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またまた子ども扱いされて、私は元ママ友ですが・・・

今日、私は歯医者さんに行ってきた。
いつもは母の付き添いだけれど、今日は私の抜歯があった。
歯医者さんに行くというのに、私が一週間前からバタバタしたり、ドキドキしなくなっただけでも、人は成長するというものである。

前回は、

どうしたん~?

と言われて、これはいい。
まあ、親しいということで許容範囲。
でも、今日は、

歯を抜いてよろしいでしょうか?

と言われた。以前、

よろしくお願いします・・・。

と言われて、ちょっと大人になった気分だったのを思い出す。

ところが、麻酔を経て、さて抜歯というところあたりで、

ちょっとでも痛かったら手をあげましょうね・・・。

と言われ、あと、もうちょっとだからね・・・。

と言われたあたりで、どうも子ども扱いマックスな感じがしている。
挙句、治療が終わったら、いつものように、

汗かいてるわ・・・。

と揶揄われた。
これは歯科衛生士さんに、

私も汗かきやから・・・、と言って、ちょうど椅子に座ったときに、ティッシュを持ってきてもらったくらい来た時から汗をかいていたのである。
別に歯を抜いた怖さからではない。
最近はすっかり慣れてきて、もう堂々としたものではないか・・・。

それはそれで終わった。まあ、許容範囲である。大丈夫。

ところが、母が帰りの車の中で、

先生がなあ、「今日で終わりましたけど、また調子が悪かったりしたら、『お嬢さんに』連れてきてもらってくださいね。」って言いはってん・・・。(笑)

と言い出し、それなんやねん・・・、と憤慨していた。

その先生は、娘と同級生のお父様である。お母さまも知っている。
同じ時期に小学生の父や母をしていたのである。

お嬢さんて・・・。
お互いに、舅、姑になる年齢で、もう孫を見ても十分な年齢ではないか!?

お嬢さんて・・・。
仮に母がいいところのマダムに見えたとしても、年齢的におかしい。
まあ、先生は私をあれこれ揶揄ってこられた。

顔を見れば、

怖いんちゃうん?笑笑

いえ、大丈夫です。

なんかあったから来たんやろ?

と言ってモニターを見に行って、

うっわひっど!

それって、歯医者さんが怖かっていた人に言う言葉?ひどすぎやわ・・・。

母に言わせると、

どうせ私に言うたらあんたに聞こえると思って、揶揄ってはるんやわ・・・。

と言っている。

私はかつて四歳の子にも揶揄われたし、赤ちゃんの頃の娘と息子にも同様に七か月くらいの頃に、

うっしっし・・・。

という顔で揶揄われていた。

これでもちょっと知的な商売しているわけではなかろうか・・・?

かつては、薬剤師さんに、

今日はシップ出てるよ・・・。どこに貼るの?胸に貼るの?

と言われて、

セクハラですよー!

と訴えたが、親子ほど年の違う薬剤師さんも真っ赤になっておられて、周りのスタッフはどのようにお聞きなっていたのか聞いてみたい。
母に言わせれば、

それ、セクハラと違うて、むしろ小さい子揶揄ってるみたいやんか・・・。〇〇ちゃん(娘)に、「今日はシップ出てるけど、どこに貼るのかな?」みたいな。

とセクハラよりも不名誉な指摘をされた。

その方は、私が本を持っているのを見て、

もう講義は終わったの?
まーた難しそうな本読んでるねえ。
何の本、読んでるんだい?

とおっしゃったことがあり、頭の中は???で、私のアイデンティティは崩壊しそうになる。
これでも男子生徒を怒鳴りつけることもある。
女子は可愛いからあんまりしないけど。

セミナーで他大に行った時にも、警備員さんに挨拶されて、

いえいえ、私、こんな偏差値の高い大学の教員ではありません・・・。

と言いたかったが、一応頭を下げておいた。教師には見えるというわけで、だから、もう少し大人扱いされてもいいと思うんだけど・・・。

若い人扱いされたと言って、自慢したいとかではおおよそない。

このアイデンティティ崩壊の危機をどうしてくれる!?

