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レビー小体型認知症介護⑥『妄想幻覚徘徊・介護者の謝罪・理解されない』

徘徊。

義母は、支えなしでは

歩けない。

動く時は

足を伸ばして座ったまま

お尻を擦って

移動する。

深夜が多いが

明るい時も

妄想

幻覚と徘徊が

あった。


幻覚は

子供が走り回ってて言うことを聞かない。

一緒にパンを食べる。

一緒に相撲をみる。

玄関に座っている。

縁側から男の人が入って来た。

ただの壁が扉になっていて、開けようとする。

子供の頃住んでいた家になる。


妄想

義母自体が

学生時代に戻り

学校の準備をする。

買い物に行こうとする。

急に怒り出して近所に文句を言いに行く。

食事の時、おしぼりをパンと思って口に入れる。


妄想幻覚が酷かった。


でも、失禁より全然楽だった。


夜中、ガタガタ音がしたけど

しばらく放って置いた時

下に行くと

部屋はグチャグチャ

そこには居ない。

縁側が開いていて

外を見ると

地面に座っていた。

『何してるの?』

と聞くと

「学校行くの。迎えに来るの。」

と言った。

『今日学校休みになったって。
さっき電話来たから
家に帰るよ。』

と言うと

「そお?じゃあ仕方ないわね」

と言って

地面にお尻を擦りながら

戻った。

下半身は汚れていた。

『それ何着てるの?』

「これ?パジャマじゃない」


『さっきどこに行こうとしてたの?』

「さっきほら……どこも行かないわよ。」


『ズボン汚れてるから着替えて。布団汚れる』

「はい。」


学校に行くことは忘れる。


学校関連は

今日は急に休みになった

で回避した。


子供の幻覚は、

お母さんが迎えに来た

と言って帰らせた。

『誰かいた?』

と聞くと

「帰ったんでしょ」

と言う時もあれば

「お客さん?」

と言って

忘れている時もあった。


縁側から入ってくる男の人は

『怖いから目を合わせないで』

と言った。

すると素直に

目を瞑る。


一番参ったのが

電話。

昔の事をよく覚えているから

電話番号も覚えていて

近所の家に

電話をかけてしまう。


昔の行事や子供のことを

延々と話したらしい。

もちろん、近所の人は

幻覚や妄想で

話をしているなんて

殆どの人が理解出来ず

電話ではなく

直接言いに来る。


私はこと細かく

レビー小体型認知症の症状

だと言うことを伝え

謝った。


男の人だと怒鳴り込んで

くる人もいた。

そんな人は

認知症だと説明しても

理解しない。

その人が認知症なんじゃないか?

と思ってしまう時もあった。


電話の線を外し

電話を隠した。

すると、

昼でも夜でも

階段を這って

上がって来て

「電話しなきゃいけないから」

「どこやった?」

「ちょっと電話貸して」


『どこにかけるの?』

『用事は何?』

『今夜だから皆寝てるの。明日にして』

『電話壊れたからない』

下に戻る時は

階段に座って

お尻を付いて

1段ずつ降りていく。

階段に

尿が付いていく。


主治医に言うと

(電話やったかぁ。よくあるんですよ。)

と言っていた。


戦中戦後の女学生の頃

子育て世代の頃

輝いていた頃が

よく症状として

現れるらしい。


嫁の私は

お手伝いさんやどこかのお姉さん。

ただ、

自分の子供達の事は

忘れなかった。

一緒に暮らしたことの無い

長男のお嫁さんと

長女の旦那さん

の事も

覚えていた。


思い出した。


年越しは、毎年

うちに集まって

お寿司をとって

私が

12人分の

汁物や

お煮付けや

お通しの様な

お酒の肴を

作って出していた。

前日の夜から

お煮染めと汁物を作って

お椀、小皿やコップ、箸、

洗い直して

準備して。

日中、

義母をお風呂に入れて

皆が座る部屋の畳を

洗剤を付けて拭き

座布団カバーを取替えた。

いい匂いの

スプレーを

沢山振りかけた。


それでも

私の鼻には

尿と便の

匂いが

こびり付いていた。

空気清浄機をつけて

縁側を全開にした。


紅白をみて

孫たちは

皆でゲームをしたり。

義母も

ワインやお酒を飲んでいた。


私はその部屋で、

食事をする事が

出来なかった。


便がこびり付いた場所

尿を拭いた場所

匂い。

臭くない?

と聞いても

臭くないよ

と言うから

私だけなんだ

思った。



丸投げされてから

本格的に在宅介護に入り

2年目か3年目の

お正月。

1日の夜

義兄と義姉の家族だけが

集まって

義姉の家で

お正月の集まり

をしたらしい。


そんな予定は

知らなかった私は

31日から2日まで

義母をショートに預けて

母と姉と甥っ子と

数年ぶりに

年越しをして

姉の家に泊まった。


旦那は家で1人

犬のご飯をあげる係。

私は3日、

義母がデイから帰って来る

時間までに

家に帰った。


義母は

2日の夕方帰って来て、

旦那と夜ご飯を食べ

3日は

朝からデイサービスだった。

朝、旦那は

忘れていて

家の鍵を開けずに

寝ていた。

私に電話が来て

電話で旦那を起こした。


伝えていたはずなんだけどな。

ショートとデイの荷物は違う事、

バッグに連絡帳を

入れ替えて持たせること

薬を飲ませて、

昼食後の薬を

入れること。


私が幻滅したのは

義兄姉達が

年に1回のお正月ですら

義母の面倒を

看てくれなかったこと。


家族なら

ショートで預けてても

迎えに行って

帰らせる事は出来る。

その分のお金も

かからないから無駄にもならない。


それをせず、

のうのうと

世間一般のお正月を

過ごした。

旦那に聞いた。


私は3日の夜まで

知らなかった。


ずっと、

キレたら負けだと

思って、

大人になろう

と思って、

我慢してたが、

メールで

抗議してしまった。

お正月、集まったんですか?
○○が家にいたんだから、
家族水入らずで、
家でもよかったのに。
お義母さんとも一緒に
過ごせばよかったのに。
前もって言ってくれてたら
お義母さん泊まりに
しなかったですよ?
最近のお義母さんの
状態知ってますか?
会いに来たら
きっと喜びますよ。

的な内容だったと思う。

義姉は、

急に予定が合ったから、
ご飯だけ食べようって事になった。
すぐに解散した。
お山座りさんに任せっきりで
ごめんなさいね。
近いうちに行きます。
よろしくお願いします。

的な事が返ってきた。



もちろん、


来なかったよ。




















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