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過去との再会とやっぱり別れたこと

ある人からご連絡があって、ほかの方からのご連絡にはそうそう心が揺れることもなかったし、感謝ですんでいたのだけれど、なんでいまさらそんな話を聞かなければならないのかなあと思った。

自分の人生に不都合なことなんてたくさん起こる。
それこそあの人がいたから○○になった、と思うことだってないわけではない。

私なら音楽との関係性に大きくかかわった人は結構おられる。
もちろんその人たちを好きなままでいられるか?と言われたら、そうはいかないとも思う。
ただ、私も場合、ほかの道に行こうとするのではなく、いつも国語に戻れたというのはやはりありがたかった。
仮にほかの分野に進むのだったとしても、私は絶対に一度は国語の教師を通っていたことだと思う。
他に進むべき道をなくしてくれたのだったとしたら、むしろ感謝したいくらいである。
それに、国語でならいくらかの仕事ができたとしても、音楽やほかの理系科目でなら、国語を通してしてきたほどの仕事はできなかっただろうと断言できる。
それなら、その自分の人生における登場人物には、感謝してもいいと思う。

その人に感謝するかどうかは別にして、そこに配置されたことに感謝してもいいと思う。

それなのに、昔の恋愛、それも振られた側からの思い出を、もう40年も経とうかというのに、当事者同士ならいざ知らず、それを恋々と語り続けるのはどうかと思う。とうに乗りきっているべきことで、何なら、その相手が、

ああ、なんでこの人と一緒にならなかったの!?

と大きく後悔するような自分になっていればいいのではないだろうか。

学生時代なんていろいろあるから学生時代である。
ましてや共学で、男子の比率に対して女子の比率が圧倒的に少なかった大学の中で、恋愛をめぐってあれこれあるのは自然である。

もしももしも今の自分が嫌で、それをその時の大失恋のせいにしているのだとしたら、私は絶対に相手する気にならない。
それくらいの大変さは誰だって経験している。
自分の人生を潰されそうになることくらい、誰にだって一つや二つ、いや三つや四つ持っているものだと思う。
また、それくらいライバル視されたとしたら、そこそこ仕事なり、自分のすべきことなりをしているということになる。

そもそもライバルの一人もいない人生なんておもしろいだろうか?
まことに相手にしていただいてなんぼで、失脚したら、喜ばれるくらいのことをしていなければ、気の毒がられるようでは面白くもなんともない。足を引っ張られるくらいでちょうど自分はそれなりの人物だということになる。

かつての失恋のせいで、今の自分は○○だとか、誰それのせいで自分は○○になった、なんて絶対に言いたくない。
そんなの、嫌な相手に自分の人生を預けているようなものではないか!?

振られたら、

あんないい男勿体ない!?

と周りから言われるくらい素敵になる。

もしも女性だったら、

あんな素敵な人、手放すなんて、なんてバカだろう・・・・?

と思われるようでないと。

何も捨てた相手の方がいい男、いい女とは限らないだろう。

いつまでも過去のことを恋々と誰かに聞いてもらうなんて、私にはできない。

間接的に連絡を取ったことになる後輩の言では、

ああ、○○先輩(私のこと。)、もちろん覚えてます。お元気でご活躍でしょうね。

とのことだったと知って、嬉しかった。
これで会いたいとか言われたり、連絡取りたいだなんて言われたら、私なら、バカにしないで!と言いたくなるだろう。

忙しいのである。
我らはまだまだ働き盛り。
目の前のことで必死である。
しかも地元にいるのではない。
出張で行くことはあっても、誰かに会いに行く暇などない。
絶対にない。
そこで過去のことをあれこれ言われても、正直覚えてもいないし。
それ以降の登場人物が多すぎる。(笑)

時折、昔お世話になった職場の人に声を掛けられる。
当時の同僚よろしく、

あの頃、国語科バタバタしてたからねえ・・・。

とか、まるで昨日のことのように語られる。
私は、その方との関係性を思い出すのに必死である。
事柄としての関係性までは思い出せても、感情的には思い出せない。
目の前で繰り広げられる過去の話オンパレードをニッコリ笑って聴きながら、着いていけていない自分が申し訳なくて、とうとう言ってしまう。

すみません。その後働いたところの同僚の方が鮮明で、それに私としては、あのあと本格的に大学受験指導に進めることになったから、それが本当に良かったと思っているんです。

と話した。
かつてのごたごたをお聞きしても、それ以降にだっていいことも悪いこともあったし、そもそも私自身がそのころの私と求められていることも違えば、考え方も大きく変わっている。年も取ったし。

当時と同じようなことがあったとしても、今ならもっと図太く乗り切るだろうし、人間なんてそんなものという割り切りもあるだろう。私が相手の立場になったとしたらそうはしなくても。

先日、スーパーで声を掛けられた。
なんだか見たことある?という感じでマスクの上の目が何かを語りかけている。

先生、ですよね?

正直名前も覚えていない。

私、そこの○○で働いているんです。
先生このお近くですか?

そうね。この近くだし、職場も本当に近いわね・・・。

また会えますよね!

などなど。楽しい会話をした。
ああ、この人とならまたもしなんらかの仕事をご一緒しても気持ちよく仕事ができるだろうし、おそらく私の仕事をお手伝いしてもらったとしても仲良くやっていけるだろうと思った。

ちゃんとそれぞれに時が経っている。それぞれに過ごした時間がそれぞれに濃密な時間になっていて、いきなりそこに戻るというようなこともない。

ただ、ふと思い出して、過去の思い出の意味合いが変わるということはあるだろうと思う。

それなりに忙しくているということは大事なことだと思う。
過去は素敵な思い出に替えるためにあると思っている。
そのためには今を一生懸命に生きなくては。
過去に縛られて、今をおろそかにして、過去の栄光、どころか過去の失敗に引きずられて、今が○○なのは、○○があったから・・・、なんて(逆のパターンなら良いにしても。)、口が裂けても言いたくない。

私のちょっとした不名誉。正直プライドが傷ついているのは、

○○に出張で来るときには、声掛けて。ワインでも奢るから。

相手の不倫の話をさんざん聞いた人にそんなこと言われても全く嬉しくない。私もその相手と同様だと思われたらどうしてくれる!?
しかも、相手の立場が立場なだけに、面と向かって不快であることを伝えるわけにもいかず、

今回○○さんのおかげで・・・。

と表現するしかない。いや、優等生とか、いい子ぶってるとかではなくて、それが大人の礼儀というものであろう。

バカにすんなよ!
正直そう思わされた。

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