MyStory Vol.3: 闇と光
こんにちは。
ヨガに救われた元メンヘラちゃん、ヒマニです。
今回も、
メンヘラだった私が
どのようにして前を向き
一歩踏み出すことができたか
の <マイストーリーVol.3> を綴っていきます。
もともとメンヘラ気質だった私が、転勤族〜駐在妻となったことで自分のアイデンティティを失いどんどん自分に自信がなくなり、長年闇の中でもがいていた <マイストーリーVol.1> はこちら。
心から自分のやりたいと思うこととやっと向き合い「変わりたい!」と思いインドのヨガ修行に出ることを決めた <マイストーリーVol.2> はこちら。
【インドに到着!想定外の苦行】
不安と期待でドキドキしながらデリーの空港に着いたのは深夜だった。
壁にずらりと並ぶムードラ(手のジェスチャー)のオブジェをみて
「ほんとにインドに来ちゃった!」
とテンションが上がった。
深夜2時ごろに空港を出発して6時間ほどかけて車でリシケシュへ向かった。1ヶ月の修行を振り返ってみても、この車での移動が一番辛かった・・・と思うほどの苦痛の時間だった。
急ブレーキ急発進、車間距離ゼロの猛スピード走行。酔い止め飲んだけど意味なし。途中で休憩のために寄った真夜中のSAで、この世のものとは思えないほど汚いトイレを目にし、その悪臭と車酔いも手伝って・・・
嘔吐・・・_| ̄|○
その後も地獄のトイレのダメージとジェットコースターのような車内で一睡もできるはずもなく・・・
あたりがすっかりと明るくなった朝8時頃、
ようやく目的の地に着き、ヨロヨロと車からおりた。
夢にまで見たあのアシュラム(ヨガ道場)を目の前にした感想は・・・
「・・・生きて到着してよかった、、泣」
ここから「楽しい」とも「つらい」とも違う、私の人生に大きな変化を与えてくれたかけがえのない1ヶ月がはじまった。
【「ありがたい」とは有ることが難しいこと】
この1ヶ月は、レクチャーや実践を通して濃厚すぎるヨガの学びの連続だった。そして、それと同じくらいかそれ以上に、生活面での学びと気づきが多くあった。これは、私がヨガのTT(ティーチャーズトレーニング)を通学型ではなく、滞在型で受けることをはげしくオススメする理由でもある。
1日のうちの貴重な休憩時間は宿題とバケツの中で手洗いする洗濯であっという間に終わる。アシュラムでは毎日上下白の制服で過ごすのだが、2枚しか支給されず毎日汗だくになるため、毎日洗濯が必要。クタクタの体でするこの洗濯(とくに脱水=手で絞る)が一番の修行かと思うほど、大変だった。洗濯機のありがたさを知った。
雨の日は寒いし、洗濯物が乾かない。太陽のありがたさを知った。
シャワーはお湯が出ない日もあった。肌寒い日の水シャワーは入る前に「よし!」と気合を入れる。冷たくて鳥肌が立ち、目も覚める。温かいお湯を浴びるというのは、それだけで身も心も癒されることに気づき、お湯が出ることのありがたさを知った。
水が止まり、トイレが流せない日もあった。お湯が出ない日でも、水が出れば汗だくになった体をきれいに洗い流せる。それだけで気持ち良くてとても贅沢に感じた。水が出ることのありがたさを知った。
1日の中で何度かある停電。そんなときは、キャンドルの灯りでシャワーを浴びたり勉強したりした。電気のありがたさを知った。
部屋の明かりがなくても、外に出れば月がきれいに輝いている。周りが真っ暗だと月明かりだけでこんなに明るいなんて知らなかった。
無数のホタルが大きな木にとまり、穏やかな光がきらきらと点滅している。まるで星のなる木。ものすごくキレイで感動した。この景色を残したくて、スマホで写真を撮ってみたが、写真には真っ暗で何も写らなかった。自然の美しさとありがたさを知り、心にその景色を刻んだ。
不平不満が出るのは、ものごとにたいして「当たり前」と思っているから。
身の回りのちいさなこと、そのひとつひとつに「ありがたいなぁ」と感謝できれば、それだけで幸せ。
「有難い」とは有ることが難しいこと。
「ある」ことは当たり前じゃないことに気づけた。
シンプルな生活をして、体もマインドもクリアになって
感謝の気持ちで満たされた。
ヨガを学びにきたが、もっと大きなことを学んだ気がした。
いや、その大きなことが全部ヨガだった。
【幸せは、外にはない!】
この1ヶ月の経験は、私にこれからの生き方を教えてくれた。
普段いかに「ありがたい」に囲まれた生活を送っていたか、に気づかせてくれた。忘れていた感謝の気持ちを取り戻し、自分を見つめ直した。そうすることで内側から満たされた。
私たちは生きるためにそんなに多くのものを必要としない。
バックパックひとつの荷物で充分しあわせだった。
幸せは外にはない。自分の内側にあるもの。
それがここでの生活で腑に落ちた。
私がずっと満たされなかったのは、外ばかりに目を向けて外側で幸せを必死に探し回っていたから。
私はやっと目を向けるべき場所がわかり、変わりはじめた。
【変わるために必要なもの】
アシュラムでの日々を人生が変わるほどの経験にできたのは、強い想いがあって真剣に100%コミットしたから、というのが大きかったと思う。
私はインドに行ったけど、インドらしいインドを満喫していない。
なぜなら、1ヶ月間ずっとリシケシュの街から少し離れた場所に位置するアシュラム(ヨガ道場)にこもっていたから。
そこで出されたベジタリアンでサトヴィック(純粋)な食事しか口にしなかったし、ケータイはネットに繋がらないようにし、カメラと懐中電灯と時計の機能しか使わないようにした。
1ヶ月間、夫も含め誰とも連絡を取らなかった。
