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ちょっと辟易している言葉ー地頭いい、と「あなたはいいわよ・・・。」

十年前に開業した。
二十数年前から少しずつ社会復帰をしてきた。
ちょうど下の子が幼稚園に上がってしばらくたったころから仕事の話が来るようになった。
自分で働きかけて得た仕事もあれば、そのときの仕事のおかげでつながっていく仕事もあった。
ちょっとしたきっかけで一つの仕事を辞めたことを聞きつけた人が、

ぼくらとしては、いいことをお聞きしました・・・。

と言って、どんどんほかの仕事をもってこられた。

仕事をすれば収入にもなるし、家を建てたばかりの頃はローン返済と、夫の会社がボーナスが四分の一になるということもあり、収入があることはありがたいから、だから嬉しくもあったが、一人での子供たちの世話も一方では大変で、そのバランスを取りながらお引き受けした。

ボーナスが四分の一になるというときに、夫から聞いたけれど、その頃はもうボーナス支給がないところもたくさんあったし、リストラされるわけではないし、そうそう大きなことだとも思っていなかった。
だって、家族というのは大変なことを一緒に乗り越えるからこそ家族である。
順風満帆ばかりが人生ではない。

父からは、

お前は遠いところに嫁に行くとしたら、正直相手に何があっても、言ってみればいざとなったときに、鍋釜提げても・・・、という気持ちがあるのか?

と聞かれていた。

もちろん、

はい。

と答えていた。
私は古風?いや、こんな表現は適切ではないのかもしれないが、愛情があるのないのというよりも、夫婦になったら、仮に相手が誰であったとしても、その人に対する評価も含めて、同じユニットとして動くだろうと思う。
借金取りに追われたら、一緒に追われるだろうし、それに、そこで夫を守りもするだろう。それこそ身体を張って。

これは組織に対する忠義ともつながる。
若い身空で、かつての職場で保護者からの電話を受けて、怒り心頭の相手の、

寮長出せ!

という電話を、即座に、これはつなげてはいけないな、と思ったときにはそのまま相手の罵声を浴びたまま、

申し訳ありません・・・。申し訳ありません・・・。

と言って宥めていた。
誰に教わったのでもなく、ただただ、そのときの組織の体制を思うと、そういうものなのだと直感した。

ひとたびともに人生を歩もうとか、ここの組織で食べさせたいただこう(ちょっと、いえかなり古い?)と思ったのなら、その家、その組織のために働くのが私にとっての当たり前だった。

支店長さんから電話が掛かってきた。

あんた、声が明るくて、安心した。

何かあったんですか。

と、また夫が何かしでかしでもしたのだろうか?と心配した。

いやいや、今回の、ボーナスの件。よその家なんかは、奥さんによう言わん家もあるんやよ・・・。

とおっしゃり、頭の中は???だった。
夫の会社のお給料が下がることを奥様が、つらく思っているのその当の本人に、どうすることもできない本人に詰ることがあるのだろうか?
旦那さんの値打ちって、そういうものなのか?

だから、私は変わり者なんだな。


まあええやん。
働けば。夫婦で一緒に働けば・・・。


そういう過程を経て、本当にあちこちで働いてきた。
非常勤だというのをいいことに、したい放題あちこちの職場で経験を積んだ。
大学受験のほうが得意なのに、小学部からリクエストがあったと聞いた時には苦笑した。
確かに面白かった。
子育ての延長で、その年齢の子どもたちの心情をよくわかっていたのではないだろうか?

まあ校種で言うなら絶対中学校が一番大変である。
高校ならまたちょっと違う話になろうが、教育産業でということなら、中学校は誰でも塾に来ているが、高校生というのは、大学受験を目指しているので、ある程度それぞれに意志があって勉強しに来ているからである。

小学生の話は面白かった。
勉強の合間に、

家のお母さんは・・・。

と話し出したり、あれこれ話すことが正直で楽しかった。

それに、

先生すみません。主人がやっと休暇が取れたので、その日、○○へ連れて行ってやろうと思うんです。申し訳ないですけどお休みさせてください・・・。

いつもちょっと寂しそうな後姿の生徒さんが、お父さんとお母さんと楽しい時を過ごす様子を思い描いて、

どうぞどうぞ・・・。

と思ってみたり。
小学生に相手していると、その生活が見えてくる。

親御さんのお電話の調子から、そのお家の様子が見えてきたり。
中には夫の会社の人のお家とお付き合いすることもあったが、正直、なんでこんなにプライドが高いねん。私は内情を知っている・・・、と突っ込んだろか?と思ったこともあった。
お給料も知っているし、そうそう対外的に偉そうにするだけの何があるというのだろうか?
電話でも、こちらが生徒さんを何とかしようと努めているというのに、まあ親なら仕方がないかもしれないが、保身というか、問題を問題ともしようとなさらない方もおられた。
それから、ほかのママ友たちはしないし、保護者は保護者、教師は教師と分けてそこは境界線をお引きになるものなのに、こともあろうに保護者会で私と知り合いであることをおっしゃった人もおられた。
子どもも子どもで、周りの友達に、