その昔、ママとして、高校に勤めていることがちょっと嫌だった。
どうも眼鏡をかけたインテリを想像されそうで。実際七家族で誘われて行ったキャンプで、一家族のご夫婦だけ、なんだか私のよそよそしかった。
私の方は親しんでいるのに、その年配のご夫婦が私に打ち解けてくださらない。

でも、夫が私に、

あんた、ちょっと調子に乗って・・・。

と言ったら、

いやいや、奥さんは僕らに溶け込もうとしてるんや・・・。

と言ってくださった。
その後、まるで兄貴分、姉貴分になってくださったようなお二人の最初の頃の印象を語ったとき、まあ、一種の恨み言だけれど、

だってさあ、〇ちゃん。高校の先生やって聞いたら、どんな人かなって思うやんか・・・。

と言われて、私は私の仕事を恨みたくなった。
だから、性格が違うのであって・・・。

その後数年のキャンプでは、

こら、〇!この木にぶら下げたろか・・・?

と言われるほど、私というものを知っていただいたけども。(笑)

車に乗っていて、そちらのお店の前を通ると、

あらあ、あなたそこにいたのね!

というような顔をされる。(笑)


私は私で複雑な話である。
先生扱いされたら寂しくて、でも子ども扱いされたら、ちょっとあれれ?となっている。
社会の要請があって、何かをしなければならない時だけ私は大人な顔をする。
でも、それ以外で親しまれなくなると寂しいのである。

私にはこの世にたった一人私をかわいい女の子にしてくれる男性が存在する。
もう大きくなってしまったので、だらしない態度はもう決して取らないだろうが、小さいときには、

ねえねえ、○○ちゃん、ママのこと、お嫁さんにしてくれる?

とよく言っていた。
すると、

うん・・・。大きくなったらね!

と言ってくれていた。

それなのに、いつごろからか、二人でデパートのティールームで、お茶をしていても、

これはデートじゃないからね!デートじゃないからね!

と言われるようになった。

そののち、大阪の父が遊びに来てくれた時に、

好きな子は誰?

と聞いたら、

〇ちゃん!

と答えていたらしい。
私に聞かれても、浮気だと思われるとでも思ったのか、絶対に明かさなかった。それ以前はいつも、

お姉ちゃん・・・。

と答えており、娘の証言からも、

めちゃ可愛い・・・、とか言って、チュッてしてくるんだよ・・・。

とか言っていたから、彼の好みはわからない。
でも、車の助手席に乗っていて、後ろの席を見ると、ゲームをしていた息子がいきなり顔を上げたかと思うと、速攻で姉のほっぺにチュッとして、それからまた何事もなかったかのように、ゲームに向かっていた。

その息子が好きな女の子がいるから、母とのお茶はデートではないと主張する当たり、律儀な日本男児の側面が表れていたのではないか!?と考察している。

けども、つい息子の姿を思うと、どこか、

ねえねえ、〇ちゃん・・・。

と言っていた時の少女のようなかわいい女の子の気持ちになってしまう。
絶対に誰にも見せるまいと思うけれど・・・。(笑)

私は息子と出会うまで、男性にそんな気持ちになったためしがなかった。
むしろいつもライバルか、自分より前に走っている人たちで、尊敬するか、追いつきたい相手として存在していた。

だから、むしろ揶揄われるのかもしれない。
私のどこか実は男性に対立しているところが見透かされているのかもしれない。

私は男性の、大学の先生やその他の年配の先生から、こちらが話しているときに、手でもうしゃべるな、的に払う仕草が大嫌いである。
かつて少々信頼していて、いろいろご相談できそうな先生がいらしたが、いきなりさらっとそのしぐさをされて、

