無謀とも思える私ーできないなんて考えたことないかもしれない?
数年前、期限付きで受験していた試験のことを話したら、たった一人反対した人がいた。
エッ!?もしかして・・・?
と言われて、頷くと、
それは、さすがに・・・。
と言われ、
びっくりですか?
いや、びっくりではない。
意外ですか?
いや意外でもない。
じゃあ、こいつはないを言い出すんや?ですか?
まあそうやな。止めはせんけど(いや止める権利も意見を言う権利もないやろ?(笑)だいたい報告しなければならない義務もない。要するに義務も権利もない。)、よう考え。
と言われ、ちゃんと期限付きで勉強した。
初めて受験した時は本当に楽しかった。
結構取れたし。点数。
でも、教育の世界から足を洗うわけにはいかず、時間もお金もかかるし、それよりなにより、数年後、
また反対されるかもしれませんが・・・。
と言って、塾を開こうとしたときには、
ああ、それは僕は反対せんよ(なんで反対とか賛成とか、どうせいうこと聞かんのに報告しているのかさえ分からない。)。どこでやるの?
とのことで開校し、そのことが思ったより忙しくなってしまい(書斎状態にして、勉強するためのスペース確保の意味もあった。)、勉強どころではなくなってしまった。
その試験だって、いまだ未練タラタラ。先日も卒業生と電話していて、
○○がわかると、現代史ってめちゃくちゃ楽しいですよねー!
と乗ってくれて、二人で、
やっぱ、やりたいよねえ・・・。
と自分の年齢も顧みずに叫んでしまった。
そちらに向けて情熱を注ぐよりも(アスリート度は増したとしても?)、今の仕事を広げて、つながることをしていく方が絶対に人の役に立つ。それはわかる。その分野の人を見つけて連携する方が絶対に効率的である。
それもわかる。
ただただその分野の勉強が楽しい。
件の方にも言われた。
楽しいでできる勉強やないやろ?
でも、やればのめり込んでしまい、休みたくなくなってしまう。
でもそれをやってしまえば、国語さえ面白くなくなってしまうくらいのめり込んでしまう。
ということで、どうも私は思えばできる・・・、と思っている節があり、何かにできない、と決めてしまうことができない。
それが証拠に、高校時代、一時得点源になったと思われた数学についての苦手意識が拭えず、いつか克服したいと思ってきたが、思わず一生のうちでもう一度やる機会は思ったより早く来て、そろそろ積分が得意分野になりつつある。
数学オタクの高1生と、やっぱり積分やねえ・・・。
と話し合っている。
そして、今年、最晩年に手を出す(何に?)だろうと思っていた物理で、生徒たちはちょっと冬期講習で強化したら、何十点もたくさん点数を取って来てくれた。
やるたびに物理の世界がちょっとずつわかって来て、
こいつ、おうど(こちらの言葉でいい加減。怠け者。)なやっちゃな!
と仲間な感じがしてきた。
確かに物理の先生とはどなたも仲良しと思って来たし、どうも好かれてきたような気がする。仲良しな人が多い。
それは、同じ人種である、おうどな人たちだったのかもしれない。
確かに、きっちりされている方は・・・?
おられた。高校時代の物理の恩師の円は、まるでコンパスを使ったかのように素晴らしい円だった!
ということで、いつか・・・、と夢見てきたことが前倒しになることが多い。
それに、どうも年齢が、もう十年前でさえ遠く、今の方が年齢認定が、若くなってきているような気がする。
ということは、いつまでも働かなくてはならない、いや働けるということである。
ということは若く保っているかそうでないかということが重大になってくるということで、ここはトレーニングの重要性が増してくる。
身体も頭も両方。
それに精神的に若くいるということも重要になってくる。
最近、諦めたとは言っているし、状況的にはどうしたってできそうにないけど、やっぱりやりたいと言い出して、件の勉強をしているのではないだろうか?といらぬ懸念がある。
何かそういう気する。
さすがにないだろうけど。(笑)
いや、私のことである。やってたらどうしよう・・・。
と言いながら、違う方向であれこれ考えているので、まあ、そっちに広がっていくことになるだろう。
とりあえず勉強は好きである。
それから、レシピ研究は、サラッと作れるようになればいいので、あまり深入りしないで、楽しんでいよう。
でも、お洋服は縫わなければ・・・。
それに大曲が弾けるようにならなければならない。というより弾きたい。絶対に弾きたい。
誰かとアンサンブルできるように、合わせられる自分になりたい。ちゃんと相手の音を聴きながら演奏できるようになりたい。
でも、忙しい忙しいと言いながら、でもあきらめてはいないし、できないとは思っていない。
やればいいのである。
そしてできないとは思えないその根拠になっているのは、20年ほど前にした20キロほどのダイエットである。
目の前に新しい仕事が待っていた。
その仕事が私にその先の仕事人生を大きく変えることになり、その対象を方向転換した仕事なのであるが、その仕事のために、そう仕事のために、私は20キロのダイエットを敢行した。辛くなどなかった。
なぜか?その先にやってみたい仕事があったから。
その仕事を全うするために、中身ではなく、外見的にそうした方があらまほしいと思ったので実行したのである。
強く思えばできる。
そのときに、どれを強く思っているかで変わるが、とりあえず何かに向かって努力しているのである。
その目的が決まれば変わる。
それはただ順番の問題だと思っている。
時間が必要なら生み出せばいい。
お金が必要ならそれも何かで生み出せばいい。
とりあえずやってみればそのこととの縁はつながっていく。
やっている、それが好きだ。つなげたい・・・。
と表現していれば、あっちからこっちに近づいて来るに決まっているから。
もしもサポートしていただけましたら、そのお金は文章を書いて人の役に立つための経験に使います。よろしくお願いいたします。この文章はサポートについて何も知らなかった私に、知らないうちにサポートしてくださった方のおかげで書いています。