週に1度の休みになると、まわりの仲間が街に観光や買い物や食事に出かけていく中、私は静かになったアシュラムにこもり自主練や勉強、休息の時間にあてた。
なぜなら、「もったいない」と思ったから。
修行のために覚悟を決めてきた1ヶ月。家を開けることを許し、応援し送り出してくれた夫からもらった貴重な1ヶ月。なにより「変わりたい!」と強く思ってここに来た。
与えられたものは全て吸収しようとしたし、そこでの時間は1分1秒も無駄にしたくなかった。反対に、修行の邪魔になるものは一切入れたくなかった。
アシュラムごはんを食べ続けて、せっかく体の中から変わろうとしているときに、街のごはんを食べてしまったら「もったいない。」
街の騒々しさやいろんなものがごちゃ混ぜになったエネルギーに晒されて、消耗してしまったら「もったいない。」
せっかく整いはじめたマインドに街の刺激でまた波風を立ててしまっては「もったいない。」
そんな風に思っていた。
せっかくインドに来たのにインドらしいご飯を食べたり買い物をしないなんて「もったいない。」
ヨガの聖地でヨギーニっぽい映える写真を撮らないと「もったいない。」
はじめてのインドなのにアシュラムだけにこもっているなんて「もったいない。」
こういう「もったいない」もあると思う。
私の中にもゼロじゃなかった。でも前者の「もったいない」が勝ったのは自分の中の強い想いがあったから。
「少しくらいいいか」とか「しんどい・・・」と、思ったときに「私は今なんでこれをしているのか?」と自分にきく。するとエネルギーが湧いてきて、自然と正しい選択ができた。
目的が明確だったからブレずに1ヶ月過ごすことができ、そこで得た経験からその後の生き方も変わった。
明確なスタンスや目的を持つ人は、いつでも、どこでも変われるし、
インドに行こうが、世界一周しようが、変わらない人もいる。
私はずっと、何をしてもどこに行っても変われない人間だった。その理由がやっとわかった。熱い想いもしっかりとした芯もなく、空っぽだったからだ。
「スタンスや目的を決める」と、
気持ちがブレたときにそのまま楽な方に流れていかなくなるから強い。
私は最近、「ありのままの自分を受け入れ、自分にとってより心地よい人生をつくっていける人を増やすこと」を目的に活動して行くと決めた。自分が元メンヘラでヨガに救われてきたからこそ、いま闇の中にいる誰かの光となりたいと思った。
だから、発信することで自分がどう思われるかが怖いとか、「いいね」が少なくてへこむとか(笑)、そういうことでブレる日があっても、この大きな目的と自分の在り方に戻ってくることで前を向いて進んでいこうと思う。
【変わり出したメンヘラちゃん】
私を闇の中から救い上げてくれたのは、このインドでの経験だったけれど、それはきっかけに過ぎず、「一生このままの自分でいたくない!」という危機感に近い強い想いがあってこそ変われた。
変化したいときに、環境を変えることはとても有効だと思う。だけど、環境を変えるだけではただの一時的な変化で終わってしまう。なぜそれをやっているかという明確な目的と変わるための環境が揃うと人生が変わっていくと思う。
「明日が来るのは当たり前じゃない」という言葉が胸に突き刺さり「変わらなければ」と強く思ってインドに行ったら、「この世のすべてのものは当たり前じゃない」ということに気づけた1ヶ月。
すべてのものに感謝の気持ちが生まれた。
この感覚にたどりつくために今までの闇があったんじゃないか。
メンヘラ気質も、
ヨガに出会ったのも、
転勤族の妻になったのも、
閉所恐怖症も・・・
ネガティブと捉えていたことも含め、過去のすべての出来事がつながって今の私がある、と感謝できるマインドになったことはものすごく大きな成長。
とあるコミュニティの中にいたときに雰囲気に馴染めず、傷つくような出来事があったり不快な思いをしたことがあった。1回目は気のせいかも、と思い、またその集まりに参加した。そしてまたとても不快になりエネルギーを吸い取られたようにクタクタになって帰ってきた。しばらく嫌な気分が続いたが、あるとき急に考えが変わった。
私に「そっちの道は違う」って教えてくれてるのかも。
と、思えたのだ。私はそのコミュニティを離れ、自分が心地よくいられる方向へと歩き出した。そのコミュニティの人たちに「教えてくれてありがとう」と感謝に近いような気持ちさえ湧いた。
こんなふうに捉えられたのは生まれて初めてで、
「全てにこの考え方ができたら、わたし最強じゃない?」
と興奮した(笑)
全ては捉え方次第なのだ。
起こることのすべては私の人生をよくしてくれる演出と思ったら、目の前の出来事に良いも悪いもなく、ただありがたく受け止めるだけ。そう思えるようになったら心地良く過ごせる日が増えて、生きるのが楽になった気がする。
ヨガの学びと実践のおかげで私のマインドは少しずつ変わってきた。
とても良い方向に。
だから、私は必要な人に伝えたい。
ヨガという人生を良くする素晴らしいツールを。
こうして闇の中でウジウジしていたメンヘラちゃんは、闇を持ちつつも前を向いて進もうとするヨギーに変わっていった。(今もその途中。)
どんな闇を持っていても、捉え方次第で
より心地よい人生にしていくことはできるんだ、
ということを私も実践しながら伝えていきたい。
自分と正反対のものに憧れたりなろうとしなくていい。
「人は皆、それぞれの輝き方がある」
と信じて、今日も小さな一歩を踏み出す。
<おわり>
最後までお読みいただきありがとうございました。
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