをしている状況下、境遇は似ていても、苦しみ方は人それぞれ。

そんな中でも頑張る人たち、自分の周りの人たちが、今日も本当に、尊いな、と思います。


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これからも、好きなことを気ままにゆる~く、書き続けます。いつも読んでくれてありがとうございます!