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みんなにとって素敵なものでも自分にとってはそうではないときもある。

高校時代、プラスバンド部で同じパートの先輩は、お二人ともとんでもなく成績の良い方だった。
男性の方は、なんでも「I高校始まって以来の秀才」と謳われていたらしい。(ちなみに私は、小学校1年で、『この学校始まって以来の秀才』と言われたらしく、まあ、レベルがちがうけど、こういう表現をあまり信じていない。(笑))
その先輩は、私が「ここの学校に絶望した」大きな原因だった。全く魅力を感じなかった。
まず、おっとりしていたらしい私は、その先輩からは、不思議だったらしく、
お前はホンマにI高生か?裏口ちゃうか⁉️
と言われたが、その頃は、こんな人に言われても別に、という感じで傷つきもせず、
いえ、裏口ではなくて定員割れです。
と答えていた。事実女子は定員割れだったから。

各中学から来た秀才が集まるはずだった。母校の中学が1学年330人中10人入ったから、まあ、だいたい3パーセントくらいだったのだろう。
それなりに話せる人がいるだろう。勉強して来た分、考え深い人がたくさんいるだろうと思っていたが、反対だった。
全員ではないにしろ、まあまあそこそこ恵まれた環境で、塾なりで効率良く勉強してきて、それこそむしろあまり考えてはいなさそうな人たちに思えた。というよりむしろ、競争に勝つために、考えている暇などない人たちだったのだと思う。親からの期待に応えなければというプレッシャーもあっただろう。
あまり類型論的に掴みたくはないが、粗々そういうものだろう。

今、私の主宰している教室から、今年地域ではトップの進学校に入った、数学ができるちょっと天才肌の男子〔勉強はほとんどしてないくせに、結構成績をキープしている。指導中も彼だけ違う、学問とは?的な話にもっていこうとする。)は、
あんなん授業ちゃうやん。予習したことの答え合わせやん。
と嘆いている。
それを初めて聞いたとき、
あっ、この感覚❗️
と思い出した。
私も授業がおもしろくなかったのである。
そして、どこの大学もイマイチピン!と来なかった。
だけど、勉強は好きだった。でも高校の勉強にはときめかなかった。
そんなところで優秀だからと尊敬できる気持ちにはならなかったし、みんなが誉めそやす人は、みんなの前では不器用であまり発言しない人なのに、私には、嫌なことを言う人だった。
私ともう一人(この人も身勝手だったが、なぜかあまり咎められずに済むタイプ。)に、
はっきり言って、後輩入ってきたらな、自分の練習はできんから。
と言ってのけたときには驚いた。後輩を育てる気などない。優秀なお二人だけで仲良くしていれば良かったのだ。
先輩二人と楽器を借りに行くときにリヤカーを引いて出掛けたが、後輩一人の私には話し掛けず、二人だけで完結していた。
尊敬できる要素、ある?
しかも大嫌いな指揮者の先輩は、中学時代からの親友だったらしい。成績は、二人足して2で割ればちょうど真ん中?みたいな人たちがなぜにあんなに仲が良かったのだろう?

みんなが評価するから、その先輩と合わないし、幾分冷たく感じるのは、自分が悪いのだと思い詰め、なんとか親しくなろうと頑張っていた。
なんとなく思うのだけれど、先輩は、弱かったり、優しかったりするものが嫌いだったのではないか?と思う。
自分自身が強くあろうと頑張っておられたのだろう。
合宿に行った折、そこの子どもを揶揄って、意地悪するのを見て、いったい誰が、この人のこういう部分を知ってるのだろう?と考えた。
私も悪い後輩で、そんな先輩を折に触れては密かに揶揄っていた。笑っていた。
周りの良識ある先輩は、
〇〇のお母さん、めちゃくちゃ上品で。
なんて言うのを聞いて、なんでこの先輩がこんなふうに褒められてるの?と思うくらい嫌いだった。
なんて言うのは、あまりにしつこい話しながら、最近になって、やっと、大嫌い、と言える自分に気付いたからだ。
かつては言えなかった。
みんながいい人、優秀な人と言っているのに、いくら自分が違うところを見ていても、それを表現できなかった。

下に息子が生まれたときに、三代目の子だから、自分の名前の一字を付ける!と義父から言われたときには、夫に猛反発した。その古臭い考えもそうだが、当時でさえその字はあまり使わない古めかしい漢字だった。
実家の父に、
おまえ、そういうことは、ちゃんと言うことを聞くもんや!
と諭され、私は、その一字に合う漢字を辞書とにらめっこしながら探した。
しばらくして、娘の一字を足したら、画数もさながら音韻的にもなかなかサマになってきた。
ただ、なんだか女の子と男の子が同じ字というのがちょっとな、と思い、同じ音で探して、ふと気付いた。
先輩の名前の一字。そう、先輩がバカなことを、誰が聞いても恥ずかしくなるようなことをしそうになったことがあったから、私はその一字をよく覚えている、その音韻は同じ一字を当ててみたら、バッチリだった。
そこで考えた。
まあ、ええわ。頭はいいんやから。
なんとも譲歩的代替案的なオチで決定した。

我が子は、私の母校始まって以来の秀才の一字をいただいた。
たしか後輩から、
あー、〇〇先輩の・・・。
と言われたと思う。
そこはいい子ぶりっ子な私。自分の気持ちなど話さない。
うん、そやね。
年賀状を見た人は、思っただろう。
あー、まるさん〔私のニックネーム)、〇〇先輩から一字もらってんな。
そう思われても仕方がないくらい有名なお名前であった。

先輩は、私が、
先輩、受験するのは、関東ですか?関西ですか?
と聞いて、
あー、関西やなあ。
と聞けばどこだか判明する大学の最難関学部をお出になった。もちろん学位も素晴らしく。
でもいまだに尊敬できない。
ついでに大っ嫌い!

件の生徒に、
そのことだけのために同窓会出て、思いっきり無視したろかと思うわ!
と話したら、
先生怖い!怖い!
と言われた。
ただ、教育の世界に生きてきて、人を育てずに、なんなら、人を潰そうとするようか人が、究極的に人を救うような仕事をしているんだなあ、と思い、複雑な心境になる。
一方、数年前に、あんなにおとなしい人が、と思う人が同じ職業に就いておられるのを知り、先輩のために偏見をもっていたその職業をただただ尊敬するに至った。
そんなものだと思う。
大嫌いな人が、尊敬するべきことをしていたり、周りがみんな自分とは違う評価をしていたら、言えなかった。
というより、自分の中で認められなかったけど、今ははっきり思える。
あの先輩、大っ嫌いだった!


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