もういいや・・・。

と思ってしまったことがある。寂しくなる。
お前なんか相手してない。お前の言うことなんか聞いてない、と言われているようで。

だから逆襲よろしく、若い男性をスタッフにして、顎で使ってみたい・・・、というような、絶対に実行しないけれど、願望をもってしまうのかもしれない。

実は、新卒で勤めた職員室で、まあ、誰と誰が男女交際をしていて(男女交際は禁止。取り締まる対象だった。)、という話になったとき、男性の先生が、

なんで○○なんかがいいんだ・・・。

みたいな個人的な感想を述べられたとき、思わず、

○○君、かわいいですよ・・・。

と教師目線で発言してしまったら、

いやあ、女性の間隔はわからないなあ・・・。

と言われたときに、女性と言われたことが相当に違和感があった。
それは女性としてではなくて、教師として可愛かっただけだったから。

だいたい、生徒に、誰が可愛いだの、イケメンだの、そういう観点で見ることができない。まあ、自信を失っている子に、自信をつけさせるためにもしかしたら言ってしまうかもしれないけれども。

こんなこと言ってしまったら、とんでもなく難しいこと言ってる付き合いにくい人間に思われてしまうかな?

でも、女性、女性と言われるのはちょっと違う。
デパート売り場の化粧品売り場に行くと、昔、祖母や叔母が、あれこれ顔に塗りたくって、少しでも美しくあろうとしていたのを思い出してときめく。
でも、そういえば、私の周りの女性で、最も美しいと思われる母がそういうことよりも、もっと知的なことに関心があったのを思う。
母は、どこか男性的なところがある。
美しいとかいうことよりも、何ができるということに関心のある人である。

でも、ちょっとだけ思う。

女の子が家におって、女の子らしい、リリアン編んでたりするのはええもんや・・・。

小学校での成績をこともあろうに母の姉である伯母に自慢してくれていた祖母は、女の子が女の子らしいことをすることを喜んでくれた。

ここだな、と思う。
私がむしろ女性であることを封印しがちで、できるかできないかということに偏ってしまうのは。
母がそういう人である。
どこか走り続けて、私は誰かのために何かができなくてはならない。

私は思わずここ一週間の自分の動きを思い出して、無理が来てしまって、そのことについて反乱を起こしてしまったのである。

おそらくは、私をあれこれ揶揄う人は、まるで小さい女の子扱いである。
それは老若男女、昔からみんなそうである。
それは私がそうありたくないと思い詰めていた姿に対して、もっと言うなら、いつも女らしい、女らしいと言いながら、どこか男性的役割を私に求めている母の願望を実現してきた私に、気づけ、気づけと言ってくれているサインかもしれない。

私はいつも母を守ってきた。
母を守ってくれる人間として父は私を頼ってくれていたのだと思う。
正直、幼いかもしれないけれど、守ってほしいときに守ってもらうことができなかった。だから一生懸命に頑張ってきた。
子どもたちも守ってきた。

心理学をかじり過ぎなのかもしれないけれど、来し方を思い出し、可愛がってくださった方々、どうしても嫌われてしまった方々を思うとき、どこか、そこに無理のある姿があったのかもしれないと思う。

やはり、あれこれいろいろ起こる事象には学びがあるというものである。

昨夜、母と話していて、結構これって根が深いなと思った。
母はわからなくなってる。
私はどこかで無理している。
母の価値観で生きている。
そんなことを考えた。
介護だとか高齢者問題とかいうのとは違ったところでの私の気づきである。
母と話していて、私が母に何か言うと、母から返ってくる言葉に、私はどれほどひどい人間だろうか?と思わされる。

これって問題である。
私は母にお願いしている。
○○などと言われたら、私は淋しいから、それはやめて、と言ったら驚かれた。
その感じ方はおかしいと言われた。
だって、感じ方はそれぞれである。

もし仮に同じ状況で、私が子供たちに何か言われたら、私はさっさと反省し、それはやめる。反省しなくとも、

この子にとっては嫌なことだからやめよう・・・。

と気を付けることだろう。

やはり子供たちは、親を助けにやってくるのかもしれない。
よく、子供は親を選んで生まれてくると言われる。

私も母を助けてきたと思うし、子供たちもあれこれ気づかせてくれた。

ママ、可愛い・・・。

そう言ってくれた小さかった息子の言葉を思い出す。


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