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素敵な人

昨日、母をある場所に連れて行った。
そこで出会った人を、素敵だ、素敵だといい、あの世界に、あんな素敵な人がいるなんて、余裕というか、謙虚というか、器が大きいというか・・・、と言って、またまた、その素敵な人について、私に調べさせるのである。
誠実で親身な方やわ・・・。などといって喜んでいる。

ネットの時代は便利である。
ああ、出てきた。その素敵な人の若いころ。
ふんふん、母の好みではあるなあ。

だいたい私と母の人の好みはよく似ている。
が、そこまで出会ったことを喜べること自体が私は羨ましい。

年齢をいくつくらい・・・、と想像していたのではあるけれど、私はその方をとんでもなく若い人だと思っていたが、だいたい母の予想が当たっていた。

確かに、フランクで、ものすごくフラットな方だった。
そしてさりげなく私たちの考えを聴きながら、ご自分の考えをサラリとおっしゃって、こちらの希望と、適切なあり方を教えてくださった。

なかなか素敵な職業意識。
私は職業意識のはっきりした人、というより、その職業に就いていることから来る自然なあり方が身に着いた人にとても好感がもてる。
もう、どこにも自意識も何にもなくて、目の前の人に役立つことを自然にやっている人、できる人。

母は希望を持ったのだろう。
その出会いに。
人に希望を持たせられる人っていいな。
私もそんな仕事がしたいな、と思っている。

最近、私は仕事に対して雑念が多かった。
ただ、最近、プライベートでの超絶な多忙さのおかげで、ああ、雑念だらけだったなあ、と気がついたのである。
必死な時には雑念をもつ余裕すらなくなる。

その必死さを求めて、一番大変だった時を懐かしむくらいに、雑念が多かった。
このゴールデンウィークを挟んだ多忙な日々が私はありがたく、自分というものを振り返るきっかけになってくれた。
あまり時間のある生活というのはよくない。
いや、人から見れば、それなりに忙しくもあるだろう。
けれど、どこかで退屈している面もあったのだろう。
しなければならないことは多い。
けれど、まだ必死になるほどではなくて、雑念を持つ余裕のある状態。

私は、学校現場が好きだった。
考えている余裕がなかったから。
そして、体力の限界まで働いていたから、余計なことを考える暇がなかった。
考える暇がない、というのは、つい何かを考えてしまいがちな私のような人間にとってはありがたい。

仕事って、いろんな自分を発見させてくれるし、気づかせてもくれる。
成長もさせてくれる。
学生時代の勉強をしっかりやる姿勢が、その後の仕事への姿勢にも関わってくるような気がしている。
今、生徒たちにあれこれ伝えながら、一生勉強だよね・・・、ということも伝えて行きたい。
自分の限界を超えて生き続けなければならないのだから。
それでこそ、成長はあるのだから。

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