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先日から書いては消してを繰り返しているときに見つけた記事から・・・。

先日から、逡巡していたことがあった。

若いころはなんでそんなに考えるの?と言われていたけれど、行動する方が早くなって久しい私が、書いては消し、書いては消ししていた内容があった。

そんなとき、この文章に出会った。

2~3年前、ある経営系のセミナーで、対面では初めて出会った先生に、初めて出会った気もせず、私も好きなことを言っていたら(そもそも経営の話を聞きに行ったというより、やる気をなくして、途方に暮れ、教師としての自分を取り戻したくて、教室の方向性を知りたくて、なんでもいいからきっかけが欲しかったのだと思う。)あちらも歯に衣着せずにものを言われ、その先生が、「部活をしたい・・・。」とおっしゃるので、思わず、この人使おう!というみたいに、「先生、サックス吹いてください。私、ドラム叩きますよ!」と言ってしまった。

なんでも、以前からの知り合いで、とんでもなく仲良しだと勘違いされた方がいらして、私は、その勘違いが困って、先生にその旨をお伝えして、そのグループから抜け出そうと思ったけれど、だいたいにおいて、経営に無知で、無関心で、疎い私が、そこから抜けたら、またでたらめなことをしそうで、まあ、勉強の機会として活用させていただくことにはした。だいたい私にやる気があれば、教室なんて、何とでもなるもので・・・。(笑)

ところで、この、いきなり初対面の先生に、ある曲をコラボしようとしたのには訳がある。

提案したら、「あの曲難しいやん!」と却下されてしまった。

ピアノでどれだけ褒められようと、声楽で、声をお持ちですね!と言われようと、ドラムセットでのトラウマめいた経験が、私から消えなかったのである。

私は高校時代がどうも、消しゴムで消したい過去、だったような気がしている。生徒も知っている。いや、知名度や進学実績から言えば、むしろ、誇りにしている方の方がたくさんいらっしゃるだろう。

その原因を探りに探っていた。

勉強が嫌いだったのか?と言われれれば、私は勉強が好きだし、何より好きじゃなきゃできない高校教諭にもなり、予備校講師にもなり、今は開業もしている。

では、なぜに、そんなに、嫌なの・・・?

いつも思い出す顔がある。

ああ、あの人・・・、なのである。

かつて、3回生の時、大学に向かうホームのお向かいのホームにその人がアルバイトとして立っておられるのを互いに認めながら、私はどうしてもご挨拶できなかった。

身体が拒否していた。それくらい苦手だったのだろうと思う。

いつか認められたいと思っていた。高校時代を引っ張るなんて、相当しつこい話だけれど。

でも、どこかで、自分の至らなさのせいにしたかったけれど、最近私は認めた。嫌いだったのだ、と。

私は自分が誰かを嫌うことが嫌なのだ。嫌っている自分を見たくなくて、それで私は私が至らなくて怒られている、だから、いつか先輩に認めてもらいたい、などと思っていたのだろう。

ドラムセットで認められなくても、その人に認められなくても、それに誰に認められなくても、自分と音楽との関係を否定しなくてもいい。

別にその楽器にこだわらなくても、ピアノでも歌でもいい。大学時代、鍵盤楽器は大好きだったし。

でも、こんなに自分の人生に影響があるんだな、と思う。

苦い思い出。逃げはしなかったとはいえ、あの状態でもっとうまくやれ、と言われても無理だったドラムセットとの思い出。

今の自分なら、もっと落ち着いて練習できる。誰のことも怖がらずに、丁寧に音符を拾っていけるだろうと思う。だいたいにおいてあの頃は怖いものが多すぎた。

でも、どこかで、私は自分の殻を破りたかったのだと思う。

今、教師をしていて、スタッフが、神経質に生徒を叱って、追い詰めたら、私はやめてもらうし、それが教え子ならば、私が至らなかった、と反省もする。できないことを叱ったり、まるで罵声を浴びせるようなひどい表現をして、相手を委縮させたら、できるものもできなくなる。教育はそういう場だ。心を開くまで待って、そしてこちらの思いを伝える。

音楽はまた、違う厳しさもあるだろうと思う。プロの世界では。


だから、私はもう読むまい。

たまたま見つけた、その人の文章を。絶対に。しいたけさんのおっしゃるように。正義感を振りかざしたりしていいことなんてないのだから。

これは私のある種の決意表明だ。もう、忘れよう。

私も教育者の端くれなのだから。もしも何か言ってしまったら、結局は同じことをしていることになるのだから。


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