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とうとうやって来た共通テスト第一日目昨日の話題は「元軽白俗」でした!

今年のメンバーは、例年に比べて決して多くはないけれど、中三生の頃から通ってきてくれているメンバーで、一人は高一からだけれど、割と早くから受験を意識して指導してきたし、それよりなにより、中三の時点でコロナ禍が始まっていたので、一緒に乗り越えてきた学年である。思い入れはかなり強い。

それに、ある程度こちらが一生懸命手綱を引かなければならないようなところもあり、要するに育ててきた感じが半端ない子たちである。
自分が一生懸命やっていてわからないところを教えてくださいと自ら言ってくるタイプというよりも、こちらが受験についても一からお伝えするという感じだった。
一人の生徒は、高二になる段階で、

このままだと自分だけ、どうってことない人生になるから・・・。

と、自ら部活を辞め、一生懸命に受験勉強し始めた。
そちらの親御さんには共感できた。

普通、というかよくありがちなのは、成績だけを見て、これは○○、あれは○○、と勉強面だけを何とかしようとされることが多いのに、その親御さんは、お子さんの気持ちを聞き、精神状態までも気を配っておられた。

お父様の、

あいつ、今充実してると思うよ。映画観たり本読んだりというのは精神が安定してないとできんからね・・・。

という言葉、あるいは、お母さまの、ほかのご姉妹に対しても、

○○、どうする?櫻井先生、○○って・・・。

とお子さんにどうするか、ちゃんと意志を聞いておられたり、私は嬉しかった。その子を見ているという感じがしたから。

本来教育というのはその子を見つめなければできないものだ。
でも、教育産業の一つである塾や予備校の場合、そこではなくて成績だけ、という面があることも否めない事実である。でも本来人を見なければ効率も悪い。

いつもの学年よりはおとなしめで、しかも個性的という点では落ち着いているかに見えた学年である。が、このごろなかなかに焦って来ていて、こちらも、

おおー!?

と思わされることが増えた。
大抵は講師が八つ当たりされたり、教室で自分の受験のことだけ考えているかのようなふるまいをされると、それこそみんなの受験勉強も進みにくいし、講師としての私の指導力という点でも効率的でないので、お母さま方に、

そこはご家庭で・・・。

と言いたいところだし、何よりみんなが受験期に、周りのことが見えなくなるタイプは自身の受験においても大いに向上心はあるとはいえ、結局は精神的に弱いという面にもつながるので、やんわり注意したりするけれど、まあ、どうしようもない面もある。

ということで、今日の日を迎えた。
今回の受験では、目の前の生徒があれこれ言わないのに、なぜか生徒の思いが伝わって来て、正直、

なんかあの子やりにくいな・・・。

という時期があった。最近お聞きしてみると、お母さまによると、頑張っている分焦っているから家では何も言わないようにしているとのことだった。

私は勘が鋭い面もあるし、離れていても人の気持ちが伝わってくることがある。これは生徒さんに対してはいいけれど、その他の人間関係ではちょっと面倒でもある。

それぞれが頑張ったし、気付いたことは全部対応してきた。

落ち着いて行っておいで・・・。

とにかくそう言って送り出した。

おもしろかったのは、昨日の最後の指導で、国語の時間に、取り上げた問題に、私の大好きな白楽天についての漢文があり、それも、よく言われる、

蘇軾の元軽白俗(元じんは軽く白居易は軽い。)という論についてであった。

元じんというのは白居易と共に科挙において共に進士の第に登り、生涯友であった人で、官僚としては白居易より出世している。が何かで読んだけれど、中国において詩人と官僚としての実績が共にあること自体がめずらしいらしく、そういう意味でも白居易というのはとんでもなく稀な文人だったということを聞いたことがある。何かの折に伝記などと読んでみても、バランス感覚という一言で表してもいいのか、あるいは、生き方が柔軟というか、数あるとんでもない苦難を乗り越えるために自己を客観的に見ていたり、その見方でもって価値観のフレームを変えて行こうとしていたり、あるいは官僚として、自己の趣味である水石で有名な土地に赴任しても、のめり込んでしまっては官僚としての仕事に障るからと絶対に手を出そうとしないようなところもあり、なかなか一徹な人でもある。そして友人思い。これは漢文に出て来る男性によくあることでもある。

遠くにいる元じんが都にいて月を眺めている白居易が思い遣り、同じ月を君も見ているだろうか・・・?などと心を寄せてみたりする。

そしてその作風を、批判される。元軽白俗と。
元じんは軽く、白居易は俗っぽい。

それは唐宋八大家のようなお堅く論理的な文をお書きになる方々からはそうだろう。しかし、白居易には心が通っているではないか。
などと大好きな白居易をかばってみたりしている。

ちなみに韓愈も好きである。この方になかなかお茶目なところがあることも私はちらりと知っている。これも大学受験指導でのことである。

どうも漢文に登場する男性が好きである。
そして私の男性への好みは、男子生徒を怖がらせる。
正義感溢れる意志の強い男性が好きなので、彼らにとってはあまり友だちにしたくないタイプが私は好きならしい。(笑)

昨日私の良く知っている話を読んだ。一緒に。
だから、なんとか彼らにとってなじみの話が出題されて、彼らも文章の中に入り込むことができますように・・・。

私にとって白楽天は、結構いつも支えになってくれた。まるで苦労を共に乗り越えるかのように。

物理の先輩の先生には、私の好みがバレていた。

先生が、白楽天と山上憶良が好きな理由がよくわかる、と。
自分がエリート官僚になっても、どちらも貧しい民衆のことが忘れられない人たちである。

白楽天が、通り名の楽天という言葉について、

私は確かに楽天家かもしれない。こんなたいそうな苦難をどうってことなく乗り越えているんだから・・・。

なんて感慨に耽ってみたり、というか、自分を納得させ、自分の気持ちをなだめているように感じられてならない。

どうか、私に勇気を与え、人生を面白がらせてくれた白居易のように、生徒たちにもどこか勇気づけられるような文章が出題されますように。

もしもサポートしていただけましたら、そのお金は文章を書いて人の役に立つための経験に使います。よろしくお願いいたします。この文章はサポートについて何も知らなかった私に、知らないうちにサポートしてくださった方のおかげで書いています。