お母さんと先生は友達。

と話していて、

今度友人とランチに行くんだけど・・・。

などと、まあ、言ってみれば現代文の小説の話をするときの心情理解に使っていたら、全員の前で、

家のお母さんとランチ行くんですか?

と聞かれて、

なんで私の友人はあなたのお母さんだけなわけ?そんなに私の世間は狭いわけ?


と言いたかったが言わなかった。

いえいえ、別の方よ・・・。

に留めておいた。

同様にあちこちで使われていることは社宅時代に理解していた。
裏で意地悪言っておいて、普通に使われていた。
これは夫にも原因があると思う。
私のたくましさを信じておられた先輩。
大学の先輩、後輩をもっと守るべきでしたかしらん?(笑)

そうでない方々もたくさんいらっしゃるのだろうが、大体において、その特権意識には辟易していた。
私は別個のところで動いていた。

奥様だけいらっしゃいました・・・。

と表現されたときには、

あああ。

と頭を抱えたかった。しないけど。

いやや、いやや、いやや。一緒にせんといて・・・。

と思いながら、どこかでそのありがたさもあったのだろうけれど、でもできるだけ夫とは別だと思って生きてきた過程があったのに、専業主婦の友人から、

あなたはいいわよ・・・。

と言われるたびに、何か言い返したくなる自分がいる。

もちろん時代背景も、その方の通ってこられた過程もわかっている。
でも、できるだけ甘えずに仕事をしようと決意し、嫁としての立場についてもしっかりやろうと思ってそれなりに努力し、認められようが認められなかろうが、自分では精いっぱいやってきた、これ以上できないと思ってきた私に、婚家のあれこれや、仕事をもっていないことをあれこれ言われても、それを聞き流すだけで、ひとたび何か言いだしたとしたら、きっと気を悪くされ、けんかになるか、けんかになるなら品はなくともまだいい。絶縁になることだろう。

苦労して苦労して、それこそ入院中の義父の見舞いにも行けず、それを親戚には、私が行こうとしない嫁ということにされ、義母の弟には罵声を浴びせられた。この人は大学の先輩である。

でも、これは私の仕事だからと、お葬式の裏方は全部やった。
それでも恨まれたけれど、それでも私は私なりにやったという気持ちがある。
夫の親を見送るのが嫁の最後の仕事である。
それをやりおおせたのだから、それはそれでよかった、と思い、京都のご大家に嫁に行っている友人に話していたら、怒られた。

長男の嫁だけれど、次男さんのお嫁さんがよくお出来になっていて、自分は婚家に行きたくない。次男さんのお嫁さんは、婚家に何かあってお手伝いに行くときなどは、皆さんにサンドイッチやアップルパイなどを持っていかれる。
それをお兄様の気持ちを慮って、

これで、ちょっと点数上がったなあ・・・。

とジョークをおっしゃったらしい。そのことを、

あんな風に言うたら、お嫁さんのプレッシャーになるやろに・・・。

と旦那様がおっしゃったとかで、

じゃあ、〇ちゃん、今度何か作って持っていったら?

と言ったら、

私なあ、そんなことせんでええねん。〇ちゃん(義妹さん)が何しても、私しようとは思わへんねん。

と言われた。
どういうことだろうと思っていた。
そんな状態だったら旦那さん、困らない?

ああ、私はそれができひんねんやんなあ・

と言ったら逆鱗に触れたらしく、おかしな手紙が来たが、なんかおかしくなってんねんやろな、と思い、正直破って捨てた。

そしたら数日して、

まゆみちゃん、あの手紙捨てて・・・。

というから、

うん、そうしたよ・・・。

と言って、あれはなかったことにしよう・・・、と思った。
お葬式前からずっと続いていた微熱がなくなっていたが、そのことがあって再発して、クリニックの先生は、相当怒っておられた。
この人、なんか高岡の遠縁の従兄のお兄ちゃんみたいな立ち位置でいらしたなあ・・・、と思う。(笑)
というかそうしていたというか?

