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君子はこれを己に求め小人はこれを人に求む

昨日、英検のための個別指導をしていた。
その前の個別指導の折、さて、英検の指導を始めようと思っていたら、

方べきの定理がわからないんです・・・。

と数学の指導を求められた。
別に個別指導の内容をかっちり決めているわけではないし、先日の春期講習のクラスでの数学の問題がよくわからないからと言って、それがおかしいわけではない。
言われた通り、数学の指導をすることにするが、なんだか私の中で何か腑に落ちなかった。
昨日、英検の指導の中で、冬から言っているように、英語の力がほかの教科よりも弱く、また、その中でも単語がわからないからできていないことの多さを思っていたので、単語の強化を特に注意して指導していたから、単語の簡易なテストを口頭でする約束をしていたのだった。

いきなり方べきの定理と言われて、エッ!?となり、でも数学になった。
そしてその次の週である昨日、英検の指導をする際に、英単語テストをしてみて気付いた。
あまり出来が良くなかったから。

もしかしたら彼女、単語テストが嫌だったんじゃないかな?と。

彼女は、結構優等生的なところがあり(成績のことではない。振る舞いがである。)、私は間違っていません!という雰囲気のある人である。
まるで自分が悪いことをするのは、そうする理由があったから・・・、とでも思っているかのようである。

そして、誰それが○○できていない、などと、指摘する。
でも、結構自分のことなら逃げるところがあるんだな、と思った。
それもいつもやり方が巧妙だからこちらも気づかない。
それに、今までも、私に対してあれこれ言ってきたので、ちゃんとやるべきことをやる人だと思っていた。

思い出した。
彼女以外でも、自分のことは棚に上げて、人のことを論う人。
そして、自分ができていないことを隠すために巧妙に相手の非を先に突いておく人。

今回の彼女が故意にそうしたのか、それともたまたま勉強していてそうなったことなのかはわからない。
でも思い出した。
自分のことをしっかりしないで、自分ができていないことを隠すために人のことを指摘する人の存在。
真面目に受けてきて損した。

いや、損ばかりではない。
その相手が逃げ回っているうちに力を着けて、最終的にはエッ!?となり、

この差は何なん?前にやってるって言うてたやん!?

ということがたくさんあった。
そして、そういう人って、自分がサボっていた時間のことを言わずに、人が努力して手にしたものだけを羨むのである。

言われた人は辛かったり、できていない自分を責めたりして、一生懸命に努力する。別にそうだからと思っていやっているのではない。
でも、言った方がどんどん良くなくなっていくのを何度見てきたかわからない。
その場での自分の楽さを取って、その場から逃げるのである。
大学受験指導をしていると、

ああ、合格しないな。

とわかる。
なんでもそうだけれど、不誠実だというのは本当によくない。
何か目標があるのなら、ちゃんとその目標に向かって、正直に誠実に生きて行かなければならない。

ましてや、他人に、○○ができていない、これってこういうところありますよねえ・・・、などと指摘ばかりしていては、自分の手元がお留守になってしまうはずである。

表面だけ真似してもダメである。
内面が大事である。
その内実が伴っていないことはバレる。
その人の中身が現れる。
言葉にも真実味がないはずである。

大抵、よくできた人は、先に謝ったり、その責任を自分に見る。
そうでない人は誰かのせいにするのが得意である。
それ相当の努力をすれば、大抵、何らかの結果が出て来る。
継続してやればいいのである。粘り強く。
粘り強くやりもしないで、周りのせいにする。
それは絶対に良くない。

昨日見ていて思った。
ああ、これでは、こんなやり方では、何時間経ってもできないだろうし、それを何度言っても自分のやり方で、表面的な勉強ばかりを重ねることになる。だから身に着かない。
そして、それを他人の指導によってできることを求めるので、恐ろしくたくさん指導を受けなければならなくなる。
謙虚さがないから勉強が入っていかない。

この悪循環。
何度話してきたことだろう。
でもわからないし、どこかで人のせいにしているのだ思う。
勉強なんて、自分の中にどれほど定着させるかということがすべてである。

今まで教室を開いてから、玄関を入ったときから、生徒には好き嫌いを出さないように努めてきたし、なんとかしてきた。
でも、今回は、好き嫌いなく指導ができない生徒初になるかもしれない。
ただただ指導する。
自分の指導だけはする。手抜きは決してしない。
でも、対象を愛することはできないかもしれない。
そして、その合格を心から望めないかもしれない。
事柄としては十分、合格するようにと指導したとしても。
気持が追い付かないかもしれない。
こんな指導には無理がある。
でも、教師人生初のそういう指導になるのかもしれないと思っている。

そして、それもちょっと許してみようと思っている。
自分に。
そういうことが最後までできるのかどうか、自分の力量を試してみたいと思っている。

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