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久しぶりにサボれない生活になっているので・・・。

最近、私は、ある人の世話があるので、生活が楽しいのである。
どうも、私は仕事がものすごく速いらしい。
これは職場ではよく言われていたが、正直家族が一緒に生活しているときに言ってくれる言葉ではないので(というより、比較対象がないから、妻が、母が、よその主婦より仕事が速いか遅いかなどはわからないだろうと思うから。)、主婦同士が一緒に何かをするとかしなければ、自分でもわからない。

長年主婦をしていた人の言だから、まあ、ウソではないのであろうけれど、いつもなら、仕事に備えて、もう少し休んでいようかな、と思うときでも、世話する相手がそばにいるので、ついお日様と共に起き出し、この気持ちのいい季節に大物洗いをし、お日様の下に干して喜んでいる。
朝食も、何作ろうかなあ・・・、とつい気合が入ってしまう。

今日は仕事の合間に温泉に行ってこようと思っている。
今日の雨晴は最高だろうし。
お買い物もしたいと思う。
氷見に言って、地物野菜を見てきたい。
何ならお魚を捌きたいので、新鮮な魚を見て来よう。

仕事場への出勤も、本当に出勤という感じがしている。

仕事が速い、と言われるたびに感謝していることがある。
結婚前に、先輩の奥様に、厳しい旦那さんをもつことの効用を教えてもらっていた。
若いころ、夫は、その場所で、○○!と言ったら、そのものが飛んでくると言った塩梅で、私は即座にそれを持って行かなければならなかった。
目の前で仕事をするのは避けてはいたけれど、日曜日の夜になり、さて、夫が単身赴任先に戻ろうか、という時間になると、自分の仕事も押してくる。
そこで、あちらはリビングで寝っ転がってテレビを観、私はダイニングで授業の予習、という場面で、夫が重い腰を上げ、おもむろに、「○○ちゃん、コーヒー入れて・・・。」と言うのである。こちらが入れてほしい状況なのではあるけれど、そこは考え方の違いで、私はさっさとコーヒーを入れてあげるのである。そしたら、満足して、安心して車で旅立ってくれる。
そして、私の激動の金曜の夜から日曜日の夜までの二日間が幕を下ろす。

子どもたちの世話はあっても、月曜日から金曜日は、ある意味気楽で、子どもたちの喜ぶお料理を作っていればいい。けれど、金曜日からは気合が入っていた。特に金曜日の夕飯で勝負が決まった(なんの勝負だろう?)。玄関に花を生け、いつもよりも片付けや掃除を念入りにしていた。いつもならリビングに子どものものがあっても気にしないタイプであるが、その日は子どもたちも心していた。

そんな子育て時代を経て、誰かが私に、○○して・・・、と言うことくらい、どうってことないし、疲れたりもしない。
さっさと動けばいいのである。

教室の生徒も驚いている。
先生は仕事が速い。目の前でどんどん仕事片付けていく・・・。
家事の合間を縫って勉強してきたので、隙間時間を使うことも得意である。この時間があれば新しい単語を覚えられる・・・。
その積み重ねが、今、指導に生きている。
何を訊かれても、即座に応えることができる。
それには、ちょっとした時間に疑問点を解決してきた経緯がある。
と言うより、まとまった時間が取れないから、ちょっとしか取れない時間が大事だったのである。

先生、元気!
と言われている。
これもひとえに、なかなかに厳しい旦那様のおかげ・・・、と言うと、
あんた偉いなあ・・・。と笑われた。
いや、鍛えてくれるものは、なんでも使うでしょ!
それだけできることが増えれば、生活は楽しくなるし、いろんなことができる。
ときに一休みして、初夏の風を味わうのもいい。

でも、私は自分に起こったことすべてに感謝しているし、違和感のある場所、価値観の違うところで見てきたことや経験したことのありがたさを忘れることができない。
母校と初任の学校の価値観など真逆も極致だった。
男女があるのかないのかわからない高校で、むしろできないことが許されない環境だったのに(たぶんできなかったらモテることもなくなりそうな。)、今度は可愛げなどと言う言葉が飛び交う学校で、もう、いったいどうすればいいの!?という感じではあったけれど、なにかに真面目に取り組む質らしい私は、その時その時求められたことを、ある意味まっすぐに受け止め、できていない自分と闘っていた。

いつもバランス感覚を持ち続けていたかった。
どちらかに偏るのではなく、どちらもやりたかった。
完璧主義に偏りがちな私が、ある意味のいい加減さ、ここまで!ということに気づくようになったのもそのおかげである。

何かを言われて、仮にその言葉が、違う意味を持っていたとしても、まっすぐに受け止めて、努力してみることもいい。そこから学び終えて、そのままそこに居続けてもいいし、もう卒業!となって、その次に進むことを選ぶのもいいだろう。

今、年を重ねて、ああ、あの時のあの葛藤や苦悩は、ここにつながっていたんだな、と思わされることが多い。
あの時の訓練が、ここにつながっていたのか・・・。
そんなつじつま合わせのような人生だけれど、なんだか納得できている自分がおかしい。

それに、いきなり学校現場に戻ると、その場所での動きを思い出すし、人に気を遣いながらの家事をするようになると、それはそれなりにその動きを思い出す。
開校してしばらくして、新しい公民館の掃除のお当番に当たったときも、家事についての勘、というより、大掃除のときの勘、どうすれば効率的か?ということに頭を巡らしているのを感じる。
引っ越しするときの段取りや、どこから手をつけたらいいのか・・・。そういうことをどこかで身体が覚えているようである。

先日から、母を助手席に乗せて、あれこれ話しながらのドライブの日々だったが、母に言われた。
私と話しながら、二つか三つ、あれこれ考えて整理しているのがわかる・・・。
本当はビジネスマンとしては、マルチタスクは避けたいところである。
マルチタスクは、自分がやっているという充実感が薄れやすいようだ。
でも、なんてことなくこなしている・・・、という点では、まあまあ、それはそれで・・・。

そして、今日、出勤してきての指導が、いつもよりも楽しい、新鮮なものになっているのを感じている。

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