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『ののはな通信』から・・・。

めずらしく女性同士の性愛について描かれた作品を読んだ。
愛し合いながら、互いに同性のパートナーや異性のパートナーを得ながら、人生を歩いていく。

同じミッション系のお嬢様学校で出会う二人が、全く違う境遇で、全く違う環境で、そして目指すものも全く違うにもかかわらず、お互いに惹かれ合う。相思相愛になって間もなく二人に亀裂が入る。

この亀裂こそは、この二人に試練をあたえ、人生から学ぶためにはなくてはならないものだった。

その後、異性と、しかも父と同じ外交官で、かつて同じ小学校で学んだお兄さんみたいな人と結婚するはな。その彼女の判断はいつもふわふわ生きているように見える彼女にしては、非常に冷静で明晰な判断であったように思われた。
生活本能があるというような。

その後も東大に入り、親とも交流なく自分の思うように生きていくののは、どこか満たされていない気がする。

前半では、むしろののにフォーカスされ、面白く描かれているが、後半の主人公ははなのようである。

お嬢さんで、親にお膳立てされた生き方をそのまま踏襲し、そして、それでも一生懸命に生きていくはな。その家庭で、彼女はとんでもなく周りに人々に愛を注ぎ、そしてとんでもなく成長してく。外交官の奥様方とのお付き合いもそつなくこなし、その中で、性愛の対象とされることもあり、その、ある種の清濁併せのむような、すべてから学ぶ姿勢は、たしかに与えられたから経験できるとはいうものの、本当に頭の下がる思いがする。
はなに子供がいなかったのは、幸いだったのか?彼女が最後に夫と別れて、後進国に残ろうとするその意志の根底にあるものは、どこかで置き去り氏にしてきた正義感と、あふれるばかりの母性であったように思う。

作者は、この、はなという女性の成長を描くために、好対照である、自立しているののという女性を配置させたのではないか?と思うほどに、この、後半の、はなからのメールは内容も濃くて、サラリとは書かれているけれども結構重い。
それまで考えてきたこと、ひとまずは頭と心の片隅にそっと置いて行ったものが、きっと、その存在を訴えだしたのだろうと思う。内戦によって、生死も保証されない場所で。

最後の、はなの夫である外交官の、ののに接触する、その意図がとても妻であるはなの意志の強さとは好対照で、ある種小賢しく、器の小さな人間として描かれる。
私は、ここで、長年夫婦をしてきた妻に対しての愛よりも、対面というものが大事なんだなあ・・・、と正直笑いたくなった。

その関係を映し出すのがののの役割である。

この作品での、はなの成長を見ていると、人間は、どんなことも起こりうる人生の中でどのような人生に起こることも受け入れて、どうにか自分の中で消化していき、どうしても納得いかないことには行動してみる・・・。

意外に、たおやかな女性の中にある強さを描いた作品なのだと思った。
どこかさわやかさのある、時代を先取りした作品のような気がした。

それも書簡だけで、ここまで描けるーいや、書簡のみだからこそ、人の心を深く描くことに成功しているのではないだろうか・・・。



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