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給食を通じて得たもの

教職教養の勉強をしていると給食に関する記載がある。詳細は忘れたが”食育”というワードが出てきた。給食の時間は班ごとに向かい合って食事したり食事中に謎の音楽が流れていたりと未だ解明できない風習も多いが、これまで何気なく食べていた給食も実は教育の一環だったんだ!という感動を覚えた。

しかしツイッターやニュースでは

「子供に無理矢理嫌いなものを食べさせた!」

「少食なのにおかわりを強要された…」

などなど、トラブルの温床になっているようにも思える。私の経験した中では上記のような蛮行を目にしたことはない。ただ、知らない間に”食育”を受けていた私自身、給食では克服できたものが多かったなと感じている。

学校給食は家庭では絶対出ないような変なおかずが結構出てくる。所謂ハズレメニュー的なやつ。極端な例だとカボチャとヒジキをグジュグジュに混ぜたものとかカジキマグロを焼いたやつとか根菜カレーとか。

そんな中、小学1年生の頃の私は超偏食だった。野菜とかは全く食べない人間だったので1年生の頃は先述した変なおかずはほぼ残していたように思える。しかし、1年の後半くらいだったと思う。海藻サラダが出た時に素直においしいなと感じた。それ以降、サラダに対する抵抗が和らいで少しずつ野菜を食べるようになった。また変なサラダもドレッシングで味をごまかしながらだったが食べれるようになった。それからハズレメニューも食べてみると意外とイケるじゃないかといったようにそのおかずの良い部分を発見することができるようになった。そして徐々に食べれるものが増え、2年生になると給食はほぼ完食できるようになった。

とても些細なことだが給食を通じて好き嫌いが減っただけではなく、知らない食べ物でも積極的に食べる行動力や挑戦力、新しい発見を受け入れる力などが養えたのかなと思う。実際、専攻している科目上、各国・各地域の郷土料理を食べる機会が多い。そのような初めて食べる料理を素直に美味いと思いながら食べれるようになったのも小学生の頃に脱偏食したからなのかもしれない。

幸い(?)私は中高生しか教えないので給食であれこれ言う機会はないかもしれない。もちろん先述したような食えない量や嫌いな物の強要は人間性を疑いたくなるレベルの話だと思う。嫌いなものを拒否するのは当然のことなので、教員がいくら”栄養バランスがー”とか”世界の食糧問題がー”とか言って丸め込んでも、先進国に住んでいる限り生徒にとっては実感のないことに聞こえるのかもしれない。なので、苦手な食べ物を克服することで生徒にとってどのようなメリットを得られるか伝えたほうが当事者意識が湧くのではと思う。それで何かに気づく人は行動すれば良いし、別にどうでもいいと思う人はそのままで構わない。そもそもクラス全員の好き嫌いがなくなる確率なんて限りなく0に近いので、教員は大体3割くらいの生徒が自分の意見を参考にしてくれたら上出来かなというくらいの意識で言えばいいのかなと思う。

それでも今もミニトマトは苦手だが。食感がダメなんだよね。あのプチュゥって口の中で潰れる感じが。

あとパクチーもウドも春菊も。セロリもあんま好きじゃないな。


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