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大切なものを守るために。

この東寺のお写真、大好きである。

奇しくも、先日、記事にコメントを書いてくださっている方のお写真だった。どこか感性が似ているのかな?などと思ってみたりする。

今日は、昨日一日お休みだったので、なぜか久しぶりに授業したような気がした。

小学部ができて、この二人が、本当に率直に自分の気持ちを話してくれる。

私は、得意不得意で言えば、大学受験と、意外に小学生はいけるかな?と思う。中学生が苦手なわけではないけれど、得意と言えば、いっそ大学受験と小学生、という気がしないではない。

中学生の指導を好む人が多いような気がするけれど。(笑)

今日は、なぜか、「怒る」と「叱る」の違いを説明することになった。

怒るというのは、その人の感情。

叱るというのは、相手を想って、一生懸命叱るのよ。

と言ったら、

おんなじだと思ってたあ、という言葉と共に、その後の態度は神妙なものになった。

それでなくても、ここに来たら集中できて、勉強が捗る、と言ってくれている。けど、そんなに素直に心に響いて、私の言葉を受け止めてくれるなんて、なんとも小学生はまだまだ純粋だなあ。

この年代から育てたら、大学受験生になる頃には、結構育っているだろうな、などと考えてみる

小学生の間は、少し落ち着いてくれれば、すぐに成績は伸びる。だから、思いっきり遊ばせておく、というのも一法。

けど、落ち着いて勉強できたら、自信もついて、なかなかいいことになりそうな。

まだ一か月も経たないけど、来るたびにしっかりしてくる生徒たち。

勉強は、本当に楽しいものだと思う。


ところで、小さなお子さんをお預かりするときに、小さくなくてもだけれど、混乱させないようにする、というのは大切なことだなあ、と思う。

かつて、何で読んだのだろうか?

ある男の子の母親である、と名乗り出る人がいて、その二人に、その子を両腕を引っ張って、取り合いをさせた。

当然子どもは痛い!と言う。

その言葉を聞いて、思わず手を離した方を母親だと、お代官様が見抜いた、という話。

教育にも通じる。

生徒さんを混乱させるような話は絶対しないようにしている。

誰かと誰かの板挟みになるようなことは、教育の世界ではご法度である。

混乱したまま勉強など進まない。

だから、いっそ悪者になると決めることもある。

今までの面談で、ここは私が悪者になった方が、まだまし、というとき、退塾していただくとき、相手が、ちゃんと私を憎むことができるようにしたこともある。

逆に、私が、ある職場を去ろうとしたとき、ちゃんとそこを嫌だ、と思わせてくれた人がいた。自分が悪いわけではないけど、そうするしか方法がなくなったとき、その会社のことを、よくなく思わせて、あとくされなく、というか、しゃっきり次へと行けるようにしてくださった方もいらした。

仲のいい人はい出世じゃん!などと言ってくれたりもした。

昔、部活と勉強のはざまで親御さんが心配しておられたことがあった。学校の先生が大丈夫、とおっしゃっているのに、それでも心配で、私に

大丈夫、と言ってほしい、と言われた。

けど、そのとき私は大丈夫、とは言わなかった。

今は、部活に集中した方がいい、と思った。

敢えて厳しいことを言った。生徒は、最終的には、母親の味方である。

塾生から、そのお母さまがおっしゃっていることが聞こえてきた。

それでよかった。


そののち、その生徒さんが、志望校に入って、好きな部活で活躍していることを知った。

良かった。

その子のことを思って、手放すこともある。

厳しいことを言うこともある。

なんかお桟敷での話、変に身につまされるときがある。

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