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真面目に教育の話など・・・。

 たぶん、うちの教室は、あまりないタイプではないかなあ、と思うし、また、そう表現されても来た。

 私が、教科指導の後ろにある心の問題を解決したり、精神的な成長がないと、効率的ではないな、と思ってきたし、何より偏差値の高い大学出ても、しっかりした人間でないと、結局役に立つことが難しいし、学校を卒業してしまったら母校が何をしてくれる?と思ってきたので、結局、人間そのものを育てる形になっている。

 また、それをこそ望んでうちの教室を選んでくださっている保護者の方が多い。

 帰ってきたら、違う顔してる、生き生きしてる、とはよく言われてきたものの、最近では、本当に、私に、勉強だけではないんです、人生を教えてやってください!と言って、お子様を預けてくださる方が増えてきた。

 だからかな、私も、あんまりうちの教室について、塾、という表現をしたくない。つい、教室、と言ってしまう。

 それには理由がある。

 新卒で勤めた学校が、全人教育をしようという学校だったから。しかも生活指導をしていたし、おまけに住まわされていただけだけれど、生徒に一緒に寮に住んでいた。

 そもそも母校が、生活指導が機能していない学校・・・。すみません、こんな表現して・・・。空気読める、なんていう言葉存在しないんじゃないかな?一般常識とはかけ離れて、でも、恐ろしく行動力のある人たちが集まっていた。最近、私のことをキャラ濃い、と言って、顰蹙を買っている先生筋の方々がいらっしゃるけれど、別に気にしているわけではないけど、なんで、あの中ではキャラ薄い、存在感のなかったはずの自分が、いきなり外出たとたん、キャラ濃い、になるのかわからない。理解不能。

 もう一つ、私は大阪にいるときには、大阪人であることを疑われていたのである。素朴、あるいは言葉が、などなどいろいろあったが、要約すれば、都会人的に洗練されていなくて、ある意味田舎の子に見えたんだろう・・・。それは、事実があるだけで、別に、幾分名誉な面もなくはなく、でも、そうそう誇れるわけでもないけど、大阪から出たとたん、大阪人にされたのに似て、真実と違うようで、それは違います、と言いたくなる。大阪人と一緒にせんといて、と言うのとはちょっと違うにしても・・・。いや、京都人と言われてうれしい当たり、ちょっと怪しいものの・・・。

 ただ、私の消したい過去であった、母校のせいで、私は、キャラ濃い人になっているような気がしてならない。

 脱線しました。

 ただ、言える。努力する人が多かった。結果が出ないことを人のせいにする人なんかいなかった。やってなんぼ。しっかり勉強するのが、部活では練習するのがなんぼ。できないのは自分のせい。

 それから、結果について、裏表のないタイプが多かった気がする。自分の心情にも。自分が嫉妬してると思う、とか、自分が、○○だ、ということをなぜか認めている人が多かった。一応分析して、どこに原因があるのかを突き止めているような・・・。やはり自分に原因を求めるような・・・。

 だから、何も言えなかった。努力が当たり前。

 予習も当たり前。できてないのは自分のせい。

 その代わり、そこで身に着けた、世の中には自分より優れた人がたくさんいるということを思い知ったからこその、世の中に何かしら働きかけなくてはならない、という想いって、いつまでも残っているような気がする。名誉欲なんてない。ただただ、毎日前進していないといけない、と思っている。

 ただし、勤めた学校でだったら、私たちは、女性ではないということになるだろうほど、まあね、男子の方が掃除する、とまで言われたこともあるような・・・。でも、自由だった。いやだと思っていたけれど、自由だったし、それに、青春時代のすべてがあったんだと思う。

 昨日、保護者の方から頼まれて、嘘ばかりついていたら、信用なくすんだ、ということを先生から教えてやっていただけませんか?人生について教えてやってください、と言われて、ある生徒に話した。

 あのねえ、あなたが、嘘ついたことで、あなたがしたほかの努力まで疑われるんだよ。信用って、長い時間かけて、本当に長い時間かけてやっと得られるものなのに、失うのは一瞬なんだよ、と。

 これから、上っていくステップをできるだけ低くしながら、一つ一つ、一段ずつ階段を上っていくように、いろんなことを教えていこう。

 本当は、私は教師に向いていない。上から目線で語るなんて苦手。人の価値観に踏み込むつもりもない。そんな私が、生活指導を担当したとき、本当に匙加減がわからなくて困ったものだった。でも、伝えたいことはある。

 子育てをするように。小さかった子どもたちに、何がよくて、何が悪いことか、言葉ではなく、行動で伝えてきたようである。本当に、私がするように人に接していた。私は、人を大切にする、ということだけ、誰かの役に立てば、自分だって助けてもらえる、人と助け合って生きていくことだけ、人を分け隔てしないことだけを伝えてきたような気がする。

 生徒さんは違う。依頼されていることが違う。だから、教科指導もする。それから、こうすれば、一番能率的、と私が思っていることを伝えていきたい。そんなもん、策を弄せず、裏表なく正直に生きるのが、一番効率的で、自分の頭も気持ちも混乱しないに決まっている。こんな年して、こんな青臭いこと言ってる?いやいや、年を重ねて、習得したことです!

 結局、信用があれば、周りが動いてくれるから・・・。何かあっても安心して暮らせるから・・・。

 

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