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いやいやいや先日から若者の言動にイラついている私・・・。

いやあさ、なんでそういうことするのよ!なんでそういうこと言うわけ?常識ないの?いやいや、私が幾分育てたわけでしょ?私の育て方が悪かったわけ?
と考えること数日。
民法の競業避止義務違反でしょ?常識じゃん!?言わなかったってことはやっぱりやましい心があったってわけでしょ!?
とあれこれあれこれ考えていました。
誰かによくないことをさせてしまう自分。
どこか甘いのだろうか?
と思って悩んでいました。
そんな時に、この記事に出会いました。

私は非常識な言動をされると、される自分、というものを考えます。
これは良くないな、と思ったときには結構はっきり言って時にはバッサリ、ということもするのですが、このはっきりしているところと親しみやすそうなところが共存しているのが私です。
もっと言うなら、外見がおっとりして見えるし、よく言われるのは包容力ありげに見えるらしく、でも、間違ったことをした、と思ったときの処断の仕方は自分でもびっくりするくらい残酷です。
これは許しておいたらよくないな、となると自分に利益があろうがそうでなかろうが、妥協ありません。
6月に「識学」の本を数冊読みました。
そこにはいろんなことに対する答えがたくさんありました。
私も一応経営者です。
面映ゆい気持ちもありながら、教室の内部に入った人は、
先生は生まれついての経営者!
と言ってくださったりします。
普段教師としては大丈夫でも、経営者ではないわ!と思っているので、とんでもない誉め言葉です。
あまあまの母親とは違う。男子生徒にもバシッと叱りつけていて・・・。
と言われたりします。
でも一見して優しそうに見える風貌で?あるいはちょっと言っても大丈夫そうに見えるのか、若者がときに、それは失礼やろ?と思う言動をし、結構根本的に指導しなおすことがあります。
あああ、私がいい格好して、いい人ぶっていたからこういうことになってしまって・・・。
と反省しつつ。
もっと早くからビシッと躾けておくんだった。教師面したくない、などと言うあたりのいい言葉のもと、それはいつも職業意識について異常に敏感なくせして、なんとか生徒さんや教室に関わる人と対等であろうとしています。
もちろん人として尊ぶことは大切です。
でも、それが行き過ぎて、してはいけないことを赦すとなると、それは私の罪になります。
年長者です。若者を導いていくという責任があります。
甘く見えていたのかな?と反省しているところに、上記の記事に出会いました。
そうそう、そういうことする人は一定数いる。
誰かを、状況を利用しようとする人も一定数いる。
そういう人って、どこに行っても、誰にでも隙あらばうまくやろうとするだろう。
それを切り刻んで自分のせいにすることはない。
それはわかっているのですが、自分の教え子がそういう状況になったら、どうしても自分を責めずにはいられない。
と思いながら読んでいました。
そういうところで自分を責めがちな私だから起こってきたことなのかなあ・・・、とこれまた反省しています。
反省するよりも、その責任の所在を自分ではなく相手にすればいいだけです。
そして言うべきことをしっかり伝えれば終わりです。
こういうところ、教師としても経営者としても私自身の修行だな、と思わせてもらった記事でした。

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