私は何故お金に振り回されるのか

自己承認欲求の手立てが
お金を振る舞うことしか無かった。

お金を使わないと
人は私を認めないと思い込んでいた。

実際、今までの人生の中で
当たり前に私にお金を使わせるやつしか引き寄せられなかった。
いや、そうで無い人間さえ、
私がそうさせてしまっていたんだろうな。

子供の頃から、
周りが私を見る金持ちの娘と言う視点と、
実際はネグレストの境地で
道端に生えているニラを食べている自分の、
その歴然たる隙間を埋めたくて、
嘘を言い親の金を盗んで物を買い、
いつのまにかそれが当たり前の日常になって行った。

飢えた心が盗みさえ正当化させたのかな。
何一つ女としてのまともな教育を受けていない劣等感が、
不細工だつまらない女だと言われ続けた劣等感が、
つまらない男の優しさを求め、
その場限りの下品な賞賛のために金を使った。

金を使わなければ、金が無ければ、
自分には価値が無いと思っていた。
いや、今でも思っている。
自分自身も、自分が提供する場も、
誰かと居る場所も、
お金を持っていなければ人は共有してくれない。
お金を出してまで人は私を求めない。
私がお金を出さなければ。
そう自分の中に刷り込んでしまった。

子供の頃に家を出て、歳を誤魔化して生きて来て、
思春期に家族と再会してからも、
可愛がられて育てられた美しい妹と自分の差に打ちのめされ、
その辛さも理解しない母を恨んだ。

あんたいつでも平気で私の前で溜息ついたよね、
うんざりした顔で私を見たよね。
それに比べて貴女は本当に可愛いって、
いつも嬉しそうに妹の前で言ったよね。

私はあんたに捨てられた7歳の頃から
ずっと周りに言われて来たんだ、
「母親にさえ愛されない娘、捨てられた娘。
それはあんたが可愛く無いから。存在価値が無いから。」と。

それで家を出たんだよ。
14歳で。自分に何一つ自信もプライドも持てないまま。

お母さん。
あんたは、確かに凄まじく偉大な人だったかもね、
でも私にとって、親としては最低最悪だった。

金に物言わせて愛情を表現してくれてたけどね、
過去を帳消しにしようと頑張ってたけどね、
私の心や身体など厭うことなく、
常にボロボロにして平気だった。
常に自分が被害者だった。
親として私と向かい合うことはなかった。

産後退院して来たばかりの私に、
真冬の朝平気で雪かきをさせたよね。
料理も片付けもさせて当たり前だった。
私は体調が悪いんだからと、
当たり前の被害者ヅラで。

自分が姑にそうされてきた傷を忘れてたのかな?

そのくせ生まれたての孫を抱き上げもせず、
泣けば妹と2人で
「うるさい、さっさと泣き止ませろ」と言い放った。

育て方が悪いと妹と一緒に悪口を言い連ね、
子供らが少しわがままや粗相をすれば舌打ちをして、
時折の帰省さえ私は子持ちの家政婦のようだった。
お金は使ってくれたけどね。

孫の可愛がり方も、異常だった、
愛してなどいなかった。
可愛く無ければ愛せない、
あんたの育て方が悪いから煩わしい。
食べ方が下品だ、騒がしい。。。
そんなまともな躾を出来る私に、
あんたは育ててくれたのかよ!
。。。いつもおもってたよ。

何かあると、
愛されてこなかったから分からないとか
被害者ぶってしょっちゅう言ってたけど、
それは私もそうだろうよ!

でも私はなんとかここまで頑張ったんだよ、
愛されなかった、抱きしめて貰えなかった辛さが分かるから、
きちんと愛そうと思って来たんだよ!

それでもまともでは無い自分をいつも自覚して
今でもゾッとするけれど、
それでもなんとか頑張ってるんだよ。

必死に3人の子供と向かい合って来たんだよ。
孫と関わっているんだよ。
そんな私が育てた娘が、
当たり前のように子供を抱きしめ頬ずりする姿に、
本当に救われてるんだよ。
お前は一度でもそれをしたかよ!

人生の主役は常に自分だったあんたに、
私の気持ちなんてかけらもわからなかったでしょう。
貴女にとって自分以外の人間は、
それが子供や親であっても、
貴女の人生をを際立たせる
脇役や装飾品に過ぎなかったんだから。

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