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思い出の塗り替えに成功❣️

 最近、生徒や保護者に対して、必然的に高校、大学時代のお話をすることが多いのです。みなさま、楽しそう❣️とある種羨ましげに言ってくださるけど、え?そうですか?なんか必死やったんですけどね、と話してる内容は同じなのに、私の気分が違うのです。

 先日、私は、学生時代に鴨川べりをカップルで座って、プラムコットを食べて、などということをした、と言ったら、「今、櫻井さんに、そういうことがあるなら、羨ましいけど、過去のことが、なんで羨ましくなるんですか!?」とやり込められた、私より若い男性方がいらして、えー、なんでー、今やったら、ビジュアル的にもさまにならないし、何より、かなり面倒くさいではないか!?と思っていたのですが、いつしか、そんな、若かりし頃の思い出が、楽しく思い出せるようになったことに気付いたのです。

 高校時代しかり、大学時代しかり。いつの間にか、大変だったなあ、と思い出すようになっていました。それは、いつしか、教師になるための修行をしていたとしか思えなくなっていたからです。今、ちゃんと教師をするための、結果につながる何か、としか捉えられなくなっていました。しかし、そのときは、そのときで、楽しかったはずなのです。それなりに想いがあって、そのときを過ごしていた、そんな想いまで否定して、目的地にたどり着くまでに、一生懸命頑張っていた、としか捉えられなくなっていました。学生時代の恋愛や、ちょっとしたボーイフレンドとのデートまで、面倒くさかったことにしようとしていました。そんな時間にもっと勉強したかった、もっと仕事したかった、と考えていました。

 最近の私は、もともとの性格よろしく、正しいことを追求したがって、いかに迷いなく、ストレートに生きるか、という気持ちが強くなっていたように思います。人に対しては、とくに子どもや生徒には柔軟なタイプだと思うのに、いつしか、生き方が硬直していたようです。

 楽しいことをするのも、日々、まっとうに家事や仕事をするため。楽しいことそのものが、目的にはなっていませんでした。お洋服を選ぶこと一つも、いつも仕事のため。

 でも、ある日、なんだか柔らかい気持ちが戻ってきたのです。ふいに。

 ある出張からの帰り道、運転席から右手に海を見ながら、なんだか心に温かいものが流れ込むのを感じていました。

 ここ数年、私には、人の想いを感じとる力が小さくなっていたように思います。昨日、この人から、ここはいただく、というように付き合ってる、という言葉をお聞きしたとき、なぜか、心が寒々としたのです。心通じ合わない人と仕事なんかできない。相手が自分を信じようとしているのに、自分は、相手の一部分だけいただく、というようなことは、私は苦手なのです。

 業者さんとのお付き合いもそうです。もっと現金なはずの世界の人でも、私は、人を見てお付き合いします。得するから、では、付き合えない。私の直感は当たります。腹が立っても、合う人は合うし、気分よくしてくれても、自分の利益だけを考えている人もいます。

 腹も立たない。相手は、物腰柔らかくて、気分悪くもならない。でも、仕事に誠実かそうでないかは、付き合ってるうちにわかってきます。

 私は、非常に気持ちが大切。だから、生徒や保護者との関係を大切にします。もし、保護者とうまくいかなければ、生徒に良い対応は、たぶんしにくいだろうから。

 私は、ついつい、人の本質的な部分と付き合おうとする、面倒くさい奴だと思います。

 


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