なんでそこで彼女が怒るねん!?

いやいや、時は六月。体調を崩す季節である。湿気は多くなるは、寒暖の差も大きい。お葬式など体力もいる。後から疲れが出てきたのだろう。

今ではそんなに大きくないけれど、一応経営者である私と対等と言うわけではないだろうけど、なんでこんなビジネス的な話になるのん?というような先生との会話になることもある。今になっては、こういう女性らしい話になっていたこともあったのだなあ・・・、と驚く。
そのあと、私はあれこれし始めたから、例えば試験を受けてみたり、先生はお目にかかってからずっと私に嫌というほど驚かされてこられたであろう。
何度椅子からのけぞって、

えええ!?

とおっしゃったかわからない。
ひどい時には椅子ごと向こうにぶっ飛んだこともあったっけ。

最近では母の通院の付き添いのほうが忙しく、そちらには全然お伺いしていない。

税務署が・・・、とかコンサルタントが・・・、など、あるいはときに、経営的○○などという言葉も飛び出したことがあった。別にええけど。
単純に話を合わせてくださっていただけの話である。(笑)

そしてその手紙をスルーしておこうと思ったのに、年末には、

なんでまゆみちゃん、あの手紙捨てたん?

と電話が掛かってきた。
その時にはさすがに説明した。


あまり自分から人から離れない私が、その時から、この人とは付き合うのはやめよう、と判断するようになった。
生きている場所が違う。考え方が違う。


最近、友人たちからの、やってきたことに対する、表現が寂しいことがある。

地頭が・・・、と言われたら、努力を否定されてきたような気がする。
女性だからだろう。男性にボロカスに言われたこともある。
それも、ご本人はお仕事できないだろうなと思われる人が多い。
その職場で、あまりいい立ち位置にいない。名刺を見ればわかる。この年齢でこの職責だとつらいだろうな。
でも、大きな組織だとクライアントにあれこれ言える立場である。
いわば組織を背景に、この時とばかり言いたいことを言う。
上席には言えない言葉を言う。
怨念こもった目で見られたことがある。

私、大阪の学校に行ってたんやけど・・・。いや、先生の所よりずっと偏差値低いよ・・・。

私と同級生の人だった。
それから阪急電車の話やあれこれ。私の持っている本については、

その本、自分で買うたん?

と言われて、稲盛経営学を批判するわ、あれこれあれこれ。

この話、どう考えても無駄でしょ?今回のこの案件について何がどう関係あるの?

じんわりじんわり傷めつけられる。
頭で善意に解釈しようとしても、こころが気をつけろと言っている。

とうとう、ああ、こういう思惑があったんだな、ということがわかり、

とうとう私は、顎で、

呼んで・・・。

と上席を出させた。

名刺を持ってやってきた人は、かつて夫がその立場にあったのと同等の立場の人だった。

いつも○○様にはお世話になっております。丁寧に処理していただいて・・・。
それにつきましても、今回の件、わたくしの過失があったのかと思いまして・・・。

いえいえ、これは完璧に手前どものミスでございます。櫻井様には何ら過失がございません・・・。先日から何度も何度も足をお運びいただきまして・・・。


おおおおおおおお、出た出た出た出た。
この業界の手前・・・。
そうそう手前。

そういえば、この方、こちらを向いて、時に目を合わせてにっこり笑ってくださっていた。
ということは、目の前にいるのは問題児?なあるほど・・・。


そして、このご挨拶。
ずっと法学部の先輩に、趣味の学部文学部と言われてきた私が、ちょっと認められた感じではないか・・・。
やっと社会学系統にデビューした感じ。ふふふ。

それまでにも、セミナーなんかでちょっとやらかしたこともあったけど、まあバレてはいなさそうだったから、ちょっと経験的に言いたいことを言ってきた。
いやいやいやいや、お客様目線で、組織のために貢献しただけの話である。(笑)

だって、おじさま方は私を頼りにして、お当番でもないのに、こっそり、

あれ、○○さんの奥さん、何言うてんの?

と電話されてきて、リサーチされたような顔をしながら、結局、

そこは何とかお願いするわ・・・。

とおっしゃっていたではないか?あの時のお給料を請求したいが、契約したわけではないので、債務不履行にもできないし、とっくに時効が過ぎている。(笑)

どうも私は、属する、あるいは属したでもいいかもしれないが、とにかく自分のいる組織のためには、その感情は別にして、何とか役に立とうとしてしまう。

大きなお世話であろうけど。(笑)





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